第38話 宴、終幕


♢    ♢    ♢    ♢


 ——車内の空気がおかしい。


(いや、正しくは"二人の"か)


 暁は、後ろに座っている二人の姿をルームミラーでチラリと見た後、困ったように眉を寄せ、小さくため息をついた。



 ——あの後。


 四季と千夏を見送ってから数分後、先に席へと戻ってきたのは、安倍統司だった。

 席を立った時とは反対に、戻ってきた彼はやけに機嫌が良さそうだった。

 一切感情を見せない、彼のそばに控えている少年が、少し驚いた表情を浮かべていたほどだ。

 そして、ほどなくして四季、紅葉、千夏の三人が姿を現した。

 千夏は何やら朗らかな表情を浮かべていたが、その他の二人は、まさにお通夜状態もいいところだ。

 四季も紅葉も、揃って無表情で歩いては、途中枝分かれする際に、他人行儀な振る舞いをして、さっさと席へと戻っていく。

 紅葉の方は定かではないが、席へと戻ってきた四季は明らかに不機嫌になっていた。だが、その空気は、他の者には勘付かれていない。

 あくまで平静を装っているため、また隣に座している千夏が頬を緩めて四季に話しかけている。

 四季は愛想良く相槌を返すが、完全に心ここに在らず、と言った様子だ。

 紅葉も紅葉で、会場では当たり障りなく振る舞っていたが、いざ帰りの車に乗り込むと、途端に口をつぐんでしまった。



(……全く、手のかかる子たちだ)


 暁はサイドガラスの縁に肩肘をついて、また一つため息を吐く。

 安倍統司が何か二人にけしかけたか、それとも千夏が二人の仲に溝を生み出したか。

 もしも千夏の問題の方なのであれば、安倍統司の方よりもよっぽど厄介そうだと暁は思った。

 男女の問題は、とても複雑だ。絡みやすく、一度絡まってしまえば完全には解けにくい。

 まるで繊細な糸のようだ。



「二人ともお疲れ様。今日はこの後、任務だよね?」


 暁は努めて明るく、背後の二人に向かって話しかける。


「そうだけど」


 その問いに返事したのは四季だ。

 これは紅葉の心境に変化があったかな、と暁は察した。

 紅葉は、昔からどうも色恋沙汰には疎い。まるで考えないように、心に蓋をしているようだった。

 少なくとも、家業のことも関係しているのだろう。

 昔から妙に物分かりがいい紅葉は、自分の心と周りの環境を考慮して、時々体が動かなくなってしまう子だった。

 今回も、その時と同じような表情をしている。

 口を真横に結び、言いたいことがあるのにそれを飲み込んでいるような、そんな顔。


「今日は疲れただろう。任務は俺が変わってあげるよ」


 そう言えば、四季は勿論、ずっと外ばかり眺めていた紅葉がパッと顔を上げて、こちらを見てくる。

 責任感の強い子たちだ。それを素直によしとするわけがないことは、師である暁が一番よくわかっている。


「でも……」


 紅葉が反論の言葉を口にしようとするが、暁は声を被せてそれを制した。


「元々決まっていたのさ。今日の夜は、大人たちが頑張るんだーってね」


 それにほら、いつもデスクワークばかりで腕が鈍りそうだしね。と、暁は笑う。

 勿論、それはこの場で考えたでっち上げだ。だが、そうでも言わないときっとこの子達は納得しない。


「あ、でもかなり久しぶりだから、念のため今から敷地内を確認したいんだよね。だから行き先変更していい?」


 そう言って、暁が運転手に伝えた場所は、四季や紅葉が今夜向かうはずだった皇居だった。

 三人が車から降りると、送迎車はそのまま、元来た道を走り去ってしまった。

 暁はん〜、と背伸びをしつつ、背後で佇む四季と紅葉に、そのまま語りかける。


「お前たちはゆっくり、散歩しながら帰りなよ」


 これは、暁なりの気遣いだ。それと共に、牽制でもある。


 ——早く元通りに戻せ。


 暗にそう2人に伝えている。それを知ってか知らずか、四季も紅葉も気まずそうに推し黙ったまま。


「返事は?」

「……はい」「……ああ」


 少し威圧感のある暁の言葉に、双方小さく返事をする。

 暁は満足げに頷いた後、片手を上げて手首を曲げた。


「紅葉、ちょっと」


 そうして、紅葉だけを自分のそばへと呼び出す。

 何事かと駆け寄る紅葉の手に、暁は小さな紙切れを忍ばせる。


「これ、柊が紅葉にって。随分と気に入られたみたいだね。……それと」


 暁は紅葉の耳に口を寄せ、ポツリと何かを呟いた。

 その暁の言葉を聞いた途端、紅葉がパッと顔を上にあげ、そしてその頬はみるみるうちに赤くなっていく。

 暁はその様子を見てにっこりと微笑むと「ほら、行った行った」と言って紅葉の背を押し、四季の方へと歩かせた。

 顔だけをこちらに向けて、何か言いたげな紅葉の後ろには、不思議そうに片眉を寄せている四季の姿。


(ま、ここからどうなるかな)


 暁も、当の本人たちも知り得ぬ事の顛末に胸を馳せ、暁は二人から背を向け、敷地の中へと足を進めて行った。

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