第3話 すれ違い

 紅葉が洗い物を終えた丁度その時、二階から身支度を整えた四季が降りてきた。

 中高一貫の進学校に通う二人の制服は地元でも可愛いと評判で、セーラー服と学ランという学生たちの憧れを形どったものだ。

 紅葉はセーラー服の上からブラウンのカーディガンを合わせ、無難に着こなしている。四季は学ランの下にパーカーを着て、とてもラフな格好だ。

 

 二人は揃って御門家の門を抜け、通学路への道を歩く。

 この頃は、北風が冷たくなってきたと、肌で感じるようになった。冬本番までにはまだ遠いが、外気に触れて少し冷たくなった指先を温めるように、紅葉はカーディガンの袖を伸ばし、手を全体的に包み込む。

 ふと隣の四季を見てみると、紅葉と同じように思っていたのか、片方の手は服で手のひらをすっぽりと隠して指先だけをちょっと出し、もう片方をズボンのポケットに手を突っ込んでいる。

 男子は、女子のようにインナーの縛りはなく、Tシャツ、Yシャツ等、何でもOKらしい。だが、四季のようにパーカーを着ている生徒はあまり見たことが無い。

 お洒落の為に膝上までスカートを上げて、Yシャツもわざと第一ボタンを開けている紅葉にとって、正直、羨ましいことこの上ない。そして単純に考えて、女子の制服にパーカー姿もきっとものすごく可愛いと思う。


「いつも思ってるけど、よくそれで風紀委員に何も言われないわね」

「式があるときはちゃんとしてるからだろ。……それにしても」


 四季は紅葉の方をじっと見つめる。正しくは紅葉の身体の下の方を、だが。


「なに?」


 紅葉は四季からの視線に気付き、訝し気に眉を潜めた。まるで品定めでもするかのように、四季は顎の下に手を置き、まじまじと見つめている。


「紅葉、お前スカート短すぎだろ」


 四季は視線を紅葉の足へと向けたまま、パンツ見えるぞ、とまで真顔で言ってのける。

 その四季の言葉に、紅葉は瞬発的に手でスカートを押さえた。


「は、はぁ!? 別に普通だし。てか、ジロジロ見ないでよ」


 ずっと見られ続けていることに気恥ずかしさを覚えた紅葉は、四季の視線から逃れるように身を捩る。


「恥ずかしがるくらいなら見せんなよ」

「四季が見てくるからでしょ! スケベ!」

「誰がスケベだこら」


 四季の視線を外すために、右手で四季の背中をグイッと押す。しかし、その行動をじゃれていると捉えられたのか、四季に腕を掴まれて動きを阻まれてしまう。


「あ」


 紅葉は腕を掴まれた瞬間「しまった」と思った。

 四季に掴まれている方の腕は、昨夜、怨霊に襲われた傷を包帯で覆っている方の腕だったからだ。

 いくら冬物の服を着ているからと言って、包帯で固められた腕の感触に、四季が気づかないわけがない。


「ん? なにか……」


 やはり握った拍子に違和感に気付いたのか、紅葉の腕を掴んで離さない四季。そのまま緩急をつけて、強く握ったり、やんわり握ったりを繰り返している。

 そして、いよいよ紅葉の制服をまくり上げようとした。


「ちょ、離してよ」


 紅葉は自分の腕を引っ張り、四季の手から逃れようとする。


「何隠してんだよ」


 しかし、紅葉の行動に呼応するように四季の手の力は強まり、ついには紅葉の傷が疼くほどの力になってしまう。


「い、……」


 紅葉の小さな呻きは、四季の身体を突き動かすには十分だった。

 四季は掴んでいる紅葉の反対の方の肩を掴み、無理やり紅葉を引き寄せて距離を詰めた。

 肩を引かれた拍子にぐらつく紅葉の身体を支えたかと思えば、今度は紅葉の制服の袖の装飾ボタンを器用に外して服をまくり上げてゆく。

 制服の下から現れたのは、白い包帯で覆われた紅葉の細腕。その腕を見るなり、四季からはみるみる表情が消え失せていった。


「昨日か」


 四季が、抑揚のない声で紅葉に問いただす。

 静かに、淡々と紡がれる言葉に、無意識に紅葉の背筋が伸びる。

 別に紅葉としてはやましいことは一つもないが、心臓が早鐘を打ち続けていてどうにも落ち着かない。


「いや、これはその……」

「何で言わなかった」


 聞こえてくる四季の声色が通常時のそれよりも明らかに低い。しかも、詰めるような問いかけだ。

 それが、紅葉に対する怒りではなく、どこか別の方向に怒りを向けているかのような……。

 四季自身が、まるで自分を責めているような緊張感さえ感じる。


(まずい、これは完璧に怒ってる時のテンションだ……)


 いつからだろうか。

 ある時期から、四季はこういう怒り方をするようになった。

 紅葉が怪我をしたり危険な目に遭ったりすると、まるで表情筋が全く機能していないのかと思うほどに無表情になり、そして過剰に怪我の状態を聞いてくるのだ。

 

 だが、それもこれも、元はと言えば紅葉が原因なのだ。


♢    ♢    ♢    ♢


 幼い頃、一度だけ兄と四季の怨霊退治に黙ってついて行った紅葉が、怨霊に襲われて怪我をしてしまったことがあった。

 四季は紅葉よりも一足先に家業をこなしていていたため、幼いながらにも置いて行かれたという思いを紅葉は抱いていた。

 その時は、紅葉も一刻も早く現場に出たかった。気が急いてしまって、誰にも言わずにこっそりついて行った。

 だが、運悪く敷地内で怨霊に見つかってしまい、危うく殺されかけたのだ。

 その頃の紅葉は、訓練も何も受けておらず、身を守る術を持ち合わせていない普通の女の子だった。初めて見る怨霊を前にして、足がすくんで動けなかった。



 ——殺される。


「紅葉!!」



 怨霊を目の前にして視界の左端。

 紅葉の瞳に映ったのは、白虎に跨りこちらへと駆けてくる幼馴染の姿。

 四季は紅葉を襲っている怨霊へ向かって、自分の背丈よりも少し小さいくらいの大きな剣を、力任せに振るった。

 すると、一刀両断された怨霊は、紅葉の目の前で瞬く間に塵となって消えてしまった。

 その光景にもまたビックリして、紅葉は思わず泣き出してしまったのだ。


「この馬鹿野郎! 何してん……なんで泣いてんだよ」


 紅葉が涙を流していることに驚いたのか、四季は怒ることも忘れて紅葉の側に膝をついた。

 四季の額は汗でびっしょりと濡れていて、急いできてくれたのが見てわかる。

 先程は血相を変えて怨霊を退治してくれた四季が、今度はどうしたものかと手を宙で右往左往させて、狼狽えている。


「俺が、怒鳴ったから泣いてんのか?」


 少し怯えた様子の四季の声が聞こえてくる。

 紅葉は「違う」と言いたいのに、言葉が喉につかえて伝えられない。

 もちろん、当時紅葉が泣き出してしまった理由は、始めてみる怨霊に恐怖してなのだが、どうやら四季は、あの時自分が怒鳴ってしまったから紅葉が泣いてしまったのだと未だに勘違いしてしまっているらしい。

 だから、こんなに淡々と、脈略のない怒り方になってしまったのだと思う。



♢    ♢    ♢    ♢



(ていうか、今となってはその方が逆に怖いんだよね……)

  

「おい、聞いてんのか?」


 四季の言葉に、紅葉の意識は現実に引き戻される。

 パッと顔を上げると、紅葉を見下ろす四季の顔が思ったよりも近くにあって、危うく鼻同士がぶつかりそうになってしまった。


「うわ! ち……、近い!」


 思わず紅葉は四季の手を振り払って、四季の身体を突き飛ばしてしまう。

 突き飛ばされた四季は、後ろに倒れ込みそうになったのをすんでのところで踏みとどまった。

 その紅葉の態度に、四季の表情が引き攣る。


「お前は……」


 額に青筋を浮かべた四季を見て、紅葉は慌てて弁明する。


「ご……ごめんっ! 思ったより近くて……。確かに、昨日は怪我しちゃったけど、ほら、こうして大した怪我じゃないしすぐ治ると思うし気にしなくても平気だよ」

「大した怪我じゃなくても、怪我をしたことに問題があるんだろ。大体、お前は昔から危機管理能力に欠けてんだよ」


 なおも四季のお小言が続くため、紅葉は大きくため息をついた。

 もうずいぶんと一緒に戦っているのに、四季にとってはいつまで経っても守らなければいけない対象なのだろうか。

 その事実が、紅葉には悲しく思えた。今の私は、戦うことしか出来ない、八咫烏の女。

 その紅葉からしてみれば、戦場で足手まといになることがどれほど屈辱か。

 紅葉は拳をぎゅっと握り、だがしかし、努めて明るく聞こえるように言った。


「前線に出てるんだから、怪我もするし、私だってそれなりの覚悟だって出来てる。それにほら、いちいち大袈裟だし、四季に関係ないでしょ」


 大丈夫。実際にそう思ってる。

 ここで弱い部分を見せたら、きっとすぐにでもやっぱり女は前に出るべきではないと、各所から野次が飛んでくるだろう。それは嫌なのだ。

 四季だって、日本を護るために戦っている。自分も隣に立って、共に戦いたい。

 そう望んで、訓練を重ねて兄の代わりに怨霊と戦ってきたのだ。


「ていうか四季、朝からこんな話している場合じゃないでしょ。学校遅れちゃう」


 紅葉はそう言って、腕時計を見る。

 時計の長針は後10分で頂きを迎えようとしていた。

 早く学校へ行かなくては、と歩みを進めた紅葉と、一向にその場から動こうとしない四季。

 紅葉は、動こうとしない四季の方を振り返る。


「四季? なにしてるの遅れるよ」


 学校まではほんの数メートル。目と鼻の先だ。予鈴はぎりぎりだがHRまでには十分間に合う。

 だが、四季はその場に立ち尽くしたまま。


「ねぇ四季!」


 紅葉は焦れたように四季の名を呼び、無理やりにでも歩みを進ませようとその腕を掴もうと手を伸ばした。

 だが、四季は紅葉のその手を避けるように、一歩後ずさって身を引いた。

 

 ——今、避けられた?


「……どうしたの?」

「……先に行けよ」


 四季は紅葉の方を見ずにそう言う。

 顔を背けたままそう言うものだから、紅葉からは四季がどのような表情をしているのかは分からない。

 しかし、あと一歩足を前に進めれば、四季が今、どのような感情を抱いているのか知ることが出来る。

 だが、紅葉にはあと一歩、四季に近づくだけの勇気は持てなかった。

 四季から避けられたという事実が、紅葉の身体にブレーキを掛ける。


「……何言ってんの。いいから行こうって」


 紅葉は、その場から精いっぱいの言葉を投げる。


「俺が遅刻しようがしまいが、お前には関係ないだろ」

「え、ちょ……四季!」


 四季は紅葉の方を見ようとせずに、学校とは反対の方向へそのまま歩き出してしまう。

 紅葉は、後ろを振り向きもせずスタスタと行ってしまう四季を声を掛けて引き止めようとするが、それでも四季の歩みは止まらない。

 そのまま四季は、紅葉を置いてどこかへ行ってしまった。


「もう……なんなわけ?」


 紅葉は訳が分からないといわんばかりに、遠ざかる四季の背中を見つめる。

 ドク、ドクという妙な胸のざわめきと、少しのモヤモヤを抱えながら、ただ四季を眺めているしか出来なかった。

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