第2話 二人の関係

 次の日。

 学生の本分は、学業である。

 それは、遅くまで怨霊退治をしていたとて、紅葉達も例外ではない。

 朝早くから学校へ行き、授業を受けて、勉学に励む。

 だが、その学校へ行く、というこのうえなく初歩的なことのために、紅葉は毎日気を揉んでいる。


 豊かな土地の大きさを誇る、御門家の立派なお屋敷。

 紅葉はその正門前に立ち、目線より少し高い位置にあるボタンへ指をあてがい、呼び鈴を鳴らした。ゴーン、と鳴る上品なその音は、空しくも高らかに宙へと消えてゆく。

 またか、と心の中でため息を漏らしつつ、紅葉は肩に下げているスクールバッグを改めて背負い直した。そのもう片方の手には、紅葉の母・百合子ゆりこお手製の朝食とお弁当が入った保冷バッグが握られている。

 紅葉は勝手知ったる場所とでもいうように、厳かな門構えの横に設置されている扉の施錠を外して、ずかずかと敷地内へと足を進めていく。不法侵入などではない。ちゃんと家主には許可を取っている。


 四季は、御門家当主であり父親でもある御門行平みかどゆきひらと二人暮らしをしている。

 四季の母親は病弱だったが故に、四季が幼い頃に他界している。だから、この広い敷地の中、男二人で暮らしているのだ。

 多忙な二人が屋敷の手入れなど出来るはずもないため、お手伝いさんなども定期的に出入りしてはいるが、こんな早朝から出向くこともなく。

 行平は朝早くから当主としての仕事をこなしている為、夜任務に出ている四季とは入れ違いの生活を送っている。そんな行平から、紅葉は四季の面倒を見てくれるように頼まれているのだ。


 初めこそ「なんで四季の面倒なんか……」と思っていたが、実際足を運んでみて、ことの重大さを理解した。

 四季は驚くほど朝に弱いのだ。それはもう、破滅的なほどに。

 どれだけ大音量でアラームをかけていても、四季が目を覚ますことはまずない。継続的に音を鳴らし続けても結果は同様だった。

 挙句の果てには、放っておいたら次の日の夜までずっと寝ている始末。

 その事実を知った時、紅葉は思わず「病院行った方が良いのでは?」と四季に提案したほどだ。


 これを放っておけば、高校を卒業できなくなる恐れがある。それを危惧して、行平は紅葉に、毎日様子を見に来てくれるように頼んだのだ。

 ちなみに、士門家と御門家は隣り合って建設されている。全く、この上なく便利な所に両家揃って家を建てたものだ。


 慣れた様子でスペアキーを使って玄関の鍵を開け、一旦リビングに荷物を下ろす。

 そしてそのまま二階へ続く階段を上がり、上がって突き当り右側、今現在進行形で四季がすやすやと眠っているであろう部屋まで一直線に進んだ。

 まだ、起きているという一縷の望みを胸に、部屋の扉をコンコンと叩いてみる。


「四季?」


 ……案の定、返事はなし。


(全く、いつまでこんなこと続ける気なのよ。子供じゃないんだから)


 流石に毎日こうだと甘えるのもいい加減にしろと言いたくなる。

 紅葉は勢いよく扉を開け、四季のいるベッドの前までずかずかと進んでいく。

 ベッドの上ですやすやと寝息を立てている四季は、それはそれは気持ちよさそうに、枕を抱いて眠っている。こうやって見ると、本当に、ムカつくくらい綺麗な顔立ちをしていると、若干の殺意さえ湧いてくる。


「いい加減起きなさい!」


 紅葉はベッドの前に仁王立ちになり、目いっぱい息を吸って、渾身の一声を上げる。

 一瞬、四季は「んん……」と声を漏らしたが、それは反射的に出たものだったようで、ごろんと寝返りをひとつ打った後、またすやすやと寝息を立て始めた。


「もう! 早く……起きて!」


 季節は10月半ば。いくら四季でも、肌寒いこの時期に布団なしでは寒さで目を覚ますだろう。

 紅葉はそう目論み、四季がくるまっている布団に手をかけ、勢いよく引っぺがそうとした。


 ——その時。


「ぅえ!?」


 布団を掴んでいた紅葉の腕を何かが捉え、体勢を崩した紅葉はそのままベッドの上にダイブしてしまった。

 必然的に、紅葉は四季の上に覆いかぶさる状態になってしまう。


(ちょ、何事!?)


 紅葉は慌てて離れようと身を捩るも、がっちりと四季の手によってホールドされていてびくともしない。そうしている間に、今度は倒れた紅葉の腰のあたりを、四季の手が弄ぶ。

 ビクッと身を逆立てた紅葉だったが、ちょっと待てよと思考を巡らせる。寝ている人間が、こんなに強く、そして自由に腕を動かせるわけがない。

 つまり、四季は、起きている。

 

「……四季、狸寝入りなんてしてんじゃないわよ」


 声を一段と低く発した紅葉は、ジトリとした視線を、往生際悪く未だに目を閉じている四季に向けた。

 四季は、その質問に答えぬまま、紅葉の腰に添えている指で、紅葉の腰肉をつまんだ。


「……紅葉、太ったか?」


 まるで「おはよう」と挨拶をするみたいに軽く、でも寝起きの人間から発せられる、特有の掠れた声で四季は言った。

 眠そうに瞼をうっすら開いた四季の目に飛び込んできたのは、顔を真っ赤にして、般若のように鬼のような形相をしている紅葉だった。


「……お」

「この、変態―――!!!」


 紅葉の甲高い声と共に、バチーン! という音が、辺りに響いた。



「そんなに怒んなくてもいいだろ」


 四季が左頬をさすりながら自室からリビングへと続く階段を下りてきた。四季の左頬にはくっきりと手跡がついていて、まるで鮮やかな紅葉の葉のように真っ赤に色づいている。

 一足先にキッチンに立ち、朝食の準備をしていた紅葉はふんっと鼻を鳴らした。


「女の子に向かって、デリカシーなさすぎ!」

「デリカシー? お前に?」


 訝し気に四季が紅葉を見やる。全くもって、反省の色が見えない。

 その言動にまたもや頭にきた紅葉は、コーヒーを淹れようとのそのそとキッチンへやってきた四季の足を無言で踏んづけた。


「い゛……」


 足を踏まれた痛みに悶絶しながら、四季は渋々といった様子で「悪かったって」と謝罪の言葉を口にする。


「今日も豪勢だな」


 ふわぁ、と欠伸をしながら紅葉の隣でコーヒーの準備をしている四季は、紅葉の手元を見て感嘆の声を挙げる。


「お母さん、毎朝張り切って作ってるからね」


 紅葉は手を休めることなく、料理をタッパーからお皿に盛りつけていく。

 ちなみに、平日の朝は大体こうだ。育ち盛りの四季のために百合子が朝食を作って、紅葉に持たせている。

 そんなことまでしてもらわなくても、と四季と行平に言われたが、百合子は「将来の婿さんのためだもの♪」と言って、いつもウキウキで作っているのだ。

 それを、四季の家で紅葉も一緒に食べることが、両家の間ではもうすっかり定番になっている。


「百合子さんの作る飯はうまいな」


 四季はいつも、やけに素直に百合子の手料理を褒める。もうちょっと普段からその素直さを出してくれないものかと紅葉は思うが、確かに百合子の料理の腕はピカイチだ。

 対する紅葉は、小さい頃から武芸の稽古に明け暮れていたおかげで、料理はおろか、家事もまともにできるのか危うい。

 でも、今更女の子らしく料理などを習おうという気にもなれず、これまでずるずると来てしまっている。


「感謝して食べなさい」


 と、さも自分のことのように紅葉は胸を張った。


「何でお前が威張ってんだ」

「だって持ってきて食べさせてるの私だもん」

「お前は俺と一緒に食べてるだけだろ」


 そう言われると、ぐうの音も出ない。だが、そもそも誰のおかげで毎日遅刻せずに学校へ通えているのか分かっているのだろうか。

 紅葉は釈然としない腹持ちでパンを頬張っていると、四季が思いもよらぬことを言い出す。


「たまにはお前の手料理、食わせてくれよ」

「ブッ」


 突拍子もない四季の言葉に、紅葉は危うく口に入れた食材たちを吹き出しそうになった。

 急いで四季が淹れてくれたコーヒーで口の中のものを流し込む。

 その反応が面白かったのか、四季はいつものように口元に手を当ててクク、と笑っている。


「慌てすぎだろ。別に本気じゃない」


 四季はひとしきり笑った後、さも当然のようにそう言った。

 要するに、馬鹿にしただけということだ。紅葉の顔がみるみるうちに赤くなる。


「……アンタには一生! 一度たりとも! 作ってやんない!!」


 紅葉は椅子から腰が上がる勢いで、四季に食って掛かる。そんな紅葉を、もう朝食を食べ終えた四季は、背もたれに深く腰かけながら、悠々とコーヒーを飲んで見ている。


「あ、そ。つっても、俺らは家業もあるおかげで、ろくに他に手ぇ回んねぇだろ」

「それはまぁ、そうだけどさ」


 確かに、家業があるとそちらに時間を割かれてしまい、生徒が放課後に大体行っている部活動はおろか、ろくに習い事も通えない。

 実際、術者の中には全く家事が出来ない人もいる。だが、それは男に限る話だ。

 最近こそ女性術者が増えてはいるものの、まだまだ男所帯のこの仕事。基本的に女は、年頃になると母親から料理や裁縫、家の中の家事を一通り習う。

 男は外、女は内という、全く古臭い考え方のせいだ。それが今現在でも深く根付いており、そのおかげで前線で戦っている紅葉も、上層部からの女としての在り方がどうだの、さっさと前線から退いて身を固める準備をしろだの、お小言が尽きずに肩身の狭い思いをしている。


 だが、紅葉も女である以上、いつかはどこかへ嫁がなければならないのだ。

 それは紅葉も分かってはいるのだが、どうにもそういったことには苦手意識が生まれてしまい、後回しになってしまっているのが実情だ。


「嫁の貰い手がないんだったら、貰ってやってもいいぞ」


 紅葉の心の内が見えているのか、飄々とした様子で四季が言う。だが、揶揄っているわけでも茶化しているわけでもない。

 本気で言っているのか冗談なのか分からないテンションだった。

 四季の方を見てみると、真っ直ぐに紅葉の目を見つめている。

 だが、先程のこともあるし、きっと本気ではないと紅葉は思った。


「またそうやって揶揄うんでしょ。四季と結婚なんて絶対にありえない。ご馳走様!」


 紅葉ははぐらかすようにそう言うと、手に取っていたパンの最後の一切れを口の中に放り込み、せっせと片づけを始める。


「あ、そ。ご馳走様」


 四季もこれ以上話を深く掘り起こさずに、食べ終えた食器をシンクへ片し、身支度をするために自分の部屋へ向かった。

 その四季の背中を紅葉も黙って見送る。

 四季はたまに、本気かどうか分からない話し方をする。そういう時は決まって、真っ直ぐに目を見つめてくる。その視線に逃れる術は、今のところはぐらかすことしかない。


(あーびっくりした……。もう、なんなの)


 未ださわさわとざわめいている心臓を落ち着かせようと思えば思うほど、気持ちは大人しくしてはくれない。

 とりあえず片づけをしなければと思い台所へと向かう。紅葉が皿を洗おうと腕まくりをしたとき、ふと左腕の包帯が目に映った。

 制服が長袖のおかげで隠れて見えなくなっているが、思ったよりも傷は深く、包帯の下は痛々しい見た目になってしまっている。紅葉は包帯の上から傷が作られた箇所を撫で、静かに呟いた。


「……本気にしたらどうすんのよ」


 ポツリと紅葉の口から放たれた言葉は当然、もうすっかり姿が見えなくなってしまった四季の耳には届かなかった。

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