第40話 素直になって

 時折吹いてくる風に体が揺らされないように周囲に結界を張り、外的影響をシャットダウンする。

 四季は、未だ泣き止まぬ紅葉の隣に立ち、結界に閉ざされた静かな世界で、黒に浮かぶ灯りたちを見つめた。


 ——ここ最近は、紅葉に振り回されてばかりだな。


 四季は、心の中でふぅ、と息を吐き、最近起きた出来事を振り返る。


 ——怪我の事、夏樹の事、そしてトキと名乗った男のこと。


 ここのところ、本当に忙しない毎日を過ごしている。

 だが、その度に紅葉の心の片輪に触れ、そして理解を深められている気がする。

 不思議とそれを悪くないと思える自分もいることは確かだった。


「……ごめん、泣いてばかりで」


 だいぶ気がおさまったのか、紅葉が小さく言葉を漏らした。その声は弱弱しく、いつもの勝気な紅葉らしくない。

 もしかしたら、これまでもずっと、紅葉すら無意識のうちに心に毒が溜まっていたのかもしれない。身体の成長に心が追い付かなくなるのも、思春期ならではだろう。


「気にすんな……、って言っても、俺は気になるが」


 四季は爪で頬を軽く引っかきながら、自虐気味に空笑いを浮かべた。

 先ほどの紅葉から溢れてきた言葉たち。それは、どれも四季に対するものだった。全く気にならないといえば嘘になる。


 ここでまた、自分たちの歯車が、大きく回ろうと音を立てている。それはもしかしたら、噛み違えて上手く機能しなくなるかもしれない。どんどん歪が生じて、修正不可能になるかもしれない。


 だが、この感情を見て見ぬふりは、もう出来ない。限界なのだ。


 ひと心地落ち着いたからか、紅葉はその四季の言葉を聞き、耳まで真っ赤に染め上げて、慌てて頭を振った。

 そうやら、先ほどの自分の言動の様々を思い出したらしい。

 あれは実は間違いだ、なんて言っても、もう遅いが。


「あれは、その……、なんでもな「翠石の妹のことは、何でもない。ただ、あの場を抜け出すには、口実が必要だったんだ」」


 あくまでなんでもないと言うつもりなのか、紅葉のその言葉を遮るように、四季は言葉をかぶせた。


 そう。あれは、紅葉を追うための理由が欲しくて、千夏と一緒に行動を共にしただけ。暁の助け舟に乗りかかっただけだ。そこに四季の意思はない。

 最も、自分の肩書きさえなければ、すぐにでも紅葉の後を追いたかったくらいだ。

 ……いや、それ以前に、あの小柄な青年になど、紅葉を任せることさえしなかっただろう。


 隣を見てみると、紅葉は目を丸くして、まだ涙で濡れている瞳を四季の方へと向けている。


「正直翠石の妹に関しては、他の家の姫君よりも利用価値があると思った。夏樹の奴、妹には自分のこと、話してないみたいだったからな。夏樹を揺するのに使えると思ったことは確かだ」


 我ながら、酷い話だ。その気が無いのに相手をその気にさせておいて、利用するだなんてなんて有様だと思う。

 四季は自分で言っておいて、ああ、言わなければよかったと後悔した。だが、もう口から出てしまったものは仕方がない。

 そろりと紅葉の方を見やると、紅葉はジトリとした瞳を、四季へと向けていた。その視線が、チクチクと刺さって痛い。


「……四季、それは最低」


 四季の心の内を察したように、紅葉が低い声でポツリと呟く。


「自分でもそう思う。だからもう止める」

「でも……、四季だってもうすぐ、その……」


 紅葉は少し言いにくそうに、だがしかし引っ込みがつかないと言った様子で、どう切り出そうかと言いあぐねているようだった。

 その先の言葉を汲み取るように、四季はまっすぐ紅葉の目を見て、紅葉の知り合い答えの先を紡ぐ。


「俺は、他の姫君を婚約者に選ぶことはない」


 紅葉は四季の言葉を聞いて、一瞬パッと顔色を明るくした。だがしかし、すぐに眉間に皺を寄せ、表情を曇らせてしまう。

 四季が発した言葉の答えを汲み取りあぐねているのか、何を言ってるんだ、という言葉が聞こえてきそうなくらい、絶妙な顔をしていた。

 その紅葉の顔を見て、四季はふっと笑みをこぼした。


「何て顔してんだ」

「え、え? どういうこと? まさか四季、結婚しないの?」


 紅葉は視線を彷徨わせながら、必死に答えを導き出そうとしている。その紅葉の様子を見て、四季は少し気落ちした。


 ——本当に、鈍いなコイツ。


 四季は半ば呆れるように笑い、そして紅葉の手に、自分の手のひらを重ねる。

 ひやりと冷たい紅葉の指先が、ぴくりと震える。その冷たさを温めるように、四季は手を結び直し、自身の手のひらで紅葉の手を包み込んだ。

 紅葉はビックリしたように全身を強張らせる。だが、それ以上は何も言わなかった。

 少し前までは強引に迫ると突き飛ばされていたのに、と四季は思った。

 紅葉のその些細な変化に、また四季の顔に笑みが溢れる。


「紅葉だけだ」


 心臓が脈打つ感覚が早い。重ねた手のひらからそれが伝わってしまうのでは無いだろうかと、少し恥ずかしくもなる。



 だが、もうこの手は離さない。



「前にも言ったろ。隣で戦う奴は、後にも先にも、紅葉だけ」

「……聞いてない」

「……そうだったか? じゃあ、今言った」


 そう言って、四季は握っている紅葉の手を優しく引き、そして正面から抱きしめる。

 腕の中に収まる紅葉は大人しくて、素直に四季に身体を預けている。その事実が、四季の心を更に浮立たせた。

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