第41話 素直になって 2

 抱きしめた紅葉の髪からは、いつものふわりとした香りが漂ってくる。元素を供給している際に香ってくる、甘い匂いだ。

 だが今日は、それと共に他の香りも入り混じり、四季の鼻を刺激した。

 少し重ための、だがしかし柑橘系の甘みも相まった、爽やかなものだった。

 不思議と、この香りを纏った人物に心当たりがある。

 四季は、腕の中に収まっている紅葉の顔を覗き込むように、互いの体の密着度を緩めた。


「そういや、昼間の男、誰?」


 少し不服そうに、そしてツンとした様子で四季は紅葉に問いかける。

 紅葉はキョトン、とした表情を浮かべて「男?」と首を傾げる。

 あんなに一緒にいたのに、本当に心当たりがない、という様子の紅葉の反応が、四季には少し恨めしく映った。

 だが、間違いない。この香りは、あの小柄な青年のものだと、四季の五感が言っている。


「とぼけんな。暁から紹介されていた男だよ」


 半ばやけになって、四季は仏頂面を隠さずに言った。

 紅葉は一瞬の間の後「ああ!」と何かを思い出したように声を上げた後、今度はくすくすと笑い出してしまう。

 その紅葉の様子を見て、更に四季の眉間に皺が寄る。そんなに面白い話はしていない、至ってまじめな話の最中だ。


「何笑ってんだ」

「だって……。まぁ、確かに男の子の格好してたけど……」


 紅葉は、今度こそこらえきれないと言った様子で、口元に手を当て、ふふふ、と肩を揺らしている。その様子に、四季は困惑の表情を浮かべた。


「あの子、女の子だよ?」

「……は?」


 紅葉はひとしきり笑った後、衝撃の事実を口にした。その言葉を聞いた四季は、ポカンと口を開けて、間抜けな表情を晒してしまう羽目になる。


「柊って名前の、女の子。私の護衛役で来てくれたんだって。ほら、四季たちは前の方に行っちゃったから」


 それに、お母さんに来てもらうわけにはいかなかったでしょ?といって、少し困ったように笑う紅葉。

 自分の置かれている状況、そして待遇に気づいていたのか、と悟った。出来れば、何も知らさずにいたかったが、やはり無理があったか。

 四季はその紅葉の笑顔に少し心が痛くなる。


「だから、暁兄ぃが連れてきてくれたの。男のフリした女の子。男の格好してたのは、他の家に対する牽制みたいなものなんだって」


 牽制。その言葉を聞いて、四季は納得した。

 確かに、紅葉の側についている者が女だとしたら、他の家の者にやっかまれる可能性もあった。

 それを見越して、暁は紅葉に男の様相をした者を手配した。

 四季は話を聞き、あの青年……の姿をした女子が何者なのか、なんとなく察しがついた。


 あれは、影武者業を生業とする一家の者だろう。所謂”しのび”と呼ばれる者達だ。

 四季もにわかに聞き齧った程度のため、どこに存在するのかは定かではないが、聞いたことがある。

 かねてより気位の高い者には、必ず影武者が存在するのだと。

 四季たち分家の者には縁遠いことではあるが、本家当主である安部統司には、そっくりな影武者がいるのだそうだ。そしてそれを担う者は、隠れて生活している者達、影と共に生きている者達。


 その存在が”忍”なのだという。

 あの柊という女子が何処の出自の忍かは分からないが、暁の手の者となれば、御門家とも多少なりとも縁があるのだろう。

 四季が考えふせっているのを見て、紅葉は声色明るく言葉を投げてくる。


「もしかして、妬いた?」


 紅葉がニヤニヤしながら、四季に問いかける。先程まで泣いていたのが嘘かのように、楽し気に笑っている。

 四季はなんだか面白くなくて、そんな紅葉の顎を柔く掴み、グイッと自分の目の前に紅葉の顔を近づける。


「ッ……」


 思いがけず顔を近距離で吐き合わせることになり、紅葉が息を呑むのが分かった。

 四季はニヤリと片方の口角を上げ、そして紅葉の耳元に自身の唇を寄せると、吐息を吐くように含み声で囁いた。


「気が狂うかと思った」


 少し盛りすぎた表現の気もするが、これは決して嘘ではない。最近は、紅葉に近い男が多すぎた。

 そうしてゆっくりと紅葉から離れると、そこには顔を真っ赤に染め上げた紅葉が、わなわなと唇を震わせながら、何かを言いたげにこちらを見つめている。


「~~ッ!! 変態!!」

「なんでだよ、なにもしてないだろ」

「なんかもう……、言い方がやらしい!」


 恥ずかしさの頂点に達しているのか、紅葉は大きく腕を振り上げて、四季に向かって振り下ろす。四季はそれを軽くいなし、そして紅葉に向かって問いかけた。


「そういえば、紅葉の言葉でちゃんと聞いてない」

「はぁ?」


 四季は、振り下ろされた紅葉の腕を掴んだ。突然の四季の行動に驚いて、紅葉は思わず「え」と小さく声を漏らす。


「俺の事、どう思ってるか」


 四季の偽りのない真っ直ぐな問いかけに、紅葉の心は大きく高鳴る。

 霞雲かすみぐも一つない、暗闇の中で光る月が、心の内を透かしているように、明るく二人を照らしている。

 この月の下では、何人たりとも偽ることをしてはいけない。そういう気分になる夜だ。

 紅葉は掴まれた腕をそっと解くように、四季の手に自分の手を乗せる。


 そうして、紅葉は四季への思いを、ぽつりぽつりと明かしていった——。

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