第42話 素直になって 3
♢ ♢ ♢ ♢
「……私、考えないようにしてた」
紅葉は、小さく呟くように話し始めた。普段の紅葉に比べたら比べ物にならないくらい控えめな声量だが、結界で守られたこの空間で、肩を寄せ合って腰を下ろしている四季の耳に届くには十分な大きさだった。
「お母さんや暁兄ぃからは恋愛は好きにして良いって言われてたけど、やっぱり家のことチラつくし、結婚だって、やっぱり色々考えちゃうでしょ?」
紅葉の乾いた笑いに、四季は無言で頷いた。四季も思い当たる節があるのだろう。その頷きが、二人の共通認識をぐっと近づける。
その四季の様子を見てホッと一息ついた後、紅葉はまた、言葉を紡いでいく。
「家のためになる人と結婚して、子供を作って……。いずれは前線からも離れて、家に入っちゃう。だから、それまでは家業を優先しようって思ったの」
これは全て、本音だった。
八咫烏の娘に生まれたからには、その運命を背負わなければならない。
「まぁ、私は元素も持ってないし、嫁の貰い手なんて限りなく限定されちゃうけどね」
紅葉が自虐気味に笑った。
「そんなこと……」
四季は反射的に反論の意を述べようとするが、四季を制止するように、紅葉はふるふると首を振る。
「事実だよ。四季から元素の供給がなきゃ、戦えないし。だから、四季にそういう相手が出来たら、もうすっぱり家業は辞めようと思ってた」
これは、前々から紅葉の中で決めていたことだ。四季に将来の伴侶が出来れば、元素の供給はもうおしまい。たとえどれだけ四季が良しとしても、相手の女の子のことを思うと、どうしても紅葉はそれが許せない。
——本当の理由は、もっと他にあるのかもしれないけれど。
紅葉はその思いを封じ込めるように、キュッと唇を結んだ。今、その理由を再認識してしまえば、心臓が悲鳴をあげることになる。
これまでも、八咫烏に属する者の中で生まれつき元素を持たない者はいた。その者達は、適齢期になると一族から離れ、人里離れた集落でひっそりと暮らしているらしい。
紅葉もいずれはここを離れ、一族から切り離されて生活することも、心のどこかで覚悟している。
「でもさ……」
紅葉は、言いづらそうに少し間を置き、そして少し口を尖らせた。
四季は何事かと、首を傾げて紅葉を覗き込む。
「どうした?」
紅葉はその四季の視線から逃れるように、四季とは反対方向を向く。
「最近、四季の考えてることがよくわからないし、なんか謎に不機嫌になったり怒ったりするし、いつの間にか私の知らない女の子と一緒にいるし……」
早口で捲し立てるように紅葉が言った。
四季が呆気に取られ、紅葉の方を横見見ると、明後日の方向を向いている紅葉の耳がほんのりと赤く染まっているのが見てとれた。
「……なぁ」
四季は、紅葉の心の内を知ってか知らずか、紅葉の名を呼ぶ。それは暗に、こちらを向け、という合図だと、紅葉は悟った。
「嫌だ」
「まだなんも言ってないだろ」
「四季の言うことなんて、大体わかる」
「奇遇だな。俺もだ。だったら俺の勘違いじゃないらしい」
そう言って四季は紅葉の肩を掴み、自分の方へと無理やり反転させる。以外にも紅葉の身体は素直に動き、呆気なく紅葉の浮かべている表情を見ることが出来た。
紅葉は恥ずかしさのあまり、四季の顔を見ることが出来ない。
そんな紅葉の顔を掬いあげるように、四季の指が紅葉の顎に当てられる。
「……それ、嫉妬?」
強制的に視線を上へとあげられて、紅葉の目に飛び込んできた四季の表情は、それはそれは意地悪に口元を歪ませていて。
だが、それとは対照的に、紅葉を見つめる瞳は、これまで見てきたどれよりも優しかった。
まるで、大切なものを慈しむかのようなその視線に、紅葉は目が逸らせなくなってしまう。
「バ……、……」
いつものように「馬鹿」と言おうとしても、上手く言葉が出てこない。その代わり、紅葉の眼からはポロポロと涙が零れ落ちてくる。
ギョッとした表情を浮かべる四季が、咄嗟に悪い、と謝ろうとしたところ、紅葉はふるふると頭を振り、その上から言葉を被せる。
「ううん、多分、そうかもしれない」
何故、涙が出るのかは分からない。四季に図星を刺されて羞恥からなのか、自分の気持ちを自覚してしまったからなのか。
だが、今はっきりと分かったことがある。
「なんか、自分が思った以上に、四季を誰かに取られるの、嫌なのかも」
自覚してしまったら、もうこの気持ちを止められずにはいられない。
これが独占欲なのかと、紅葉は心に抱えた黒い何かを持て余していた。だが、まだ恋なのか、それともただの昔からの旧友が他の人に奪われるのが嫌な、子供じみた感情かなのかを見極めるには、まだ少し時間が掛かりそうだけれど。
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