第10話 零れた本音

 四季に抱えられてやってきたのは、美術準備室。

 沢山の彫刻作品が所狭しと並べられている一角にある机の上に、四季は紅葉を下ろした。

 そうして四季は、内側からガチャ、と鍵を締め、ご丁寧に教室一帯に結界まで張っている。

 

「ここ、普段から鍵開いてるの?」


 紅葉は辺りをキョロキョロと見渡し、四季に問いかける。

 準備室は、美術部以外は基本的に立ち入り禁止になっているから、紅葉は準備室に入るのは初めてだった。

 物珍しいものが視界を刺激して、ちょっとしたお宝探しのような気分である。


「ちょっと昔、拝借してな」


 四季はそう言って得意げに口角を上げ、右手を顔の前に掲げて見せる。

 四季の右手の人差し指には、表面のギザギザが特徴的で、この学校の歴史を思わせるように、少し錆びてこげ茶色に偏食している小さい鍵が引っ掛けられていた。

 昔懐かしいフォルムをしているその鍵は、チャリ……と音を鳴らして小さいながらも存在を主張している。


「まさか、盗んだの!?」

「人聞き悪いこと言うな。に譲ってもらったんだ。たまに昼寝に使ってる」


 四季は悪びれる様子もなく、勝手知ったる場所という風にでそばにあった椅子に腰を下ろす。

 必然的に四季の顔が紅葉の視界の下へやってくる。

 普段四季の顔を見上げている分、この高低差が慣れずに、紅葉は少し気恥ずかしさを覚えた。


「で、今回は何があったんだよ」


 四季の問いかけに、紅葉はスカートの折り目がぐしゃぐしゃになるのを構わずに、膝の上で拳をギュッと握った。


「いつものやっかみよ。私が元素も何もない落ちこぼれなのに、宮内を護ってるから気に食わないだけ! 昔から変わらないよね〜」


 ハハハ、と紅葉は明るく笑っているが、対面に座る四季の表情は硬いままだった。

 夏樹とは今まで言い争いになることは多々あったが、高校に上がってからは手を挙げるような喧嘩はしたことがなかった。

 ようやくあちらも当主としての自覚が出てきたのだろうと、紅葉も安心しきっていた部分はあった。だから、今回の騒動で、少なからず動揺した。

 

 夏樹は男で、紅葉は女だ。

 幼い頃なら大して力の差もなく、お互い軽い怪我だけで済んでいたが、今は違う。

 やはり、単純な力だけでは、どうしても異性には叶わない。

 それが紅葉は少し、悔しいと、そして、怖い、と思ってしまった。


「……俺は術者としてのお前は、同年代の中でも1、2を争えるくらい、力があると思っている」

「え」


 突然四季が告げた言葉に、紅葉は目を丸くする。

 あの四季が、紅葉を称えるようなことを言っている、という言葉の音だけが、ただ耳の中に残り続ける。

 しかも、分家筆頭の次期当主候補である四季に言われているのだ。

 四季は、こういうことは滅多に口にしない。そして、思っていることしか言わないということは、これまでの長い付き合いで十分に分かっている。

 紅葉は、浮足立つようなその思いを押しとどめ、必死に平常心を取り繕った。

 その四季の言葉一つで、先程までの嫌な思いが一瞬にして吹き飛んでしまうほど、嬉しいという思いを。


「だが、女であるということだけは、忘れるなよ」


 四季は、少し気まずそうに下を向いて、紅葉の顔を見ずにそう伝えた。

 その四季の言葉や仕草で、紅葉の頭の中では様々な憶測がよぎった。


 ——女としての勤めを果たせと言う意味?

 ——女だから、男の力には叶うはずもないって?

 ——足手まといだと、思ったのかしら。


 いくら頭の中で問いかけてみても、その答えは返ってくるはずもなく。


「別に、あれくらい大したことないわよ。夏樹の言うことなんて、気にしてない」


 なおも意地を張る紅葉に向かって、四季ははぁ、とため息を吐いた。


「そうじゃない。術者としての力は上でも、単純な腕力じゃ、もう夏樹の方が上だって話だ」

「私だって、鍛えてるもん」


 その紅葉の言葉に、四季の右眉がピクリと動いた。


「……ほう?」


 四季は紅葉の左腕を無造作に掴み、グイッと自分の方向へと引き寄せる。急に引き寄せられた衝撃に抗えぬまま、紅葉は四季に体重を預ける形になった。

 そして、四季は紅葉の頭の後ろに手を添えて、がっちりと手のひらで紅葉の頭を覆った。


「じゃあ、この状態から抜け出してみろよ」


 ——これは、あれだ。昨晩の供給の時の、あの態勢そのまんまだ!


 紅葉は頭をググ……、と後ろに引き、そして近づいている四季の顔を離そうと、四季の身体を押し返す。しかし、四季はビクともしない。


「鍛えてるんじゃなかったのか?」

「卑怯よ……、こんな急に……!」

「これで分かったろ、もう昔とは違うんだ」


 そうして四季はそのまま、紅葉の方へと顔を近づける。


(え、なんで顔近づいてきてるの!)


「ちょ、四季!?」


 紅葉は必死に抵抗を見せるも、なおも四季は距離を詰めてくる。

 紅葉はギュッと目を瞑り、もう少しで来るであろう衝撃に身を固くした。

 しかし、紅葉の予想は外れて、おでこにコツン、という感覚があるのみ。

 そっと目を開いてみると、おでことおでこがくっついて、互いの熱が交じり合っている。そして、それと同時に感じたのは、優しく降り注がれてくる、四季の懇願するような言葉だった。


「……頼むから、無茶だけはすんな」


 この距離感じゃないと聞き漏れてしまいそうなほど、小さな声音だった。

 だがしかし、ここは二人っきりの美術準備室だ。

 時計の針の音がカチ、カチ、と規則正しい音を打つ中、四季の掠れた声だけが、二人の間をすり抜けて宙へと消えていく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る