第9話 助け舟
「……クソが!!」
夏樹はやっとの思いで紅葉の手を振り払うと、今度は紅葉の胸倉を掴み上げ、自分側に引き寄せる。引き寄せられた拍子に紅葉はバランスを崩し、思ったよりも二人の身体が密着してしまった。
夏樹の顔が、紅葉の目と鼻の先にある。今にも鼻の先端がくっつきそうなくらいの距離だ。
その距離感に、一部の生徒からは「ヒューゥ!」とヤジが飛ぶが、当人たちはそれどころではない。
「調子に乗るなよ劣等風情が……」
「ゥ……」
紅葉を掴んだ夏樹の腕の力がより一層強くなり、紅葉の喉元をグッと締め付けた。
夏樹と一緒に来ていた取り巻き達が二人を囲んでいて、傍から見れば仲のいい生徒同士が戯れていると思われても不思議じゃない。
そんな中、唯一四葉だけが、必死の形相で助けを乞うように、悲痛な声を挙げる。
「やめてよ夏樹くん! 紅葉ちゃん息が出来なくなってる!」
「うるさい! 黙ってろ!」
四葉の懇願する声も虚しく、更に紅葉を締め上げる夏樹の力は強まっていく。
このままでは、本当に意識が落ちる———。
「何やってんだ」
喉の奥から絞り出すような声が聞こえたと同時に、紅葉の体の自由を奪っていた力が緩まった。
夏樹に重心を預けていたこともあったため、紅葉は力なくその場に座りこんでしまう。
解放された喉に一気に酸素が入り込み、紅葉の肺を刺激した。過呼吸になってしまいそうになるところを、喉元を抑えて呼吸を整える。
「四季くん…」
四葉の泣き出しそうな声が紅葉の耳に届く。
ケホッと咳き込みながら上を向くと、そこには夏樹の腕を掴み、締め上げている四季の姿があった。
「……遅かったな、御門」
「燧石、相手は女だぞ」
「だからどうした?俺らの間では、男も女も関係ねぇだろ」
ハンッと笑い、夏樹は四季の手を振り払う。
四季は振り払われた手をだらんと下げ、俯いたまま動かない。
だが、下を向いている四季の表情を、対面に座っている紅葉からは十分に見えた。
そうして紅葉は、力なく首を左右に振り、必死に四季に合図を送る。
そう、この瞬間、紅葉だけが、心の中で焦っていた。
なぜなら、四季の表情は怒りも何もない、全ての感情が抜け落ちた”無”だったからだ。
(ダメ…、ここで暴れるな? 四季、分かってると思うけど、アンタ休みすぎて単位やばいからね…!?)
だが、その紅葉の祈りも虚しく、次の瞬間、四季は夏樹の肩を掴み、自分の方へと正対させたかと思うと、ぐっと握りしめた拳を、夏樹の鳩尾に目一杯の力で繰り出した。
ドスッ、と、鈍い音があたりに響いた。
「グフッ…」
夏樹はまたもや苦しげな声をあげ、その場に
冷や汗をかきながら何やら声に出しているものの、上手く言葉に乗らずに宙へと消えていく。
「そうだよなぁ。男とか女とか、関係ねぇよな。だがお前の父親はそう思ってねぇみたいだったぞ」
四季はそう言って、夏樹が蹲るその奥で座りこんでいる紅葉に手を差し出す。
「立てるか?」
「……んー、無理っぽい」
想像以上に気を張っていたらしく、足が小刻みに震えていて、まだ当分は動けそうにない。
紅葉は、ハハ、と軽く笑ってみるも、なんとなく四季の顔が直視できずに斜め先へと目線を向けた。
(あーあ、こんなことで動けなくなるなんて…情けない)
このまま座りっぱなしでも仕方ないので、どうにか立ちあがろうとして椅子に手を伸ばしたその時、紅葉の視界が急上昇した。
先ほどまでの冷たい地面の感覚はなくなり、足がぷらぷらと浮いて遊んでいる。背中に感じる固いぬくもりが、その浮遊力とは裏腹に、紅葉の身体をしっかりと支えていた。
「ぅわっ!?」
「歩けねぇんだろ。四葉悪い、後頼む」
「あ、うん!」
四季は、目を白黒とさせている四葉にそう告げ、紅葉を抱えてその場を後にした。
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