第15話 気付かなかった、激情 2

 どのくらいの間、そうしていただろうか。

 目が段々と暗闇に慣れ、ぼんやりとだが四季の表情が分かるようになってきた。


(……どうして、そんな顔をしているの?)


 確認できたのは、目を閉じて眉を寄せている四季の、苦しそうな顔。口は真横にキツく結ばれていて、何かを必死に堪えているようにも見える。

 紅葉は自身の右手を、そっと四季の頬へと添えた。

 夜風に長く晒されていたおかげで、手の先はキンと冷たくなってしまっている。

 その手の温度に驚いたのか、四季は少し目を見開いた。


「あ、ごめん。冷たかったよね」


 紅葉は慌てて手を引っ込めようとしたが、その上から四季の手を重ねられて、引こうにも引けなくなってしまう。


「……冷たすぎ」


 四季はフッと力なく笑うと、紅葉の上から身を引こうとした。また月が紅葉を照らし出し、その光の眩しさから紅葉は目を閉じてしまう。



 だから気付かなかった。

 四季が紅葉の首元辺りを凝視していることに。



「おい、それなんだ?」


 四季の質問が飛んでくる。

 紅葉は何のことか分からずに、うっすらと目を開けて不思議そうに四季を見上げた。

 訝し気に眉を顰めている四季の顔が目の前に飛び込んでくる。


「それって?」


 四季はチョンチョン、と自分の首元を指している。


(首?)


 紅葉は自分の手のひらでそっと、首筋を覆った。すると、鎖骨の少し下あたりに、擦り傷のようなかさぶたが出来ているのが確認できた。

 そこを撫でてみると、指が擦れてピリッとした刺激が走る。

 首辺りを怪我するなんて、理由は一つしか浮かばない。夏樹に胸倉を掴まれた時に出来たものだと、瞬時に理解した。

 制服は、第一ボタンだけ外していて、胸元はきっちりと衣服で覆われている為見えなかったが、狩衣姿は少し首元がゆるくなっている。

 しかも先程、四季に押し倒されてしまい、少し乱れてしまったのだ。

 見えてしまっても無理はない。


「昼に揉み合ったときかな。全然気付かなかった」


 怪我の状態を確認しようと、紅葉は持っていた手鏡で自分の首元を映し出す。

 なるほど確かに、うっすらではあるがかさぶたが出来ていて、その下の皮膚は赤くなってしまっている。

 だが、見た感じ本当に大したことがなさそうだった。傷跡にも残らないだろう。


「夏樹に付けられたのか」


 四季が心配そうに、だがしかし、少し怒気を孕んだ声でそう問いかける。

 ああ、また心配を掛けてしまった、と内省しつつ、紅葉は否定するように手を横に振って見せた。


「あ! これは四季に隠そうとしたわけじゃないからね。それにこれくらい、いつもの怪我に比べれば全然へーきだよ」


 今日、紅葉の怪我のせいで迷惑を掛けたばかりなのだ。

 またもや同じことをしてたまるか。そう思って、正直に話す紅葉のその勢いに、四季は呆気にとられた様子で目を見開き、そしてため息をついて「分かってる」と返事をした。

 とりあえず、怒られることはなさそうだ、と紅葉は胸を撫でおろす。

 だが、分かっていると言ったにも関わらず、目の前の四季は少し不服そうな表情を浮かべている。


「……本当に分かってくれた?」


 不安に駆られる紅葉に、四季は少し間を置いて「はぁ……」と深くため息を吐き、ガシガシと頭を掻いた。


「分かってるっつの。ただ……」


 ただ、の後の言葉は告げぬまま、チラリと紅葉の方を盗み見て、そうしてまた一つ、大きなため息を吐く。そんなに紅葉の方を見てため息を吐かれてしまうと、いくら紅葉でも気分のいいものではない。


「なに? 人の顔見てため息つくなんて、超失礼なんだけど」


 ジトリと四季を睨む紅葉に、四季は難しそうに眉を潜めて、なんと言おうか言いあぐねる。


「いや、なんつーか、上手く言えねぇけどさ……」



 ——他の男に跡つけさせてんじゃねぇよ。


(なんて言えるか)



 四季はその心の中の声を、頭を振って打ち消す。

 紅葉と四季は、互いに恋人でも何でもない。そんな独占欲など、感じるべき相手ではない。だが、この自分の心の落ち着かせどころが、今の四季には分からない。


 ふと昔、暁に言われたことを思い出す。

 あれは中学卒業した後、この門の上で二人で他愛もない話をしている時だった



『男は”欲”を上手く発散しないと、いずれ自分の身を滅ぼすよ。それがどんな欲でもね」



 あの時、暁の言っている事が、いまいち理解できなかった。だが今は、少し分かった気がする。

 

(これが、欲……)


 今までそれに目を背けて、見て見ぬふりをしてきた。

 だが今この瞬間、紅葉のその身体に残った他の男の跡を、全て消してしまいたい。上書きをしてしまいたい。そんな、衝動的な欲が四季の身体を疼かせる。

 だが、そんなことをしてしまえば、きっと今のこの関係が崩れてしまうだろう。

 気楽に側にいることのできる、それが許された幼馴染みとしての立場。


 ——この心地よい関係性を、壊したくないと思っている自分がいる。

 

 だから今日も、与えられた責務のフリをして、紅葉の身体に唇を寄せるのだ。



 四季は、離れた紅葉の身体を再び引き寄せ、紅葉の襟部分を人差し指で少し引いて、露になった鎖骨下、赤くなっている傷跡にそっと唇を押し当てる。


「わ」


 突然振ってきた柔らかな感触に、紅葉はグッと身体を固くした。

 四季の柔らかな髪が、紅葉の顔を撫でてくすぐったい。

 だが、触れた四季の唇が少し下へズレれば、紅葉の敏感な所に触れてしまいそうで、上手く身動きを取ることができない。


 次の瞬間、唇で触れられているところからポウ……とあたたかい光があふれ出てきて、紅葉の全身はぬくもりに包み込まれた。

 あたたかくて心地よいその感覚が、だんだん意識を曖昧にさせる。


「ん……」


 無意識に漏れる吐息が、まるで自分のものではないみたいだ。自分の声色が辺りに響き、羞恥心でいっぱいになる。

 だが、そのふわふわと心地よい感覚に抗えぬまま、とうとう自分の姿勢を支えきれなくなり、紅葉は四季の肩口をギュッと握った。


 もう十分身体は元素で満ちているはずなのに、なかなか四季は離れようとしない。いつもはこんなに長く供給は行わない。

 元素が身体に満ちる、そのすんでのところで終えてしまうのが常で、これ以上の供給は未知の領域だった。


「四季ッ……、もうやめ……」

「もう少し」


 四季は、紅葉の傷跡を軽く舌で舐めとった後、皮膚を吸い上げるように口づけを繰り返す。吸い上げる度にヂュ、と水音が鳴り、鼓膜を震わせる。

 今まで感じたことのないぬるりとした感触に、紅葉の背中がゾクリと栗立った。


「んぅ……、ダメ……」


 紅葉の必死の抗議の声が届いたのか、四季はようやく唇を離し、ぐったりとしている紅葉を見た。

 紅葉は涙目になりながら、顔を歪ませて恨めしそうに四季を睨みつけている。


(……ヤバいな)


 それが返って男の神経を逆なでると、恐らく紅葉は分かってない。

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