第14話 気付かなかった、激情
♢ ♢ ♢ ♢
今宵も爛々と輝く美しい月が、霞んだ雲の隙間から、こちらを見下ろしている。
紅葉は、またもや門構えの上へ座り、自由になった足をプラプラと遊ばせながら、輝く月を見上げていた。
門の上から見上げる月は、手を伸ばせば届きそうなほど近くにあるようにも思える。
だがしかし、その反対にどれだけ近づきたいと望んでも絶対に届かないその現実が、まさに世間様と八咫烏のようだと、少し寂しくも思えた。
(今日はいつにもなく騒がしい一日だったな)
紅葉は目を閉じて、ふぅ、と息を吐く。
いつも、こうして任務の前にその日あった出来事を振り返るのが、紅葉の日課だった。
特に、また夏樹たちにやっかまれたことが気がかりだ。最近は落ち着いていたのに、なぜまた急に紅葉に食って掛かるようになったのか。
(やっぱり、もうちょっと対人訓練増やした方がいいかしら)
最近は弓の訓練ばかりで、めっきり体術指導を受けていない。
ここらで一旦、暁に訓練を申し入れた方がいいかもしれない。
しかし、最近は暁も大学にお勤めに奔走しているのか、実家に帰ってくることも随分となくなってしまった。
寂しい気持ちは勿論あるが、これは仕方のないことだ。
そうしてもう一つ、紅葉には、今日一日ずっと脳裏にこびりついて離れない光景があった。
四季と、あの女の子の姿だ。
それこそ違う角度から見れば、二人は恋人同士だと言われても違和感がないくらい、物理的に近しい距離にいた。
——なんで、こんなに胸がざわつくんだろう。
紅葉は鳩尾あたりを手で軽く撫で、大丈夫、と言い聞かせるように深呼吸をした。
四季とは、ただの幼馴染みだ。相手のプライベートに関して、とやかく言う筋合いはないし間柄でもない。
だがその事実が、少し寂しいと思ってしまうくらいには、四季に対して情があるのかもしれない。
それが何の情なのか、今の紅葉には検討もつかないけれど。
そこまで考えて、紅葉は再び瞳を開き、月を真っ直ぐ見上げた。
先ほどまでうっすらとあった霞雲は風に吹かれたのか、今は煌々と輝く月のみが紅葉を見下ろしている。
まるで心の内を全て見透かされているようで、紅葉は目が離せなかった。
「なにやってんだ」
紅葉がボーッと物思いにふけっていたところで、四季が隣からひょっこりと顔を覗かせた。
輝く月しか見えていなかった紅葉の視界に四季のご尊顔が割って入り、神秘的な光をすっぽりと隠してしまう。
「もう!せっかくお月見してたのに」
「へぇ、一人で? 寂しい奴」
四季はそう言って紅葉の隣に座り、ゴロンと寝転んだ。
身を倒した拍子に四季の狩衣が紅葉の手の上にかかったが、それが肌寒い季節の今、少しの温もりを与えてくれて心地いい。
「ほんと、家業さえなければ、きっと私だって誰かと……」
一緒に月を見上げていたわよ、と言いかけて、紅葉は口を噤んだ。
もしそれが四季以外の誰かだったとして、本当に自分は心の底から笑って月を見上げることができるのだろうか。
今は、四季以外の誰かが自分の隣に立っていることすら、想像ができない。
そもそも、結婚して誰かの妻になると言うビジョンが、これっぽっちも沸かないのだけれども。
四季は寝転んだ体勢のまま、黙り込んでしまった紅葉をちらりと横見見る。
『家業さえなければ、私だって誰かと』
その先の言葉は、紅葉が口に出さなくたって分かる。
——紅葉の隣に、自分以外の誰かがいる。
それは四季が、今日の集会の場で散々想像した、違和感しかない光景だった。
(今日は厄日か……? 今まで考えてなかったことが次々と)
いや、もしかしたら、意図的に考えようとしなかっただけなのかもしれない。
考えてしまうと心が疲れて動けなくなってしまうから、遠ざけて、この手の中にある大事なものだけを守ろうと歯車を調節してきた。
だが今は、規則正しく動かされていた
近く、起きてしまうかもしれない未来。可能性の一つとして考えてしまったが故に、頭の中に居座って消えてはくれないもどかしさ。
いずれ紅葉も家庭を持ち、一族繁栄の為に子を宿す。それが決して本人が望まない相手だとしても、そういう
頭では分かっている。歌うように、そういうものなのだと、誰かに告げることだって簡単に出来る。
だが、理解は出来ていても、今の四季には到底受け入れがたい
「……ま、お前はまだそういうのは早いよ」
「え?」
「まずは家事をマスターしなきゃな」
そんな自分の心に蓋をして、四季はまた、隣にいる紅葉に憎まれ口を叩く。
四季の言葉に、いつもみたいに反論をしてくるかと思ったが、今日の紅葉は少し違った。
ただ隣でボーッと月を見上げている。
寝ころんでいる四季からは紅葉の表情は見えないが、月明かりに照らされたその姿は輪郭がぼやけていて、淡く、吹けばどこかへ消えてしまいそうなくらい儚かった。
「そうだね……。そろそろ本気出さなきゃ」
おかしい。いつもなら「うるさい!」とか言いながら、拳の一つや二つ、飛んでくるはずなのに。
今日はやけにしおらしいではないか。
四季は、いつもとは違う反応を見せた紅葉に言い当てならぬ焦燥感を感じ、咄嗟に倒していた上体を起こして紅葉の腕を掴んだ。
今、この手を逃してしまえば、どこか遠くへ行ってしまう気がしたからだ。
「わ……、どうしたの四季」
突然の四季の行動に、紅葉は目を丸くしている。その双眸は四季に向けられていて、先程までの輪郭の薄さはどこかへ行ってしまった。
だが、四季は言いようのない感情の行方を、なおも紅葉に向けようとしている。
「お前こそ、どうしたんだよ」
「なにが?」
「いつもなら言わないだろ。そんな、本気出す、とか」
まだ安部統司が言い出した”宴”の話は、紅葉の耳には届いていないはずだ。
なのに、そんなことを言い出すなんて思ってもみなかった。
また、歯車がギリギリと音を立てて、運命の速度を早くする。
「まぁ、色々思うところもあるしね。そりゃ今はこの仕事が最優先だけどさ。将来的には……ッ」
紅葉が言い終わらないうちに、四季は紅葉の腕をグイッと引き寄せ、その身体を無理やり押し倒した。
だが、紅葉の身体が痛くないように、片腕全体で身体を支え、その手のひらは紅葉の頭をすっぽりと包んでいる。
そのため、四季が紅葉を覆い込むような体勢になっていて、二人の距離はわずか数センチといった所だった。
サァ、と肌寒い風が、二人の間を縫うように吹き抜ける。
「し……、き……?」
いきなり視界が反転した困惑と、いつもとは違う四季の様子に、紅葉は喉から絞り出すように声を発した。
そうして、逆光によってよく見えない四季の表情を、目を凝らして必死に確かめようとする。
「……変わらなくていい」
ポツリと呟かれたその四季の言葉が、紅葉の鼓膜を震わせた。
それは、今まで聞いたことが無いほどに静かで、だがしかし痛みを隠した叫びにも聞こえた。
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