第33話 混沌する宴

 紅葉は階段を上り切った後、目の前にいる人のその存在感に、思わず息を呑んだ。

 黄金色に輝く立派な着物を羽織ったその人は、伏せていた瞼をゆっくりと上げて、集まった姫君たちを、一人一人ゆっくりと見た。

 まるで品定めされているようなその視線に、少しこそばゆい感覚を覚える。だが、誰も微糖だにせず、安倍統司のその行動をただ見ているのみ。


(この人が……、安倍統司様……)


 幼い頃、任命式の際に一度だけ姿を見たことはあったが、紅葉が座っていた場所はだいぶ遠く、かつ安倍統司本人もまだ当主になる前だったため、彼もまた前当主の後ろに控えていたのみだった。

 あの頃の手の届かないお方が、今はこんなにも近くにいる。手を伸ばせば届きそうなほど、近くに。


「……よく参った。もうよい、下がれ」


 安倍統司は、一通り目で追っただけで、すぐさま再び瞼を伏せる。

 あまりにも唐突な出来事に、その場にいる姫君の誰もが、ポカンとした表情を浮かべている。


「さ、皆様こちらへ」


 少年が端の方で手招きした。

 それに応じて、先に階段を登った姫君から、また順番に元来た道を戻っていく。


(なにこれ、せっかくここまで来て、これ?)


 紅葉は少し口を尖らせ、眉を寄せてちらりと安倍統司の方を見る。

 彼の瞳は伏せられていたはずなのに、紅葉が視線を残した時には何故か瞳を開けていて、紅葉とバッチリ、視線が合ってしまった。


(あ)


 と思った時には、すでに遅い。


「何か?」


 脈絡もなく、淡々と安倍統司が問うてきた。

 びっくりして思わず声を上げそうになったが、それを紅葉は必死で堪える。

 ここで動揺を見せてはなんだか負けたような気がして、紅葉はこれまでの会話で姫君たちがそうしていたように、口元に手を当て、ほほほ、と笑いながら答えた。


「いえ、何もございません」


 そうして、再び身を翻して、姫君たちの背を追っていく。

 胸がドッドッと高鳴っていて、シャンと背筋を伸ばして、周囲に目もくれずにただまっすぐ進むのがやっとだった。


 席へと戻ると、今度はより一層、姫君たちのお喋りが爆発する。


「ちょっと……当主様、格好良すぎない!?」

「分かります! ミステリアスでなんて冷たい瞳をされているのかと思いましたわ!」

「彼の方の妻になんて、おこがましいと思いましたわ……」

「やっぱり私たちには、普通の殿方の方が良いですわね」


 口々にそう言う姫君たちは、一斉に紅葉の方を見やる。

 紅葉が何事かと目を見張っていると、ズイズイと詰め寄るようにまた言葉を連ねてくる。


「紅葉様、士門家次期当主様はもう許婚とかいらっしゃるのかしら?」

「是非私にもお聞かせ願いたいわ」

「そういえば、御門家次期当主様とも、仲がよろしくいらっしゃるわね」


 なんとゲンキンなことだ。皆、本家当主様のことは諦め、もう次のことを考えている。


「ええ〜、どうでしょうねぇ……」


 紅葉も、暁のそんなこと知る由もないし、四季のことなんかもっと分からない。

 ふと紅葉の頭の中に、先日、四季と女の子が渡り廊下で二人きりでいた時の光景が蘇ってくる。

 その光景は、紅葉の心に影を落とし、ちくりとした刺激を残していく。


「紅葉様、大丈夫ですか?」


 わずかに紅葉の表情が曇ったことを察したのか、柊が小さく耳打ちをした。

 紅葉は心配をかけまいとニコリと笑い、そしてその場から腰を上げた。


「……あの、わたし、少し風に当たって来ますね」


 紅葉はそう言って、そそくさとその場を後にした。




「はぁ〜……」


 ようやく解放された、という安堵感が一気に押し寄せ、紅葉は木で作られた椅子の上に腰を下ろした。

 紅葉がやって来たのは、会場を出て横脇に逸れた小道を進んだところにある、ウッドデッキだった。

 屋根も備え付けられてあるデッキには、四方にランタンの灯りが点けられていて、夜でも十分に足元が照らされている。

 敷地内にこのような休憩場所があるなんて思いもしなかった。しかも、全て丁寧に手入れされていて、虫の一つも出てこない。

 紅葉の屋敷でさえ、小さな虫をちらほらと見かけるのに、この敷地の管理者は優秀だと、紅葉は思った。


 紅葉はふと、夜空を見上げた。

 周囲が木々で覆われている割には、空が十分によく見える。ここが山頂付近だからだろう。都心からは決して見えることのない星たちが、縦横無尽に散らばっている。


「綺麗……」

「ここは穴場だろう」


 急に、背後から声が聞こえた。

 驚いて勢いよく振り向くと、そこにはなんと、先ほど謁見したばかりの安倍統司が、凛と立っている。


「と、当主様……!?」


 紅葉は座っていた椅子から慌てて立ちあがろうとした。だが、気を抜いていたおかげでうまく足を踏ん張れず、しかも着物の裾を踏んづけてしまっていて危うく前に転びそうになってしまう。


(ッ……、倒れる!)


 衝撃に備えてギュッと瞳をつぶるものの、構えていたはずの衝撃は、一向にやってこない。

 代わりにやって来たのは、身体が柔らかい何かにポスっと収まる感覚。

 そしてその後、頭上すぐ近くに、再びかのお方の声が聞こえてくる。


「気をつけろ」


 紅葉は、まさかと思ってそろりと目を開く。すると、安倍統司の整った顔がドアップに映り、思わずその胸を押して距離を置いてしまった。


「あ、の、ありがとうございます! すみません、粗相ばかりで……!」


 腰を直角に曲げて謝罪する紅葉を見て、安倍統司は淡々と告げる。


「なるほど、本来はそういう性格なのか」

「へ?」

「先ほどの返しは見事であったと思ったが……。取り繕うのが上手いな」


 紅葉はその言葉を聞いて、つい先刻、彼に対して負けん気を発揮してしまったことを思い出した。


「……ああ、そういえば」


 もう顔を突き合わせることも話すこともないと思っていたので、咄嗟に対応できたことだ。分家筆頭の娘として、恥じないように取った行動。

 だがもう今となっては、それも所詮はハッタリだと言うことがバレてしまった。


「当主様、どうしてこんなところへお一人で?」


 このままだとまたボロが出ると思い、紅葉は無理やり話題を変えようと早口で問いかけた。


「少し疲れた。ここは休むには最適だと思ったが、まさか先約がいたとは」


 ああ、安倍統治は先ほどの長きに渡る謁見作業に疲れ、一人になろうとここへと来たら、先約である紅葉がいたと。

 ……これでは、紅葉はお呼びで無いただのお邪魔虫だ。


「なるほど、では私はこれで……」


 安倍統司の方を極力見ないように頭を下げ、そそくさと紅葉が退散しようとしたその時。

 安倍統司の隣を通り過ぎようとしたところで、急に腕を捕まれ、足を進めることを阻まれた。

 え、と紅葉が顔を上げたところで、唐突に問われる。


「それは誰からの貰い物だ?」


 ——それ?


 紅葉が反射的に安倍統司の方を見ると、その視線は紅葉の胸の辺り、丁度前襟が交差している付近で止まる。

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