第29話 宴、開幕 3
「浮遊の術ですよ。この手で触れたあらゆるものを無重力化する。これなら、菫さんも苦なく階段を登れるでしょう」
暁は、落合夫人にも同様に手を差し出した。落合夫人は一瞬グッと押し止まったが、チラリと暁の背後にある階段を盗み見た後、ため息をついてその手を取る。
「……ッ」
落合夫人の身体も、先ほどの菫と同じように、光に包み込まれる。驚いた表情を浮かべた落合夫人だったが、光がだんだんと淡くなってゆくとともに、その表情もやがて元の顰めっ面へと変化していく。
「……ふん、助けたなんて、思わないでくださいな」
落合夫人はそう言うと、暁の手を振り解き、フイッと顔を背けてスタスタと先へ行こうとする。
「すみません、お母様が……」
落合夫人に聞こえないように、菫は暁へと謝罪の言葉を口にする。菫は眉と目線を下げていて、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
母親の無礼な行動に、子供が謝礼を入れるような時代になろうとは。世も末だ。
「お気になさらず。僕も気にしてませんよ。さ、行きましょうか」
暁はそっと菫の手を引き、階段へと進んだ。
その様子を階段の少し先で見守っていた紅葉と暁は、人知れずホッと胸を撫で下ろした。
問題なく、とはいかないと思うが、無事に暁が場を収めたらしい。
「なんか、心配なさそう……?」
「だな」
二人で目を合わせて、フッと笑い合う。そうして、また一歩足を前に踏み出し、ずんずんと上へと登っていく。
「ねぇ、四季。そういえばさ、この間のことだけど……」
紅葉は階段を登りながら、四季に問いかける。歩きづらいはずなのに、未だ息のひとつも切らせていないその様子を見ると、流石だてに普段走り回ってないな、と四季は心の中で感心した。
「この間?」
「うん、ほら、あのトキって人のさ」
紅葉の言葉を聞いて「ああ」と納得した。
一応あれから暁より一通りの事情は聞いたらしいが、未だ不明瞭なことが多く、この一件はしばらく暁持ちになっている。
紅葉からは当時の事情を聞いたらしいが、それっきりだ。だが、これは何も話さないのではなく、情報が少ないため話せないのだ。
「どうした?」
「あの日、結界って何ともなかったよね?」
その紅葉の言葉に、四季は軽く首を縦に振る。敷地内に張られている結界に揺れはなかったし、四季の張った結界に関しても同様だ。
「一般人が入ってきた時さえ反応があるのに、本当に不思議だよね」
「そうだな。……別の惑星のやつだったりな。宇宙人とか」
「ええ? SF映画の見過ぎじゃない?」
なんて軽口を叩いていると、あっという間に頂上へと着いてしまった。
階段を登り切り、そこへ建てられている巨大な鳥居をくぐる。
「おお〜……」
隣で紅葉が、感嘆の声を上げた。四季も、思わず息を呑む。それほどに、壮大な光景が広がっていたのだ。
目の前には、おそらく安倍統司の居住空間だと想定される立派な本堂が、奥行きがどこまでも続いているかのようにどっしりと構えている。
その手前の、今自分たちがいる場は恐らく庭なのだろうが、そこには赤い絨毯がびっしりと敷き詰められていて、招待客らしき人々が何名か談笑しながら腰を下ろしている。
「外でやるのね、なるほど、それで宴……」
外といえばこの時期は夜の山は冷え込むのだが、全然そんなことはない。きっとこの空間だけもうひとつ結界が張られていて、結界内の空調管理がなされているのだろう。
これを安倍家の人間が全て一人がやってのけている。さすがとしか言いようがない。
「あ、紅葉ちゃんと四季くんだ」
呆気に取られている紅葉と四季に、誰かが背後から声をかけた。
背後を振り返ると、少し肩で息をしている四葉が、こちらに向かって手を振っている。
「四葉」
「もう参っちゃうよねぇ、この階段!」
着物の中が蒸れちゃうと言って、パタパタと手で顔を仰ぐようにして涼を求めている。
「あはは、一人で登り切っちゃったの?」
その紅葉の問いに、背中を反って少し威張るようにして、四葉は胸を張った。
「当然! こんなのでへばってらんないよ〜」
人のことは言えたものではないが、図太い友人を持ったものだと、紅葉は笑った。
それは四季も同じなのか、腰に手を当てて呆れたようにため息を吐いている。
「いつも思うが、本当に肝っ玉座ってるよな」
「四季くん言い方〜! か弱い女の子より何倍もいいでしょ」
ね〜、紅葉ちゃん! と、四葉から同意を求められる。紅葉からしてみれば、四葉も十分可愛らしい。
紅葉は四季の方を向き、少し不服そうに言った。
「四葉は可愛らしいでしょ。少なくとも、私よりも何倍もね」
いや、そんなことない、と指揮が反論しようとしたところで、紅葉が後ろからやってきた暁に名前を呼ばれた。どうやら、暁と落合夫人、そしてその娘も、階段を登り切ったらしい。
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