第34話 嵐の前のなんとやら、だ




 場所は変わり、ウメ達の隠れ家で――



「……」

「何をソワソワしておる。今夜のことを懸念するその心持は理解できようが、焦る必要は無いじゃろうて」

「そ、それはそうですが、っ……」


 落ち着いた様子でゆったりと席に座るウメと対照的に、プロトタイプは先程から部屋の扉の前を行ったり来たりしている。そのことに眉をひそめることなく、ウメは彼女に指摘した。

 咄嗟に肯定してしまい、その直ぐ後に否定しようとするも一度口に出して認めてしまったことであるし、尚更我が身から出た言葉ということもあって自覚せざるを得なかった。


「帝城に侵入する緊張も、そなたの言う妹達への憂慮もあろう。だからこそ、心は常に平静を保っておらねばならぬのではないか?」

「……そう、ですよね」

「まぁしかし、何か別のことをするのが一番の気晴らしじゃ。折角帝国へ訪れたということで密かに仕入れた、この珍しい豆を使って淹れてやろう」

「あるがとうございます。……ウメ様」


 穏やかな口調のウメに諭され、止まらずにいた体を落ち着かせるプロトタイプ。


――だが、止まる位置が悪かった。



「ただいm――」

「アイタッ⁉」


 右往左往していたドアの前。丁度入り口の正面に体を置いていたために、翔真が開けたドアが彼女の頭に勢いよく直撃した。

 ゴン、と美しいまでに聞こえる音を響かせ、頭を抑えながら痛みに体を震えさせるプロトタイプ。


「あっ、すまない。悪かった」

「〜〜っ、いえ……そこに立っていた私に責任がありますので」


 膝から崩れ落ちた彼女を助け起こし、翔真は改めて言う。


「ま、まぁ……ただいま、かな」

「やけに来るのが早かったの。まだ夕方であるが?」


 ウメがふと窓の縁を見れば、茜色の光が差し込んでいた。隠密のことを考えるならば、翔真が来るのは深夜かその一歩手前の時間帯だろうと予想していたので、見事に裏切られた気分であった。

 訪問が早いに越したことはないが、何か予定外の出来事があったのだと確信し、首を振ってから質問を変えた。


「いや――何があった?」

「計画の変更を伝えに来たのさ。……ウメは待機じゃなく、今からアマイモンに連絡を取ってくれ。伝達内容と、変更されたその後の計画はこの紙に書いてある」


 翔真は筒状に丸めた手のひらサイズの紙をウメに渡す。

 渡されたウメは先程の穏やかな様子から一変、主人の命令を忠実にこなす部下の目に変わっていた。

 計画変更の理由について無理に尋ねるわけでもなく、ただ冷静に、翔真の命令に従う目に。



「それとプロトタイプ――」


「はい?」


「――いや、【】」



 突然に翔真の口から飛び出た、聞き慣れない人名。

 その言葉を向けられたプロトタイプはビクッと体を大きく揺らした後、微塵も動かなくなってしまった。

 だがそれでもなんとか口を動かし、次の言葉を編み出す。


「……な、何故……その名を知っているの、ですか……?」

「お前の本名、というかもとの名前だろう。嬉しいことに、から教えてもらったんでね。当然、お前達の事情も把握済みだ」


 何もかもを見透かすような翔真の視線に射抜かれ、やはり口を閉ざしてしまうも……なんとなく納得してしまう自分に、納得がいかないプロトタイプセリア=オルフェニカ

 それでも変わらず、彼は自身に味方し続けてくれている。セリアの真実を知っても尚、変わらず対応し続けてくれている。

 そのことが酷く……偽物の心に響いた。


「それで主様よ。最終的な目標は、何を目指す」


 主人のやり取りに対し、部下は疑問を抱かない。

 ただ、任された仕事の究極的な到達点が何なのかだけを問うた。


 翔真はニヤリと笑い、笑っているのに変わらない口調で答える。



「――今日この夜、帝国には滅んでもらうのさ」







 日はすっかり沈み、再び何もかもを覆い尽くす闇に包まれた夜の到来。

 ドクターは秘密の研究室で、自身の研究結果をじっと眺めていた。


「……あぁ、何度見ても素晴らしいな」


 緑色の液体の中で起動される時を待っている、かわいいニンギョウ。

 全く同じ見た目で、それが58体。

 その一人一人が並の騎士百人分に匹敵する力を保有している。


「私の偉大な研究結果……これも全て、この神書のおかげだ」


 ドクターが胸に抱えるその本は、本と言えないほどに焼け焦げている。

 裏表紙はなく、表紙のみ。肝心のページも、たった数枚が背にくっついているだけだった。

 だがその数枚に含まれる情報だけで、この世の技術を一変させかねないほどの影響力を持つ。現にドクターは何年もかけて本の内容を読み解き、手に入れた情報を使い、帝国一の研究者という栄誉を手に入れた。


「研究結果を発表……いや、それだけでは飽き足らないな。この帝国さえも……」


 ドクターがポッドを見つめるその目は、見事な狂気に満ちていた。

 その目は何を見据え、何を考えているのか分からないが……きっと碌でもないことなのだろうと予感させる。


 ドクターは本を机の上に置き、ふらふらと何かに取り憑かれたかのようにポッドの

側に近寄った。ガラスを指先で撫でながら、その目は恍惚としている。

 机の上に置かれたことで、表紙が露わになる。焼け焦げて文字が読みづらいが、その表紙には、確かにこう書かれていた。


――【紅印魔導書】と――







 場所は変わり、夜の闇に包まれた街の中を二人の男女が歩いていた。


「……翔真様、こちらは帝城へと向かう道に逸れています」

「知ってる。でも先に寄るところがあるんだ」


 翔真が先導し、その後をプロトタイプが続く。てっきりそのまま帝城に向かうと考えていたので、拍子抜けした気分である。


「――ここだ」

「ここは私が翔真様に救けていただいた場所、ですね」

「正確には、この建物だ」


 翔真は古びた建物の扉を開ける。ギィと鈍い音を響かせながら開いた扉のくぐり、翔真は一つの部屋に向かって迷わず進んでいく。

 そして目的の部屋の前で立ち止まり、再度扉を開けて中に入ってみれば……


「ッ! この方は、逃げる私を追っていた……」

「そそ。帝国暗部組織【イビル・クロウ】の構成員だ」


 それは翔真によって囚えられ、尋問により情報を引き出され、外出の際には偽装の肉袋として使われた、【イビル・クロウ】の男だった。

 この二日間に受けたストレスにより、かなり衰弱している。


 翔真は怯える男の顔をじっと見つめ……ナイフで首を掻っ切った。

 かつて男に情報を吐かせるための見せしめとして、男の仲間の首を盛大に切ったときとは違う。血は吹き出ず、静かに大量の血を流しながら絶命した。


「……えっ」


 眼の前で突如行われた狂業に、プロトタイプは唖然とする。

 人の死に忌避感を覚えないようにプログラミングされているために、殺人について怯える様子はない。

 だがあまりの出来事に、絶句しているだけだ。


 言外の質問に対して答えるように、翔真は言う。


「侵入のために、こいつに変装しようとしてるんだ。で、用済みだから殺しておこうと」

「な、何もそこまですることは……」

「どうせ朝日が姿を現せば、この国は終わってるんだ。こいつも知り合いが殺される様をむざむざと見せられたくないだろうよ」


 その時、男のポケットから無骨ながらも色彩整ったペンダントが落ちる。衝撃で中が開けば、男と仲睦まじく抱き合っている女性の姿が写っていた。

 その写真に一瞥をくれると、翔真は部屋を出る。




「……大切なものがあるなら、もっと命を大切にしろよ。僕なんかに出会う人生じゃなく、苦しくても幸せな日々を――」



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