第29話 美味しい料理が食べられるってのは、幸せなことだ


 時刻は変わり、日がどっぷりと沈んだ頃。


 所用を済ませた翔真は【空間魔法】を使い、昨晩助けた少女を転送したように、今度は翔真自身が王国へ転移する。

 より正確に言えば、ウメの家の前へ。【気配遮断】を掛け済みなので一般人に見られる心配はない。


 視界が一瞬で切り替わり、宿の部屋からウメの家のドアが目に映った。

 家の中に直接転移するのが一番手っ取り早いのだが、それをしてしまえばどことなくウメに失礼な気がするし、何より突然転移するのは彼女のプライバシーを侵している。如何に相手も配下だと認めている間柄であれど、そこには一定の敬意を払うべきだ。

 彼女は翔真に生き方を示してもらい、また翔真もウメの純粋な意志を尊敬している。ならば互いを下に見合うことなど起こるはずもなく、一ヶ月近くとはいえ理想的な関係を築けているのだ。

 これからも互いに敬意を持って接し合うことを心に留めながら、木目が綺麗なドアをコンコンと叩く。暫く待つと、ガチャリと良い音を立ててドアが開けられた。


「わぷっ!」

「主様よ、会いたかったのじゃ!」


 ウメの豊満な胸に顔を沈められ、抵抗するもウメの膂力の方が圧倒的に高く、叶わずにいる。繰り返して言うが、ウメは翔真よりも力が強いため、この顔を胸に埋めている状況においても同じことが言える。

 つまり、物理的に息ができなかった。


(しっ、死ぬ! いやだこんな死に方は嫌だッ!)


 まだ魔王軍の勝利も、人類側の敗北も、自分の目的が達成されるところも見ていないのに死ねない。

 火事場の馬鹿力と言うべきか、死に際に発せられる爆発的な力により、なんとか頭を下に滑らせそのまま崩れ落ちた。まるで三時間ぶりに息をするかのように、酸素を取り込みまくる。


「おや、主様への愛が強すぎて思わず殺してしまうところじゃった。大丈夫かの?」

「サイコパス発言過ぎる……。で、この件については後で説教するとして、先に送っておいた女の子はどうしてる」


 肩を貸してもらいながら立ち上がり、問いながら家の奥を覗き込む。


「今は寝ておるよ。本人は休眠状態と――そうじゃ主様、頼みがある。火急の用じゃ」

「取り敢えず家に入れてくれ。夜に騒いだら周りに怪しまれる」


 呼吸が落ち着いたのを確認し、ウメの導きで少女の元へ案内される。

 保護した少女は、ベッドですやすやと眠っていた。先程ウメが、少女自身が休眠状態と言っていたのだと話していたが、この様子を見るに寝ているようにしか思えない。


「ほれ、起きろ。そなたが所望しておった、魔力を多く持つ者を連れてきたぞ」

「……休眠状態の解除、を確認。起床しま、す」


 むくりと体を起こし、ごしごしと目をこする。まだ眠そうだが、火急の用と言っていたからには急いだほうが良いのだろう。


「起きた所で悪いが、俺はどうすればいい」

「……魔力を、経口で渡してい、ただければ……」


 まだお眠なご様子だが、ならばこのタイミングの方が良いだろう。彼女の言う”魔力の経口摂取”をするのならば、抵抗される可能性がある起きた状態よりも、寝ぼけ眼な今を狙うべきだ。

 翔真は自分の顔を、少女の顔に近づける。


「あまり多くなると――ムグッ」


 直前に何か言っていたような気もするが、それを聞かずに、翔真は少女にくちづけを落とす。彼女のうめき声が隙間から漏れ出た。


 魔力を口から渡すなど初めての経験だが、何故か翔真には方法を理解できた。勇者の魔力操作によるものなのか、はたまた【空間魔法】習得に伴う副次的効果なのか……どちらにせよ変わらない事実は、接吻を交わすことで確かな魔力を少女に送れているということ。

 魔力がエネルギーとなっていることは、この寝室に来るまでにウメから聞いている。ならば多ければ多いほど良いのだと勝手に判断し、どんどん魔力を少女に送り込んでいく。

 すると少女の体に段々と力が宿っていく。その力はいつからか痙攣に変わり、そして遂に――


「ああ主様ッ! もう十分ではないのかの⁉」


 ここでやっと、翔真は少女の異変に気付く。唇を離して少女を見れば、明らかに異常事態だと分かる程に体が振動していた。


「えっ? ちょ……えぇっ⁉」


 口を離したことで、少女の口から”音声”が流れ始めた。


『過剰な魔力の侵入を確認――魔力タンクをオーバー。回路への侵入を確認。緊急プロトコル発動。排除を目指します――抵抗――失敗。外存魔力吸収機構を侵食。抵抗を再度試みます――二回目の抵抗――失敗。発信機の破壊を確認。最終防衛ラインへの侵入を確認。抵抗――失敗。動力部、処理回路への侵syおくくくくくっくくくっくくくくくくくくくk』


 何かしらのやり取りが少女の体内で行われているのだとは理解できたが、どうにも”処理回路”に異常をきたしたらしく、口から発せられる音声はノイズを含み、まるで声とは思えない奇妙な音が口から割れ出ている。

 慌てる翔真とウメを置いて、突然に異常は止まった。


『……』


 叫びは止み、体の震えも収まっている。

 首に手を当てて脈を確認した後、そっと毛布をかけて二人は寝室を出る。


 顔を見合わせ、互いに通じ合う。


「……なんじゃ、あれは」

「博識なウメが分かんないんじゃ、俺も分かんないよ。……でも僕の魔力があの子に何らかの影響を及ぼした、ってのは流石に分かった」

「主様の化け物魔力を考慮すると、多すぎた魔力が彼女の肉体や組織を侵食したのではないか?」

「……まぁ、そういうことなのかなぁ」


 ふと自分の掌を眺める。レベルアップにより莫大な魔力を手に入れたが、まさかそれが裏目に出ることなど予想もしていなかった。

 あの少女が爆発するなどという最悪の事態は起こらなかったために、少しの安堵の気持ちがあるが……それでも心の大半を支配するのは、不安の感情。

 そんな翔真を見て、安心させるように微笑むウメ。


「大丈夫じゃ。確かに脈があり、肉体が傷ついた様子など見られんかった。今懸念した所で、変わらんよ」

「……ホントか?」

「真じゃて。それに昨晩主様が助けておらねば、あの少女がこれ以上に酷い目に合わされずにいたとは、誰も保証できぬ。主様は助けようとし、そこに心血を注いだのであれば、何も問題はあらぬ。もし仮に責があろうものなら、それは魔力を一切持たぬ妾のものじゃ」


 ウメによる慰めにより、少しだけメンタルを持ち直した。


「ありがとう。気分が大分楽になった。……しっかしウメ、慰めの言葉なんて掛けれたんだな」

「どういう意味じゃ、それ」


 見るからに顔をしかめるウメ。後手に回った彼女の様子を見て、意地の悪い笑みを翔真は浮かべた。


「いやさ、迷宮の時とか、家を買った時とか……口下手だから慰めの言葉なんて掛けられない、みたいなこと言ってたし。それが今となっては……成長したなぁ」


 いつも毅然とした態度であるウメが垣間見せた、少しの弱み。そこを見逃さず突くなど、我ながら意地が悪いと自覚しておきながら、からかいを止めようとしない翔真。

 当然、仕返しをされるわけで。


「何やら馬鹿にされている気がしてならぬな。主様こそ、先程は年端も行かぬ幼気な少女の唇を奪って起きながら……妾の胸から恥ずかしそうに逃げていた醜態から、やけに成長したではないか」

「それを言われたら反論できないんだが⁉」


 しかしファーストキスを交わした相手が、まさか自分よりも年下の女の子とは……周囲に露見すれば、明らかに批判の嵐だろう。


(で、でも15歳くらいの見た目だし、僕もロリコンとかそういう趣味は無いし。あれは非常事態だったし、事故に含まれるに違いない。きっとそうだ)


 翔真が脳内でそんな議論を交わしている内に、ウメはキッチンへ移動した。そこで何やら作業をしているので、彼はそのままダイニングテーブルの席に座る。


 少し待てば、あっという間にテーブルへ料理の皿が並べられた。

 異世界に召喚されずにいれば、翔真は立派な現役男子高校生である。当然、目の前に並べられた豪勢な食事に垂涎しかけるのも当然というべきか、待ちきれぬといった様子でウメに目を遣り、彼女がコクリと頷いたのを見るやいなや勢いよく食べ始める。


 海に面していない王都では珍しい、鮮魚を用いたカルパッチョ風のサラダ。

 敢えて食べごたえのある大きさにカットされた肉。

 濃厚な出汁の味を感じられるスープ。

 たっぷりとバターが塗られた、絶妙な焼き加減のバゲット。

 そして異世界でのサクランボのような果物を使った、甘さ控えめのパイ。

 どれも素材が良質で、かつ料理人の腕がまた格別なために、極上の品へと昇華されていた。


 人が幸福を覚える時とは、欲が満たされる時だ。

 睡魔に襲われ、その波に身を任せて寝入るとき。好意を抱く者と身も心も結ばれたとき。

 そして食欲を満たし、且つ美味な食べ物を思いのままに貪るとき。


 帝国での濃密な二日間を過ごして若干の疲れを覚えていたが、ウメの料理に心が癒やされていく。

 そしてウメもまた、本能に従って料理を食べ進める翔真を眺め、筆舌し難い、とても表現しきれない幸福感に満たされていた。


 わざわざ用意してくれた食後の紅茶を一口啜り、呼吸を整える。


「ふぅ……美味しかった」

「喜んでくれたようでなによりじゃ。妾も腕に縒りをかけて作った甲斐があるというもの」

「やっぱ美味いものを食べると、元気が出るな。ずっと食べてたいくらいだよ」

「それも良いな。帝国での件に片が付けば、次の用が決まるまでの間はゆったりと休むがよい」

「いや、でも……うん、それも良いかもだ」


 ウメからの誘いに、そんなことをしている暇など無いと断りかけたが、結局は誘惑に負けてしまった。今も彼女の料理に心が揺らいでいる。

 見事に翔真の胃袋を掴まれている。彼女から逃げようとしても逃げられず、そもそも逃げようという気すら起こらないほどに、彼女の手管から編み出される料理に心奪われている。

 いつもは頭を働かせて自分の置かれている状況について思考を張り巡らせる翔真だが、食欲という、人間の巨大な欲望の一つを握られてしまっては、まず胃袋を掴まれているということにすら気付けていない。


 対照的に、ウメは己の策が見事に成功したことを察した。今も浮かべているその笑みは、そのことも含めているのだろう。



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