第30話 部屋の掃除は、面倒だ


 少しの間、互いの身に起きた他愛もない話を交わしながら時間を過ごす。


 だが幸せな時間は一瞬で過ぎ、そろそろ帝国に戻らなくてはならない時刻が訪れた。既に帰り用の魔力は回復している。

 二人はそっと寝室を覗き、まだ少女が寝ていることを確かめた。

 翔真が沢山に食べるものだから、うっかり忘れてしまったが、今現在深夜である。それも、朝が近づいている方の。


 朝日に視線を向けながら、彼はおずおずといった様子で提案する。


「そろそろ戻るんだが……その、あの女の子のことも気になるし、一緒に帝国に来るか? 丁度隠れ家になりそうな場所を見つけたんだ」


 帝国の隅の更に奥、誰にも使われていない古びた一軒家を見つけていた。変装して不動産に伺った所、この数年誰も住んでおらず、また誰も近寄ろうとしないのだと。

 軽く見てみた所、少し埃が溜まっている程度で全然住める範囲に収まっており、掃除をすれば立派な隠れ家として役割を持つだろう。


 翔真の提案に小さく頷き、翔真が転移の準備をしている間に寝室へ向かい、寝ている少女を背負ってから戻ってきた。あの細身から信じられないほどの膂力を発揮するウメだから、きっと重くなど感じていないのだろう。現に平然とした顔でいた。


 そして準備が完了した翔真は、転移を発動させる。


「”疑似転移”」


 この世界での【空間魔法】による瞬間移動は、真下にゲートを作り出す疑似的なものである。よって転移対象の数が増えようが、作り出すゲートの大きさが変わるだけで変わりはない。

 ウメが少女を背負っているため、実質的に二人分の大きさのゲートを開ければよかった。その分の魔力は、ウメの料理を堪能したことで体力と共に取り戻している。余裕はあった。



 転移先は、ウメに説明した隠れ家候補。落下の衝撃で少し埃が舞ってしまい、寝ている少女がクシュンとくしゃみを一つ。

 翔真が周囲に人の気配がないことを確認している間に、ウメが部屋の全体を眺める。


「……なるほど。この程度であれば、軽く掃除すれば生活できそうじゃな」

「あ、そのことなんだが。一応ここって空き家だろ? 人が違法で住んでるんじゃないかって怪しまれたらアレだし、二階の適当な部屋だけに居住スペースを抑えるようにしよう」

「それもそうじゃな。となると――」


 年季の入った木材がギシギシと音をたてる中、ウメは二階へ足を進める。

 二階の部屋を次々に見て回り、最も状態が良い一部屋を見つけた。


「暫し部屋の外で待たれよ」


 そう言って少女を俺に預け、ウメ一人だけ部屋に残る。

 翔真は少女を背負いながら、何かしらウメが行っている用事が終わるときを待つ。


「……んぅ」


 ぴくりと、背で少女が動いた。モゾモゾとし、段々と動きが強くなっている。


 そして動きが止まれば、あの可愛らしい声が背後から聞こえてきた。


「ここは……」

「起きたか?」

「あっ、……はい。その、下ろしてくださって構いませんよ」


 少女に促され、姿勢を低くしてそっと少女の体を床に下ろした。一瞬足がもつれ、体がぐらりと傾いたものの、もう片方の足で踏ん張り立ち直した。


 しっかりと両の足で立っていることを確認し、安堵した翔真は軽く問いかける。


「体に不調とかはない?」


 少女は自分の体をペタペタと触れながら、首を小さく縦に振った。


「よかった。いやその、魔力を口渡しで移した時に変になってたからさ。あの時のことって、覚えてたりする?」

「はい。貴方の口づけが、私のメモリで明瞭に記録されています。私のファーストキスを奪われたと判断します」

「その真顔が怖すぎる」


 淡々と、起こった事実のみを伝えているだけなのだが、その表情が無感情過ぎて……かなりの恐ろしさが体を襲う。

 羞恥心や、最低でも憤怒は発生して然るべきだ。だのに少女は、酷く無表情だった。


「主様よ、終わったの――おや、目が覚めたか」


 気まずい空気が流れ始めた頃、救いの手としてウメが部屋から戻ってきた。

 そのタイミングに感謝しながら、部屋に入るようウメの言葉に従う。


 まず目に入ったのは、綺麗に片付けられた部屋だった。

 蜘蛛の巣が張り、床はホコリまみれで、とても人が衛生的に暮らせるような環境ではなかった。

 だがものの十分程で、ウメはそんな汚部屋を美しい環境に早変わりさせた。蜘蛛の巣は取り払われ、床は美しく輝き、空気が綺麗に思えるのは気の所為ではないはずだ。


「これでどうじゃ。まるで見違えたようじゃろう!」

「見違えたとか、そういうレベルじゃないんだけどな……」


 流石に壁に空いた穴は直せていないようだが、家具の位置替えで穴を隠すなどして工夫されている。

 もうこれは、軽くリフォームの領域に片足を突っ込んでいる。


(ま、『ウメだから』って言葉で納得できてしまうのも事実なんだけどな)


 ウメのビックリ行動は、既に何度も見せられている。

 たった十分で、決して狭くはない一つの部屋の掃除をほぼ完璧に終わらせるといったことで、今更驚きはしない。滅茶苦茶なそのスペックに、呆れはするが。


「でもありがとな。これでこの子も快適に過ごせるだろ」

「この子、と子供扱いされるのは些か不服です。私の素体の肉体年齢は十二歳ですから」

「それは失敬」


 翔真の右から、聞いて明らかに不満だと思える声が響いた。


 ……謝罪を述べた後、翔真は呆けたように口を開けたまま固まった。


 そのまま首をゆっくりと右に向け、横に立っている少女を見下ろす。


「……いやちょっと待て。なんか話し方が流暢になってるんだが?」


 思い出せば、先程のちょっとした会話でも言葉を流暢に話していた。

 それまでは片言のような、不自然に文が途切れたり、単語の中で区切れたりしている話し方であった。何かしらの事情を抱えているからなのだろうと、聞いたその時は後回しにしていたが、治っている今なら違う。


 翔真は改めて問う。


「今も、元気一杯な感じだ。僕の魔力供給で、何が変わったんだ」

「それも含めて、私の身の上について全てお話しましょう。先程から会話に混ざれておらず、ウメ様も不満に思っているご様子です」


 後ろを振り向けば、そっぽを向いたウメが目に入った。ぷい、という擬音が聞こえてきそうな程に、明らかに拗ねている。


「い、いや、これはウメを蔑ろにしたわけではなくて。だからってウメのことを無視してたわけでもなくて――」

「別に? 妾は拗ねてなどおらぬが?」

「なら目を合わせて話してくれよ……」


 それからウメの機嫌を取り戻すために、少しの時間を使ってしまった。


(部下の機嫌を取らなきゃいけないだなんて、主人失格だな)


 そんなマイペースなところも含めて、ウメなのだが。



 空気を改め、椅子に座り三人でテーブルを囲む。

 初めに口を開いたのは、少女だった。


「まずは私を助けていただいたことに対して、深く感謝を。ウメ様、翔真様」


 椅子に座りながら、少女は深々と頭を垂れる。自分よりも年下に見える少女に頭を下げられるというのは、あまり気分がよろしくない。


「成り行きだから気にするな。……なんて言ったら、君ならもっと気にしちゃうんだろうな」

「主様は良く分かっておるな。ここは素直に感謝の言葉を受けておくべきじゃ」


 それを許しと判断したのか、ゆっくりと少女は頭を上げる。その目には、未だ感謝の念に満ちていた。


「再度感謝を伝えるとして、次に私の自己紹介を少し。……私は『帝国式魔導人形:000』。通称【プロトタイプ】です」




 一瞬で辺りが静かになった。

 人型であり、魔導人形。その自白を聞き、翔真が真っ先に思いついたのは――


「やっぱり、か」


 ――納得であった。


 頷く翔真を見て、少し驚いた様子を見せる【プロトタイプ】。


「何故、翔真様は知っておられるのでしょうか。私達の存在は、帝国内部においても最重要機密で……」

「ま、色々あったんだよ」

「いろいろ、ですか」

「あぁ。帝国が魔導人形、ってものを開発してる話は事前に把握してたんだけど、その詳細は知らなかった。んで、帝国さんの城に侵入させてもらおうと情報収集してたら、丁度君が【イビル・クロウ】に襲われてるのを発見したってわけ」


 ついペラペラと饒舌になって話してしまうのは、きっと話し相手が真面目に耳を傾け、こちらが話していて気分が良くなるような態度を取っているからだろう。【プロトタイプ】には、翔真から話を聞き出そうという悪意は存在しないために、これは明らかな天然である。

 無意識に、翔真の気をよくさせている。

 そのことに気付いた翔真は、少し声量と調子を下げる。咳払いをした後に、改めて話し始めた。


「そいつらを拷問して――三人中二人には死んでもらったけど、とにかく情報を引き出した。正体と、君を追っていた理由を」

「【イビル・クロウ】のことまで……その知識の深さに驚嘆します。……はい、私は魔導人形。帝国が有する天才、【ドクター】によって開発された人型の兵器です」


 


 その二文字が耳に入った途端、翔真は喉の奥を硬い何かが通り過ぎたかのような感覚に襲われた。

 目の前の少女は、至って普通の少女に見える。呼吸もしているし、地球でのアンドロイドのように違和感を覚えるような動きではない。


 浮かんだ疑問を一旦しまい込み、話の続きに耳を傾けた。


「無断で研究室を抜け出し逃亡していたところ、あと少しで帝国の外壁に届こうとしていた時に見つかってしまって……そこを翔真様に救っていただいたというわけです」

「抜け出した理由は――「主様っ!」

「……」


 翔真にとっては素直に尋ねたつもりだったが、ウメによって遮られた。

 その理由は即座に判明し、【プロトタイプ】の表情が目に見えて沈んでいる。


(不躾な質問だったか……相手のプライバシーに踏み入りすぎてしまった)


「その……すまない。言いたくなかったら言うな。訊いた僕が悪かった」

「いえ、……はい。……いずれ話します、ので」


 空気が悪くなってしまった。ウメが綺麗に掃除してくれたはずであるから、この気持ち悪さは翔真が生み出してしまったものだ。

 しかし翔真には、頼りになる部下がいる。


「ふむ。では妾達についても加えて話しておくかの」

「そっ、そうだな! といっても聞いた感じ、少なくとも僕達の名前は知ってるんだろ? ウメが大体言ってくれてそうだが、何処まで話したんだ?」


 話の切り替えが上手い。


 翔真が朝日が昇る前には戻らなければならないことを忘れず、話をスムーズに進めるために話題の転換を巧妙に使用していた。これはもしかすると、元ゴブリンの女王として活動していた際に身に付けた会話術の一つなのかもしれない。

 そう思いながら、ウメの話の続きを聞く。


「妾達の名前、立場など、じゃな」

「それじゃ、僕達の目的について話しておくか」

「お願いします」



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