どうも、人類の敵です。 〜女神からの指令で異世界スパイ活動〜

GameMan

第一章 王都編

第1話 だって退屈すぎたんですもの


「――してあるからして、この点Aと点Bの中点が――」


 ……眠い。この日の数Bの授業は五時限目であることに加えて、加藤先生の穏やかな口調と声音で眠気が誘われる。

 いやホント眠い。睡眠のバッドステータスでも巻き散らかしてんじゃないかってくらいに睡魔が襲いかかってきているのだ。

 重いまぶたの間で教室を見渡せば、既に睡魔にやられている者もいた。他人事のようだが、僕も危うい状況にあった。

 昨日はネトゲに夜遅くまで熱中してしまったので、自己責任と言われればぐうの音も出ないのだが。

 ……ずっと、自分の人生は退屈だった。平凡な自分とありきたりな日常。そんな世界から脱しようと色々と試みたが、その全てが上手くいかなかった。

 彼の退屈は、限界を迎えようとしていた。


(この暇で退屈な日常から抜け出したい……今すぐにでもクラスで異世界召喚されないかな〜、なんつって)


 途端、黒板に魔法陣が浮かび上がり猛烈に光りだした。光は消えることなく、どんどん強くなっていく。


「ナニコレ!」

「知らねえよ誰のイタズラ⁉」「私じゃないよ!」

「うわ眩しッ」


 クラスは騒然とし、異常事態に慌てている。そんな中、僕は――


「え、こんなベストタイミングで起こるの?」


 そんな彼の呟きは、加藤先生だけが取り残された教室に響く……ことなく、逆に加藤先生の呟きに掻き消された。


「なにこれ、全く状況がつかめないのだけれど……帰りたい」


 こういうのは教師ごと消えるのがテンプレなのだが、まさかの教師だけが取り残されるという事態。

 光に反応した他クラスの教師が走ってきている足音が耳に入り、この後の対応や処分に目の前が真っ暗になる加藤先生だった。




 眩しさが止み、ゆっくりと目を開けた。すると全てが真っ白な世界が目に映る。白く奥行きを感じさせない空間に突然送られ、彼は困惑した。

 ……困惑した理由はこの空間に驚いたからではなく、世界に響く声を上げる者に驚いたからだ。


「あぁもう! なんであの神は思いつきでこんなことをするんですかねぇ! 書類作業に追われる私の身にもなってくださいよほんっとにもう……!」


 不思議な世界に一つだけ異質な場所があった。美しい女性がデスクに座り、そこで必死に書類に目を通している姿だ。

 取り敢えず何か話さないことには始まらないので、彼は思い切って話しかけようと――


「あ、だめだめ。彼女は今忙しいから」


 肩を後ろから掴まれて静止させられる。驚いて咄嗟に首を後ろに向けるが、誰も見つけられなかった。


「ふふ、こっちだよ。彼女に私達の姿は見えないから安心してくれたまえ」


 今度は体の正面の向きから話し声が聞こえ、首を元に戻す。すると書類と格闘している女性とはまた別のベクトルで美しい女性が微笑んで立っていた。どこか見覚えのある、しかし全く記憶の中から出てこない顔だった。……だが何故だろう。その笑顔を見ると胸がざわついてくる。

 そして目の前の女性の言葉通り、デスクに向き合っている女性はこちらへ視線を向けてこない。


「いやあの人めっちゃ忙しそうにしてますけど。知り合いなんですよね?」

「ふふふ」


 ……なんとなく察した。大方、目の前の女性に仕事か何かを押し付けられたといったところか。

 いきなりの展開に追いつけないが、そんなことはお構いなしに女性は話し続ける。


「柄にもなくイタズラしてしまったね。でもまぁ真面目な話に移ろうか。君たちは異世界から勇者として召喚される、それも人間サイドから」

「じゃあ異世界召喚なんですね? で、今は世界の神様と話してる……貴方は神様ということですか」

「そうだよ、私は神さ。君の地球と呼ばれる世界と、別の幾つかの異世界を管理している。そんな私が管理する世界の一つに君は召喚されるわけだが……でもここで一つ問題が出てきてしまってね」

「問題?」

「あぁ、大問題さ。人間が勇者を召喚するのは別にいいんだけど、今回は勇者の数が規定より一人多いんだよ。これじゃ魔王軍と人間側とのパワーバランスが崩れてしまう。そうなったらまた私達が面倒なことになる。世界を管理する者の立場として、ね。……だからね、相沢翔真くん。君には魔王軍の味方になって欲しいんだ」


 唐突に魔王の味方になれという頼み事を、彼は上手く飲み込めなかった。彼が理解してもしなくても、神は話を続けようとする。


「ちょっと待ってね……あった、このデータだ」


 神が指を鳴らすと、一枚の紙がパッと現れる。ホイっと声を出しながらその紙をキャッチすると、神は美声でスラスラと読み上げた。


「相沢翔真。地球での能力は極めて平凡。適度な才能、適度な容姿、適度な交友関係。しかし自身はこの状況にあまり満足していない。本当はもっと刺激に満ちや日常を送りたいと思っている……素晴らしい人材じゃないか」

「いや人の個人情報勝手に読み上げられて素晴らしいも何もないんですけど」

「アハハハ! いや失敬。でも私達は神だからね。君ごときの情報にアクセスした程度でペナルティなど無いさ。で、話を戻すんだが、そんな平凡な君に波乱に満ちた日常を与えようじゃないか」


 神が身に纏う服が瞬間で変わり、厳しい軍服となる。


「今日から君は『スパイ』として、人間と戦うのだ!」


 翔真は、こんなふうに上機嫌で軍隊風に話す神を半目で見ていた。

 その隣で、デスクの女性が書類を投げ散らかして悲鳴を上げる。


「あ〜もうヤダッ! 只ですら仕事が多いのにいきなり勇者召喚しているし! なんで私がこんな作業しなきゃなんないの⁉ これも全部あの馬鹿上司が押し付けて逃げやがったせいだわ!」


 文句を言って机に突っ伏すが、その直後に散らばった書類を拾い始めた。酷く不満があるようだが、神の階級社会によるしがらみで、仕事を投げさせないようだ。

 翔真のその女性を見る目が、段々と可哀想なものを見る目に変わっていく。


「……召喚って、大変なんですね」

「勿論だよ。地球にいた君たちの身体を情報化して、時空を歪めて別の世界に転送し、召喚に使われたリソースを変換して、異世界に合うように身体を再構築して……やることは山積みさ」

「手伝ってあげないんですか?」

「彼女は私の部下だよ。部下は上司の言うことゼッタイ」

「あ、はい」


 神の中にも世知辛い事情があるのだと知った。デスク前の女神は、栄養ドリンクのような液体が入った缶を呷る。それを、元凶である神が憐れむ目で見ていた。


「あ〜あ、ネクタル五本目か。飲み過ぎたら中毒になるって言ったのに」


 なにやら想像以上にブラックな内容が聞こえてしまった。するとなんの脈略もなく、神の姿が段々と薄れていく。


「いや違うよ。君が消えていっているのさ」

「人の思考を勝手に読まないで下さい」


 でも確かに、翔真の体の方が薄れていった。どうやらこの空間での制限時間が訪れたらしい。


「暫くお別れだね。とにかく君にはスパイとして人間側と戦って欲しい。やり方は問わない。人間を降伏させて犠牲者がゼロでもいいし、情報を横流しして罠に嵌め、大虐殺を引き起こしても構わない」

「見返りは」

「うん?」

「こういうのって、目的を達成したら何かしらの報酬があったりするものじゃないんですか?」

「……そうだね。これじゃ、君が頑張る理由がない。なら君の努力により魔王軍が勝利を収めた暁には……私が叶えられることなら何でも叶えてあげよう」

「叶えたい願い……いや特にないんですけどね」

「ならなんで聞いたのさ」

「いやノリといいますか……」


 僕の返答に対し目を丸くした後、神は大きく口を開けて笑う。


「ハッハッハ! まさか神を前にして冗談を言うとはね! 殆どは萎縮するか口数が少なくなるんだけど……やっぱり良いよ、君。見ていて退屈しない」

「そうですか」


(……叶えたい願いは、無い。でも地球でのつまらない日常がひっくり返るような生活を送れるのなら……)


「――面白いじゃん」


 神が言ったことは正しかった。彼の日常はまさに平凡の一言で終わらせられるようなものであった。だからこそ、彼は人類の敵となる覚悟を決めた。たとえ理由が小さなものでも、それは彼にとって異世界での生活の方針を決めるに足る大きな決意だった。

 翔真の考えを読み取った神は満足げに微笑む。


「良いイカれ具合だ。……まぁ君が承諾するにせよ断るにせよ、魔王軍側についてもらうんだけどね」

「どういう意味ですか」

「いや、普通に考えて、スパイ活動を提案した君に何もせず素通りで異世界に送ると思うかい? もし断られていたら、君の魂を微塵のかけらも残さず消滅させるぞと脅していたよ。それでも断ろうものなら思考をチョチョイと弄って……たかが矮小で脆弱な人間ごとき、神の言葉を蹴るような真似は許されないのさ」


 声音を変えず、平然と、日常のことのように神は言った。

 圧力など一切感じさせず、だからこそ怖い。人の命を簡単に消滅させるという力もそうだが、地球で大きな覇権を握った『人』という種族を見下す、その人類とは完全に異なる思考が恐ろしかった。

 ゆめゆめ、目の前の神には逆らわないようにしようと心に命じる。

 遂に僕の身体は殆ど透明になり、もう、神の姿は見えなかった。声だけが耳の奥で響く。


「それでは、君の異世界――が波乱に満ち――あり――ように」


 途切れ途切れの言葉を最後に、僕の視界は再び真っ白に染まった。

 この空間での唯一の心残りがあるとすれば――


(あのデスクの女性、頑張って下さい)



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