第26話 帝国の夜は凄い


「じゃ、潜入と行きますか」


 【足音消去】【気配遮断】【気配感知】【足跡消去】のスキルを発動させ、隠密行動を開始する。昼の移動中にざっと帝国の全体図を確認していたため、夜の闇に包まれた中でも比較的スムーズに進めていた。

 途中で歓楽街に当たったため、適当な足場を使い屋根に上る。【足音消去】があり、住民にバレることがないので、遠慮なく屋根の上を走れている。

 そしてその間、帝国民に翔真の存在が気取られることは一切なかった。スタンピード中の作戦以来の隠密行動だが、腕は落ちていないようで、彼は安堵する。


(――こんばんは、帝城にお勤めの皆さん)


 目的地である帝城に到着し、草むらから暫く門の様子を観察し始める。

 帝城を護る防壁は高く、唯一の出入り口である門は堅牢だ。夜は一切の往来が無いようで、門を開ける様子が見られない。門の両端を守護するのは、如何にも屈強な大男二人組。威圧感を周囲に放っている。


(……面倒だ。王都の時はここまでの守りじゃなかったし、何より勇者としての肩書を使ってたから……さて、どうしたものか)


 今日この場で城の中に侵入することについて、不可能ではない。【気配遮断】全開で、更に特別人の目が届かない壁を狙って登ることによって。

 加えて多少荒い方法だが、レベルを上げてステータスがかなり向上している今であれば、壁の上目掛けて大ジャンプをすることで越えられそうだ。ここから観察した限りだと、外壁上空にバリアのようなものは見られないから。

 更には一回入ってしまえば、帝城内を魔力でマーキングすることで、次にいつでもお手軽に侵入できてしまう。


 だがこの手段では、途中で人に見つからないという約束を誰がするわけでもない。

 加えて、この警戒態勢の中で侵入者の存在が露呈すれば、それこそ王国で黒印魔導書について聞いた時にやらかした失敗の二の舞いとなってしまう。

 おまけに今回は常に帝都に居続けるわけでもなく、留学をしているためにいつかは王国に帰らなければならない。この期間内に調査を達成できるという確信は得られていないために、前よりも一層緊張感を増している。


(まぁ流石に初回で完璧に結果を出せるとは思ってなかったし……今回は観察と情報収集を兼ねた下見にしよう)


 そう決めるが早く、取り敢えず外壁を一周分観察して回った。すると今夜だけかもしれないが、西の壁の警備が比較的手薄であることに気がつく。

 仮の侵入ルートが決定したことで、次に情報を集めることにする。




 次に翔真が向かったのは、帝城に来る途中で通り過ぎた歓楽街。娼館や酒場があちこちに見られ、日がどっぷりと暮れた深夜にも関わらず人の往来が激しい。

 そして人が集まる場所には、必然的に情報が集まってくるものだ。


(【変装】――姿は極めて普通な青年くらいが丁度良い)


 何処かで見たような、しかし現実には存在しない男の顔を想像しスキルを用いて変装する。服装も真っ黒なローブから麻布と革の合成服に見た目を変更し、相沢翔真という人間から全く別の人間へと変わった。

 変装した翔真は初めに目に入った適当な酒場に足を踏み入れる。


「オラもっと酒を持って来い!」

「あそこで俺が剣を落とさなければなぁ……クソがッ」

「おにーさん、一緒にタノシイことしましょ♡」


 夜は人を高揚させると聞いたことがあるが、まさに帝国の夜は祭りだった。雑多とした帝国の町並みに似合った店内で、簡素なテーブルや質素な椅子など華々しさは無いものの、何より活気があった。

 酒を飲む者、想いを思いのままに叫ぶ者、男を誘惑する者――


(ここなら色々と知れそうだ)


 酒場は初めての経験だが、ここで辿々しい姿を見せてしまえば怪しまれる。逆に堂々とカウンター席に向かい、空いている適当な椅子に座った。

 座るが早速、バーテンダーが気さくに話しかけてきた。


「今日は何を飲むのかい?」

「カクテルを一杯。嫌な事を忘れられるくらいに上手いやつを頼むよ」

「おやおや。そいつぁ特別な一杯をくれてやらねぇとな」


 酒の注文も初めての経験だが、地球で見たドラマのワンシーンを見様見真似で演じてみた。

 特に怪しまれる様子もなく、逆に翔真の言葉に気分を良くしたのかウキウキでカクテルの準備を始める店員。やはり酒場でのルールやマナーは、どの世界においても共通なのだろうか。



 少し待つと、カウンターに一杯のカクテルが差し出される。


(頼んだ以上は飲まなきゃ駄目だよな……けどこうもガッツリ酒を飲むのも初めてだ)


 少しの不安を胸に、カクテルを口の中に注ぐ。

 口の中に酒が入った途端、しっかりとしたアルコールの香りが鼻腔を突き抜ける。しかし微かなフルーツの香りもしており、彼自信が想像するよりも飲みやすかった。


「……上手いな。上手いよ」

「へっ、今日一番の一品だ。そうじゃなきゃヤベェってもんさ」


 バーテンダーは満足した表情で、洗い終えたジョッキを吹き始める。

 そして酒が喉元を過ぎ暫く経つが、頬の紅潮や気分の向上が感じられない。元々酒に強い体質なのか、勇者が酒に強い身体なのか……判断は付かないが、どちらにせよ正常な精神で情報収集が出来るのはありがたい。


「……そういや、最近帝城辺りが騒がしいんだが。何か知ってたりするか?」

「帝城っていやあ、なんか中でやってるって話は聞いたな」

「詳しく知っているのか」

「……ここだけの話だが、帝国研究部が何やら怪しい実験をしてるって噂だ。兵士をやってる知り合いの話だと、地下から何度も叫び声が聞こえたらしい」

「ッ! ……そうか」


 早速有力な情報を得られた。監視だけでなく帝国民にも噂が伝わっているのならば、益々信憑性が増してくる。というよりも、この状況ではほぼ確定だろう。

 そして引き続き雑談を交えながら帝城についての情報を尋ねた。バーテンダーは博識で、しかし知っていることを特に隠す様子も無かった。今後も有力な情報源となるだろう。

 帝城の観察と収集した情報を総括して、侵入に最適なルートと日時を決定する。

 決行日は――二日後の深夜。城の中に運ばれるという荷物に混じっての侵入を試みる。

 侵入後は魔導人形についての調査を行い、その危険性によっては破壊工作を実行する可能性もあるだろう。もし仮に魔王軍側で使えそうならば……可能ならば鹵獲し献上することで、魔王軍側から『人類の敵』への信頼性を高められるかもしれない。そうなれば更に魔王軍との連携が取りやすくなる。


(くくっ、やっとスパイっぽい活動が出来てきたな――)




「やれ、結局酔うことはなかったな」


 酒場からの帰宅する途中、再び屋根の上を走りながらそう呟く。

 今後の作戦を立てた後、せっかくなのでもう二杯分酒を注文してみた。たった一杯で酔う酔わないの判断を決めつけるのはよろしくないし、もし酔うのだとしても己の限界を把握しておきたかった。

 しかし二杯飲んでも酩酊感が身体を襲うことはなく、調子に乗って更に数杯飲んでみるも……一向に酔う気配がなかった。おかげで酒代にそこそこの金を支払うことになってしまったが、これで翔真は自分のことを、少なくとも酒に酔いにくい身体なのだと判明する。 


「ま、酔いにくいってのも何かの潜入で使えそうだし……」


 地球で酒を飲む機会には恵まれなかった。生憎と治安が良い土地に住んでおり、未成年が酒・煙草を買おうものなら光の速さでサツが飛んで来る。刺激を求めた人生とはいえ、捕まってしまってはその人生を制限されてしまうために手を出すことはなかった。

 だがしかし、ここは地球での法律が適用されない異世界。自由に生きる、刺激を求めるという意味でも、何をしても縛られない世界だ。


(でも明日から学院生活だし、今日は帰って直ぐ寝よ――んっ?)


 途端、翔真は視界の端に何かを捉えた。それと同時に剣戟の音が耳に入り、何やら面白いことが起こっていると思い行く先を変える。



 暗い夜空が帝都の街を包んでいる。明日に備えて休む者もいれば、ここからが本番と言わんばかりに騒ぎ出す者もいる。

 あるいは、闇に紛れて仕事をする者達も――


「ぐっ……!」 

「ぼさっとするな早く囲め! 逃げられないようにするんだ!」


 黒いマントで身を隠した者達が、帝都の隅の隅、その更に片隅のひっそりとした裏路地に集まっている。

 一人が部下と思われる男に指示し、三人は何かを中心に囲む。その中心には――


「……か弱い女の子、に対し三人がかり、とは」


 ――体中に傷をつけた少女がいた。


「悪いが嬢ちゃん、これも仕事でね。多少痛い思いはさせてでも持ち帰ってこいとの指令だ」

「お前の存在が露呈すると不味いことになるんだと」

「てなわけで……」


 黒マント達がジリジリと少女に近寄る。少女は逃げ出す隙を探すが、黒マント達の連携によって逃げるための手を封じられていた。

 もう逃げることは叶わないと、諦めて目を閉じたその時――コツコツ――と月下に似つかわしくない軽快な足音が路地に響き出す。

 その場にいた全員が不意に視線をそちらに向ければ……ローブに身を隠した者が、従容たる態度で歩みを進めていた。不思議なことに、目をそらしてしまえば直ぐにでも見失ってしまいそうな程に、その者は存在が希薄だった。


「何者だ。今引き返せば、見なかったことにしてやらんでもない」

「……少女を嬲るとは、嘆かわしいのう」


 顔を拝むことは叶わないが、その闇からしわがれた声が漏れ出ている。長身と言うほどでもない体格であることも考慮し、黒マント達はローブの男が年老いた男だと判断した。

 しかし弱々しい声音とは対照的に、発する言葉には重みがあった。老人だからといって舐めることはせず、警戒対象を少女から謎の老人に向ける。


「止まれ! そこから一歩でも動けば即座に攻撃するぞ」


 ローブの老人はピタリを歩みを止め、そして……変わらず悠々と一歩を踏み出す。


「「死ねぇっ!」」


 黒マント達は短剣やメイスなど各々の武器を手に、一斉に老人目掛けて飛びかかった。

 いくら相手が得体の知れぬ者であろうとも、現役の帝国暗部構成員が三人がかりで攻撃すればタダで済むはずがない――はずだった。


「惰弱」


 老人は武器を出すことも、腕すら見せること無く――気付けば飛びかかったはずの三人が地に伏せている。全員が気を失っており、もう戦えない。いや、戦いにすらなっていなかった。

 少し離れた場所でその様子を見ていた少女は、老人が何をしたのか僅かに確認できていた。


(――刹那に制圧して、ました。俊敏な動きで男達、よりも高く飛び上がり、三人を一撃のままに叩き落とし、てました)


 処理が間に合わない。真に信じがたい場面を目の前で見せられ、また真の意味で初めて見た光景に、処理回路が遅れていた。

 文字通りに頭を悩ましている少女などつゆ知らず、黒マント達を倒した老人は少女に近づく。


「……私を、どうするつもりです、か」


 警戒度を最大限にまで高め、絶対に敵わないと知りながらも老人を睨みつけた。それは処理回路の判断によるものでなく、この体に染み付いたクセと言うべきだろう。

 すると老人はフードに手を遣り、素顔を露わにした。その顔は――


「や、なんか大変みたいだね。咄嗟に助けたけど、あいつらって倒して良かった感じ?」


 ――予想とは大きく外れた、若々しい少年の顔だった。


(推測との大幅な錯誤を確認。目前対象の強さを再規定。否定。不敵。未観測。しししし思考シークエンスに問題アリ――)


 突然に少女はバタリと音を立てながら倒れた。相手の隙を作るための演技などではなく、本気で脱力して崩れ落ちていた。


「ちょっ、急に倒れられると名前すら訊けないんだけど⁉」


(この方が、敵か味方か、分かりません。ですが、あの場所、あの場所に連れ戻す、のだけは――)


 僅かに残っていた意識も段々と薄れていき、そして少女は遂に、意識を落とした。



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