第27話 人体構造の把握と正しい力の入れ方が枢要だ



「よし、これであの女の子が追われてた件は取り敢えず解決したな」


 オリジナルプレートで魔力の減り具合を確認する。助けた女の子を【空間魔法】で送り届けた後に先程の裏路地へ戻る。そこでは未だに気を失っている黒マント達が無様に倒れていた。

 翔真は男達を適当なロープで縛り上げ、一列に並べてから頬をペチペチと叩く。


「……うっ、俺達はいったい――」

「お目覚めのようだな」


 既に年齢見た目声全てを騙すための変装はかけ済みである。男達の目には、翔真が老人の姿にしか見えていない。弱く見せて油断させるための老人の変装であったが、意外なことに演じるのは彼にとっても楽しく思えた。


「っ、貴様は俺達を倒したジジイ! オイお前らさっさと起きろ!」


 リーダー格と思われる者が声を張り上げ、他二人を起こす。残りも唸りながら瞼を徐々に開けていき、覚醒してからは先程の男のような反応を見せた。


「さて……お主らは何者だ。話さねば、どうなるか……」


 彼らに反撃した時よりも更に言葉に重みを籠めて、路地に響くような声で尋ねる。実際には響かないのだが。


「ケッ、俺達が素直に話すとでも思ってるのかよ」

「俺らはこの仕事に誇りを持っている。テメェみたなジジイに簡単に口を開くような馬鹿はここにゃいねぇよ」

「直ぐにでもこの縄を解いて、俺らに手を出したことを後悔させてやるからなぁ……」


 口を開けば、全員が翔真に対する嫌味や小馬鹿にしたような言葉を吐くばかり。

 その様子を見て、翔真は”安心した”。



「ならば死ね」



 いつの間にか手に握っていたナイフが振るわれ、リーダー格の右隣にいた男の首が飛ぶ。


「……は?」


 首は頭部と胴部を繋ぐ、大事な器官である。口で取り入れた外気を肺に送り込む道筋であるだけでなく、脳という人間の司令塔へ血液を送るために不可欠なパイプである。大動脈といった重要な血管も首に属している。

 故に、首には多くの血液が常に流れている。となれば、そこを切り取られれば血が吹き出るのは必至だ。

 血がまるで噴水のように吹き出、宙に舞い散る様を残された二人は呆然と眺める。

 自身の体がかつて同胞だったはずの一部に濡れることすら気にならないほど、目の前の光景を受け入れられなかった。


「尋問に複数人は不要。故に生存は一人で構わぬな」


 翔真自身も血に濡れながら、次にリーダー格の男へ刃を向ける。

 応援や野次馬を気にする必要は無い。一太刀に首を切り落とせば痛みに喘ぐ騒音が飛び出ることはなく、更には念を入れて、周囲に簡単な結界を作っている。


 【空間魔法】の一つ、”消音結界”……空気は通すが空気の振動は通さない膜のようなものを空間魔法で作り出し、術者である翔真を中心に半径十メートルの球形に発動させる。

 消費魔力が馬鹿みたいに多い【空間魔法】の中でも使う魔力が最も少なく、また使い方によってはコスパも良い。攻撃を防ぐといった高度な結界を作るとなると消費魔力が格段に跳ね上がるが、”消音結界”程度ならば自己回復量で十分補えていた。


 そんな結界の中で、応援すら呼べない状況下で……いや、頭の中が空っぽになり、救いを求めることしか出来なくなったリーダー格の男は、自身に向けられた刃を震える視線で見る。


「た、助け――」

「知らぬ」


 今度はリーダー格の左に座っていた男の首を断つ。未だに呆けていた顔がすんなりと宙を舞う。

 頸椎が丸見えとなり、中心にぽっかりと空いた気道の穴がよく観察できた。

 首から下に流れる血が吹き出終わったのか、気道の肉から残された血がジワジワと滲み出ていく様子も観察できてしまった。


 翔真は、まだ地球での倫理観が若干に残っている期間でゴブリンを殺戮して回った経験から、既に出血や内臓といったスプラッタに慣れてしまっている。元から壊れかけていた精神が、異世界での経験を経て遂には狂ってしまっている。

 だが、目の前の男の場合は――


「ヒッ、ヒィィィッ‼」


 ――先程まで共にいたはずの同胞が、一瞬で首と胴が泣き別れとなってしまった。


 その受け入れがたい事実をどうにも受容するしか無く、深い悲しみと激しい憤り、そして何よりも真っ黒な恐怖が体中を襲った。抑えきれない感情の嵐は、不意の失禁という形で体外で漏れ出てしまった。

 大の男が見せる醜態に微塵も興味を示さず、翔真はナイフの切っ先を徐々にリーダー格の男の首へ近づけていく。


「さて、話す気になったか?」

「ははははh話す話します‼」


 遂には怯えの感情が体を支配し、首を縦に振ることしか出来なくなってしまった。

 快く情報を提供してくれるようになったマントの男を見ながら、翔真は内心で嗤う。続いて彼は尋問を始めた。


「まずは――」



 意識を段々と取り戻してきた。自身に覆いかぶさる毛布の温かさだけだった微かな触覚も、気付けば嗅覚機能と聴覚機能が覚醒済みであり、美味しそうなパラメータを含む匂いと鍋を煮込む音がする。


 重い瞼を開き、まず目に入ったのは知らない天井。研究室の、あの無機質な灰色のとは全く違う、仄かな温かみのある天井だった。


「ここ、は……」


 まだエネルギー不足で重い体を無理に動かしながら、体を起こす。振り向きながら確認すれば、先程まで倒れていたのはどうやらベッドであったらしく、一人用にしては大きい、所謂ダブルベッドサイズだった。

 自己修復機能により、逃亡中に受けた傷は既に完治していた。しかし依然エネルギーが足りていないことには、本調子を取り戻すことは叶わない……そう考えながら、人の気配がする方向へ無意識に歩み寄る。


 寝室と思われる部屋を出れば、そこでは一人の女性がキッチンに立って料理をしていた。芳しい香りと鍋が立てる軽快な音の出処はあそこであったのだと納得すると同時に、その女性に対する警戒を一気に引き上げた。


「あな、たは――うぐっ」


 改めて声を出したことで気が抜けたのか、足に入れていた力がフッと抜け、重力に身を任せて崩れ落ちてしまう。再び立ち上がろうとするも、足がピクリとも動かない。


「大丈夫かの? ほれ、手を貸せ」


 突然に頭上から声をかけられ、思わず顔を見上げる。


(……美し、い)


 相手が敵か味方か、まだ分からない。助けるフリをして、自分を捕らえるか縛り付けるのかもしれない。しかし警戒心を高めていたにも関わらず、無意識に、不可抗力に――女性の美しい顔に魅入ってしまった。

 濃いピンク色の髪は美しくランプが照り映え、整った顔立ちを一層強調させている。美しいだけでなく、生きている間に積み上げてきた経験から表れる自信がこちらにまで伝わってきて、自然と目を吸い寄せられてしまうのだ。

 だからこそ、彼女からの助けを素直に受け取ってしまう。


「ありがと、うございま、す」


 細い体に不釣り合いな力で腕を引っ張られ、されるがままに肩を借りる。そのままダイニングテーブルに連れてこられ、空いている適当な席の前に立った。


「椅子には座れるかの」


 その問いにコクリと頷き、女性は承知してから椅子に座らせた。何やら記憶にない花の匂いが、女性の体と顔が接近した時に漂ってきて、遂に緊張が霧散してしまった。


「簡単な料理を作っておる。あと僅かで完成するから、少しでも食べておくが良いぞ」

「……」


 女性はそう言い残し、再びキッチンへ移動し鍋と向き合った。料理の最中にも関わらず助けに来てくれたということは、少なくとも彼女から敵意を持たれていることはないのだと判断する。


 そのことによって安心感が芽生え、部屋をぐるりと観察してみる。

 パッと見たところ、極普通の家庭だった。何も奇妙な部分など無く、単純に居心地が良いと感じられる家だ。


「待たせたな。あまり重いものを食わせるわけにはいかぬ故、質素となってしまった。口に合うと良いのじゃが」


 女性は料理を終えたようで、鍋をダイニングテーブルへと運ぶ。


「……あの、私は」

「ん、もしや食欲が無いか? それとも食べる元気が無いか……妾が食べさせてやろうかの」


 スプーンを手に取り食べさせようとしてくる女性を、少女は制止する。


「いえ、そうではな、くて……私の主なエネルギー源は、魔力なのです」


 少女の回答に、女性は一瞬だけ驚いた様子を見せるものの、直ぐに納得したように頷いていた。


「いやはや。主様が連れてきた少女と聞いて、普通ではないのじゃろうなと予想してはいたが……しかし困った。妾、魔力は量も質も塵芥に等しいからの……主様が帰ってくるまで待つしかあるまい」


 そう諦めた様子で鍋を片付けようとする女性だったが、少女は咄嗟にその腕を掴む。掴むために使用したエネルギーでさえ勿体ないというのに、自然と体が動いてしまった。

 処理回路を介さない、本能的な、この肉体に染み付いたと思われる行動。これがあるからこそ私は失敗作であり、そして――


「経口摂取した食物、から魔力を生成する機能を有して、います。変換効率は悪いですが、微々たるものでも、是非ともいただき、たいです」

「ほう、それは良かった。ではたんと食べるが良い」


 渡されたスプーンで、鍋のお粥を掬って口に運ぶ。ほかほかとした湯気が顔に当たり、食欲の興奮を感じながら口に入れた。

 とろりとした滑らかさと、穀物の確かな旨味、そして調味料と思われる塩気と卵の風味を舌で感じる。数回咀嚼した後、ゆっくりと喉へ流した。


「……美味しいです」

「粥といえど、そちの体調が万全かどうか分からぬ故、ゆっくりと食べると良い」


 食道を通じて胃に達したお粥が、魔力に変換されていく。偶然であろうが、お粥は魔力変換効率が他の料理に比べて良い部類の食べ物であったため、想定よりも多い魔力が体に染み渡る。

 そして魔力だけでない、別の温かさも感じる。単純なエネルギーではない何かが、少女の心と体を満たしていった。

 後はひたすらに手と食器を動かし、気付けば鍋の中身は空っぽになっていた。無心でひたすらにパクついていたことに羞恥を覚え、赤らんだ頬を手で隠しながら顔を背ける。

 その様子を女性は微笑ましげに眺めながら、空となった鍋を片付け始めた。


「あ……私、が片付けます」

「体力は取り戻したのかもしれぬが、まだ万全ではあるまいて。まだここに座って休んでも構わぬし、動けるようならばとこで寝るのも構わぬよ」


 いたれりつくせりであった。


(何故。見ず知らずの私の、ためにここまでしてくれる、のでしょうか)


 不思議な女性だ。気絶する直前に見たあの青年と同様の存在感を持っているのに、隣に居てくれれば自然と気が休まる。包容感、と称すべきなのか……上手く言葉に出来なかった。

 そして、ここでふと大切なことに気付いた。


「……貴方の、お名前は」

「おや、そういえばまだ申しておらんかったな」


 女性は食器を洗う手を一度止め、少女の方を向いて名乗った。


「妾は東風谷ウメ。元ゴブリンの鬼人にして、今は主様の忠実なる配下……気軽にウメとでも呼べばよい」


(……? 元ゴブリン、鬼人? 情報の処理が不可。記憶容量の片隅に保管するのが適と判断)

「ウメ、様。そしてここは何処な、ので、しょうか」


 ウメと名乗る女性のその口から、真に信じがたい内容が飛び出る。


「――ここは王都。サレンバーグ王国の首都、その北区に位置しておるよ」



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