第9話 差別って、駄目だよね


「弱者の剣、受けてみよ――」


 真正面。縦に振りかぶった剣は、僕を縦に真っ二つにする勢いで振り下ろされた。それを横っ飛びに避けた翔真は反撃を試みるも、地面に刺さった剣を勢いよく抜いたゴブリンクイーンは直ぐに体勢を立て直した。


「避けるとは、なかなか」

「お褒めに預かり光栄だよ」

「ふん、ゴブリンごときの称揚など気にも留めぬくせに」


 自虐するように言ったゴブリンクイーンは、再び翔真に斬りかかる。今度は袈裟斬りを狙って右肩を狙うが、姿勢を低くして避けた翔真は、通り際にゴブリンクイーンの左脇腹にナイフを突く。


「グギゃァ!」


 直ぐに距離を取り、痛みにうめき声をあげるゴブリンクイーンと対峙した。ゴブリンクイーンは倒れておらず、出血も少ない。まだまだ致命傷には程遠かった。


「……強いな、『そなた』は」


 呼び方が『お前』から変わっている。それは翔真という敵の強さを認めたことの表れだった。


「いや、僕は弱いさ。師匠、いや、先生には一度も勝てていない」

(力を隠してるし、本気は出してないけどね)


「そうか……所詮、ゴブリンが多少努力したところで到達できる域ではなかったというわけか。そなたの他にも強者がいるのだな……」

(初めから、無茶な作戦であったということか)


 ゴブリンクイーンは押さえていた脇腹から手を離し、血が流れながらも剣を構えた。先程多少の努力と言っていたが、その構えは並の努力で到達できない練度だった。それこそ、幼い頃からずっと訓練を積んできたクレアと同じ程に。


 それから何度も打ち合った。

 ……この閉所では剣を大きく振り回すことが出来ず、それ故に長剣を持って動ける範囲が狭まってしまう。対して短剣使いは、利点である手数の多さを活かし、不利点であるリーチもこの距離では関係ない。ゴブリンクイーンの唯一の過ちは、相手が長剣以外を使っている場合を想定していなかったこと。

 振りかぶるにも隙が多く簡単に接近され、突きを放つも避けられ接近を許してしまう。少しずつ、小さな傷が増えていき――


「ぐっ! はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


 ――何度も刃に刺され斬られ、体中から血を流すゴブリンクイーン。対して翔真は切っ先が腕をかすった程度であり、殆ど無傷であった。

 つい一週間前までなら、ここまでの差はつかなかっただろう。いやゴブリンクイーンの最初の一撃で真っ二つに裂かれていた可能性も高い。だがそうならなかったのは一週間の訓練とレベルアップの影響にある。


「そなた、レベルは一体――」


 問われた内容に対し、教えても構わないと判断した翔真は簡潔に言う。


「Lv.30だ」


◯相沢翔真『スパイ(Sランク)』Lv.30

 体力414/450 筋力389 敏捷498 魔力300/500 技工408

 スキル【改竄】【変装】【変声】【詭弁】【全言語理解】【解読】【足音消去】【気配遮断】【気配感知】【足跡消去】

 称号:【神をも欺く者】


「っ! ……くははっ! まさか妾の配下を倒すだけでレベルをそこまで上げるとは!」


 ここ一週間のゴブリン退治と訓練の効果が相乗し、翔真はLv.30に到達しステータスも大きく上昇した。

 大笑いしたゴブリンクイーンは傷だらけで戦闘中にも関わらず、上機嫌で翔真に尋ねた。


「して、妾達を攻撃し始めた時はどれほどだったのか。ある程度は成長していたのであろう?」

「……Lv.1」

「それは真か?」


 こくり、と翔真はうなずく。ゴブリンクイーンは笑いを通り越して呆れている。


「……ほとほと異常なやつじゃな。ゴブリン退治なんぞに参加する時点でおかしいが、たった一週間でそこまでレベルを上げる話なぞ聞いたことないわ。そなた、何処の者であるか答えい」

「まぁ、勇者だよ。スパイだけどな。だから僕は魔王軍側だ」

「魔王軍のスパイ⁉ 勇者でありながらか⁉」


 目を丸くするゴブリンクイーンは驚愕を隠しきれていなかった。


「スパイということは、魔王軍の手先にあるという意味であるか。ならばして、何故妾達に害を為す」


 すっかり戦闘という雰囲気ではなくなってしまったが、それでも会話を続けた。


「いや自分はまだ魔王軍の手先ってわけじゃなくて……まぁ諸事情あってスパイになったから、魔王軍が勝利するように動かなくちゃならないんだよ。で、強さが足りなきゃ動きづらくて、そのためのレベルアップに使わせてもらった」

「ほほぅ……それはまた面白い。ではそなた、妾の配下にならぬか? 『まだ』ということは、いずれは魔王軍の味方になるつもりなのであろう。今直ぐに服従を誓えば、配下殺しは見逃さんこともない」

「冗談を言う元気はあるみたいだな」


 ナイフを構え直す翔真を見て、目を何度か瞬かせた後にニヤリと笑みを浮かべた。


「そうじゃな。今は戦いの最中。……次の一撃に、妾の全力を籠める。そなたも妾を殺す気で来られよ」


 ゴブリンクイーンが剣を構え直すと同時に、二人の間に独特の空間が広がる。

 翔真は初めゴブリン退治のつもりで巣穴に訪れたが、気付けばゴブリンクイーンとの戦闘に惹かれている自分がいた。

 今までの戦いとは、クレアとの訓練とゴブリンの闇討ちのみ。異世界、いや人生で初めての『命の奪い合い』。しかもゴブリンだが賢く、策を弄する強敵の存在と対峙できたことに歓喜するが、それを彼が自覚することは決してない。

 ゴブリンクイーンは、真っ直ぐと自分だけを見つめる翔真に敬意を抱いた。最弱種族でありながら決して見下さず驕らず、彼女達を警戒してくれている。そのことが無性に嬉しく、死にかけの状態でも笑みを浮かべる。

 ザリッと砂利が音を鳴らし、翔真とゴブリンクイーンの姿が消えた。一瞬の交差の後、立っていたのは――




「……やはり、届かぬか」


 ――胸に大きな傷を負って倒れるゴブリンクイーンを、翔真は見下ろしていた。


「ゴフッ」


 喀血するゴブリンクイーンを見る翔真の目は、何を考えているのか感情が読めない。そのことを少し恐ろしく感じつつも、女王は最期に問う。


「……妾は、強かったか? 勇者の敵として、恥じぬ戦いをすることが出来たか?」

「あぁ、君は強かったよ」

「そうか……」


 女王は一時の躊躇いを見せた後、口を開いた。


「そなたと妾の一騎打ちにするため、見張り数体だけ残し、他の配下は全て撤退させてある。場所は教える。後は好きにせい」

「アンタ、ゴブリンの女王なんだろ? 部下の居場所を吐いてもいいのか」

「ふん、敗者は勝者に貢ぐのみよ。……そう、妾達はいつも敗者であった」


 女王は光のない目で回顧する。


「どれだけ努力しても報われぬ。全て最弱の種族であるという理由で軽んじられる。……ゴブリンの最も多い死因は何か存じているか?」

「人間による殺害……じゃなさそうだな」

「そうだ。死因の多くは、食料を同類の魔物に奪われた末の餓死よ」


 最弱種族であるが故に、奪われる。それは命も、食料も、家族も。

 女王は多くの悲しむゴブリンを見てきた。仲間が殺され、空腹に喘ぎ、恨みの一つも残せぬままこの世を去る配下たちを。

 翔真が来る途中で発見した二体のゴブリンのような下劣で醜悪な性格の者は、基本的に前線へ出ている戦闘員でしかない。魔王軍の領地で農業に勤しむ温厚なゴブリンが殆どであるが、それを知らない人間に殺される。

 そんな理不尽に耐えきれず、女王はゴブリンの権利を高めるために剣を手に取ったのだ。


「……なぁ、裏切り者の勇者よ。妾達は何がいけなかった? ゴブリンとして生まれてきたことが間違いだったのか?」


 魔物の中にも、差別は存在する。寧ろ種族の力で全てが決まる社会である以上、地球にあった人種差別よりもたちが悪い。魔物の抱える事情が想像以上に重く、翔真は返答に困った。それでもなんとか口を開く。


「……君たちのことについて言えるほど、自分は偉くない。ただ……君は少し、窮屈そうに見える」

「窮屈、とな?」

「僕みたいに――自分のためだけに生きるように――そういう『自由』が、君には無いように思えたよ」


 それは地球での平凡な自分と生活に嫌気が差したという理由だけで、異世界で人類の敵となることを決めた翔真だからこそ言える言葉だった。スパイとして刺激に満ちた日常を送りたい、という酷く利己的な思いでクラスメイトを裏切り、ゴブリンを殺戮し、吐瀉物を撒き散らかしてまで、ここまでやって来た。

 そうした『自由』が、種族という枷に囚われた女王には足りなかったのだ。


「なるほど、自由か……確かに、妾にはそれが足りなかったのかもしれぬな」


 「ふっ」と微笑を浮かべる女王は、これから訪れる終わりを憂い、少し後悔する。


「もし妾が自由であったならば……願わくば、そなたの隣に並んで、共に戦ってみたかった――」


 ゴブリンクイーンは、そっと静かに目を閉じた。




「――なら、一緒に戦ってくれるか?」

「は?」


 突然の提案に、終わりを覚悟したはずの女王の口から情けない声が漏れる。


「今から手当すれば、まだその傷なら間に合う。君が僕の味方になってくれるのなら、これ以上ゴブリンを攻撃しないと誓うよ」

「……何を、言っておるのじゃ? ゴブリンクイーンである妾を殺せば、莫大な経験値が手に入るのじゃぞ」

「僕はスパイだ。最低限の力が欲しいだけで、別に世界最強になろうってわけじゃない。それにゴブリンは個体数が多い。スパイの情報収集源としては最適だ」


 真顔で当たり前のことのように言う翔真を、ありえないものでも見るかのような目で女王は眺める。


「魔物と手を組み人類に反逆する勇者……異分子も大概にせい。寧ろ笑えてくるわ」

「笑う元気があるなら僕の提案を受け入れるか断るか答えてくれ。間に合うと言ってもギリギリだ」


 少し焦りを見始めた翔真をぼやける視界で眺め、確かな想いを込めて宣言した。


「……分かった。そなたを敬愛する主と認め、今後は妾の力をそなたに全て捧げよう」


 言い終えた途端、翔真の脳内で天の声が響いた。


『条件を満たしました。称号【魔物を率いる者】を取得しました。称号の効果により、”ゴブリンクイーン”がエクストラモンスター”鬼人”に進化します』


 アナウンスの終了と共に、ゴブリンクイーンに変化が起こり始める。


「オゲッ! グギャッ! アァァ!」


 ゴブリンクイーンの肌が、骨が、体全体が動いて変化していく。血に慣れた翔真でさえ、言葉にし難い恐ろしさを感じて思わず目をそむけた。


「……」


 悲鳴が止み、恐る恐るゴブリンクイーンが居た方向を見ると――


「……え?」




 ――息を呑む程の美女が、全裸で横たわっていた。



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