第7話 慣れって、怖いよね


 午後の訓練を終え日が沈み、街の殆どが寝静まった頃に翔真は動き出した。

 前日の出来事によって王城への侵入対策は厳しくなったが、逆に王城を出ることは容易くなった。楽々城門を通り抜け、ついでに門の武器庫にあったナイフを一本拝借する。後で戻しに来ると心の中で誓いながら、翔真は東区の大通りを歩く。


 街が寝静まったとはいえ、これから仕事が始まるところも多い。酒場や娼館の中はランプの火が灯り、騒々しく淫らな声が響いている。

 男を店に誘うため色気を振りまいている娼婦があちらこちらに見られ、絡まれると面倒なので、魔力を勿体なく感じつつも【気配遮断】を発動していた。


 そして大通りの端、すなわち大門に到着する。

 王都は高い塀で囲まれ、四方にある大門でしか出入りができない。出入りする際にはオリジナルプレートでの個人確認と目的を問われる。そうでなければ条例違反となり、取り調べを受けなければならない。

 ――たがそれは、姿が見られた場合のみだ。


「へへ、兵士さんも大変でしょう。ささ、こちらをどうぞ……」

「ふむ、通ってよし!」


 怪しげな商人が賄賂を渡し、不法に王都を出ている。大門が開いた隙に、持てる潜入系スキルを全て発動して荷車に密着して歩く。

 緊張で心臓が暴れている。両側からの兵士の視線が恐ろしい。見られていないと信じていながらも、スニークの怖さは消えなかった。


「……」


 そして大門から少し離れた場所で荷車から離れ、森に到着したところでスキルを解除する。


「ふぅ……何度やっても慣れねぇな、スニーク活動ってのは」


 だがここで休憩していては夜が明けてしまう。ナイフを鞘から抜き、翔真は真っ暗な森へ入っていった。


(噂が本当なら、この森にいるはずだ……)


 翔真の目的は、昼にマリアーヌから聞いた、森に出現するというゴブリンだ。

 騎士団であるクレアに聞かれてしまったのだ、いずれ討伐されるだろう。……ならば翔真がフライングでゴブリンを倒してしまったところで、何も問題あるまい。

 経験値を手に入れるため、Lv.1にも関わらず翔真は魔物のいるという森を歩いていた。



 そしてその時は突然訪れる。


(――いた)


 開けた場所に、太ったゴブリンが大の字で寝ている。死んでいるのかと一瞬目を疑ったが、大きなイビキを鳴らしているあたり本当に寝ているのだろう。狙うなら今だと思い、草むらから飛び出て寝首を掻く――なんてことはせず、一度【気配感知】を辺り一帯に使用した。


(ハッ! やっぱりかよ)


 あのゴブリンは群れから追い出された雑魚……と思わせておいて、実は罠。開けた場所の周囲に五体のゴブリンの気配を感知した。油断しているゴブリンを奇襲しようとした冒険者を、逆に奇襲する算段だったのだろう。

 確かに戦術として理にかなっている。

 生物が一番油断する瞬間は、獲物を襲っている瞬間だ。その時、生物は目の前の獲物だけに集中してしまい、周りへの注意が疎かになる。

 ――だがそれは、逆に奇襲する側が奇襲される機会を作ってしまうということ。

 翔真は細心の注意を払い、一番近くに隠れているゴブリンの背後へ回る。スニーク系スキルを全開にしたスパイ。それも周りが暗闇に包まれているとなれば、気付ける者は滅多にいない。

 そして狩られる側は、非常に無防備だ。それも、戦闘訓練を始めて一日の高校生が倒せてしまうほどに。


(ふぅ……シッ!)


 ナイフを大きく振りかぶり、素振りで腕に染み付いた『型』の姿勢で横へ真一文字に切り裂く。ナイフの切れ味が想像以上に良かったのか、はたまたゴブリンの耐久力が想像以上に弱かったのか、少しの停滞の後にゴブリンの首がゴトリと落ちる。悲鳴を一つも上げず、落下音は夜を羽ばたく鳥の鳴き声で掻き消された。


 ブシィッ!


「っ! うっぁ……」


 ゴブリンの首の断面から血飛沫が舞う。幸いにも隠れている他のゴブリンに気付かれることはなかったが、翔真の心は荒れ狂う。血の噴水に押されるように、体を倒して尻もちをつく。



(血…….血だ! 怖い怖い怖い怖い‼ 嫌だ嫌だ怖い怖い――)



 当然のことだった。戦場にいる歴戦の兵士でもなければ、血液を見慣れている医者でもなんでもない只の学生が、血が勢いよく吹き出すというショッキングな様を見せられて平静でいられるはずがない。

 翔真が殺した。自分で招いたこととはいえ、なんとも無様なことである。


(ごほっ……オエぇェッ!)


 昼に食べたドラゴン肉も、トーラス牛のミルクも、豪華な夕食も、全て吐いた。

 吐瀉物の鼻の奥をツンと刺す臭いで余計に吐き気が催す。一応音を立てないように、臭いで他のゴブリンに感づかれないように、遠くで吐かなければならないと考える程度の思考はあった。……逆に言えば、それくらいの余裕しかなかったのだ。


(くせぇ……気持ち悪い)


 袖で口を拭いながら、次のゴブリンがいる場所へふらふらと揺れながら移動する。不安定な姿勢でも、その足取りは確かなものだった。


 ――どれだけ苦しくとも、汚れようとも、今更止めるわけにはいかない。退屈な日常から抜け出すために決めた道だ。

 人類を敵に回し、クラスメイトを裏切り、この王国を崩そうとしている……そんな翔真に残された道は、前に残された一本だけ。「動機が軽い」とどれだけ罵られようとも、自分が自分であるために、自分の人生に彩りをもたらすために、必要な道。


 静かに次のゴブリンの背後に立ち、再び大きくナイフを振りかぶる。


(殺ってやる……平凡な僕が、この異世界で自分らしく生きるために!)




 日の頭が見えだした頃、翔真は大通りを力なく歩いていた。既に魔力は限界ギリギリに達し、【気配遮断】のスキルを使えていない。

 酒場で一晩中騒いでいた冒険者の集団が、ふらふらと歩く翔真を訝しみながら横目に通り過ぎていった。その内、数人は鼻を押さえていた。


(……疲れた)


 体中に疲労が溜まっているが、それよりも精神的な疲労が酷い。あれから奇襲ゴブリンを四体、罠のゴブリンを一体殺し、そのたびに吹き出る血飛沫を眺めさせられた。勿論ゴブリンの血は翔真に降りかかり、綺麗だった服は赤黒い色に染められている。

 さんざん吐きまくったので胃の中は空っぽであり、最後のゴブリンを倒した時は吐き出すものがなく、胃酸だけが飛び散っていた。

 今はなけなしの魔力を消費して【変装】のスキルを使い、見た目だけは誤魔化している状態。血の匂いや濡れた不快感、吐瀉物の悪臭はそのままなので、翔真は早く帰りたかった。


「戻らないと……そんで少しだけでも寝ないと……」


 幸運にも、移動中に【気配遮断】使用分の魔力が回復したので問題なく寮に戻ることが出来た。

 血で汚れた服を脱ぎ、タオルで体を拭く。朝早い時間帯なので、残念ながら水を使って身を清めることは出来ず、お湯を浴びたい気持ちを我慢してベッドに倒れ込んだ。

 そして直ぐに目を閉じ寝入って――



「……やっぱ眠い」

「どうした? 超体調悪そうに見えるが」

「いや、ちょっとした寝不足だよ」

「おいおい、健康は大事だぞ? まだこの世界に来て数日しか経ってないのに、もう病気にでもなったらこの先どうすんだ」

「……気を付けとく」


 シュウの正論パンチが耳に痛いが、反省する気はない。オリジナルプレートを見て、昨日の成果を確かめる。


◯相沢翔真『スパイ(Sランク)』Lv.10

 体力200/200 筋力157 敏捷216 魔力43/300 技工150

 スキル【改竄】【変装】【変声】【詭弁】【全言語理解】【解読】【足音消去】【気配遮断】【気配感知】【足跡消去】

 称号:【神をも欺く者】


 あの時は極度のストレス状態にあったため、レベルアップを知らせる天の声が一切頭に入ってこなかったが、実際には9レベルも上がっていたらしい。ステータスも全体的に上昇し、体の動きが良くなっている気がする。

 しかし魔力疲労に関しては全体の割合から起こるもののようで、最大値が50であった頃なら問題ない状態だったはずの43という値が、今では体が重くて仕方がない。

 だが確実に成長しているという感覚があるため、今後も変わらずこのような活動を続けようと、改めて心に決めた。


(……ゴブリン六体で10レベル上がった。流石にこのままってわけじゃなさそうだし……多分、レベルが高くなるほどレベルアップに必要な経験値が増えていくシステムなのだろう。じゃなければ、七年も騎士団に属しているクレアがLv.40であるはずがない)


 今はゴブリンを倒すだけでレベルが上がっているが、いずれは倒しても倒しても上がらないようになるだろう。その時までに十分な実力を付けなければ、と覚悟する翔真だった。

 そして騎士団の指導係が現れ、今日も訓練が始まった。翔真は変わらず素振りを行い、『型』がちゃんと出来ているかチェックを受ける。


(力加減と姿勢はこれぐらいで……)


 急に力が成長してしまっていては怪しまれてしまう。昨日のナイフを振る速さを思い出し、その速度になるよう加減して訓練を行った。

 しかしクレアは気付かない。昨日と変わらず褒めて伸ばしてくる。


「素晴らしいです! 特に『型』が上手で、実際に戦闘を経験したみたいになってますよ!」


 昨晩本当に魔物を殺したのだが、それは口に出さないでおく。




 そして今日も夜となり、翔真はゴブリンを殺戮して回った。レベルアップによりステータスが成長したため、昨日ほど疲れずにゴブリンを殺すことが出来ていた。

 翔真はナイフを縦に振り、ゴブリンを頭から真っ二つにしながら思う。


(……慣れって、怖いな)


 人は強い衝撃に慣れる。一度は吐くほどのショックを受けたとしても、それを何度も経験してしまえば段々と心動かされなくなるのだ。現に翔真もゴブリンの血の噴水を眺めているが、昨日ほどの苦しさは感じない。

 そうして一週間、翔真によるゴブリン狩りは続けられた。



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