第23話 完全木製の車輪は絶対に止めておいた方が良い


 ガタゴトと揺れる馬車の中、翔真は窓の外の景色を眺める。

 のどかな草原と、その奥に見える荘厳な山々。そよ風が吹き、木々を撫でるように揺らしている。


 彼は日本では中々味わえない壮大な自然を楽しんでいた――


「おっ。日花里、向こうに川があるみたいだぞ」

「……うん……綺麗だね」

「いやいや、日花里の方が綺麗だよ」

「っ……馬鹿。秋くんの大馬鹿」

「痛っ、ちょ本気で殴ってくるなって!」


 ――反対側の席で、現在進行系でイチャついているカップルが居なければ、もっと楽しめたはずなのだが。




 スタンピードの際にクラスメイトと行動していなかったことを軍規違反と判断され、帝国での研修が命じられた翔真。

 ゴドルフ王から命じられた日の一週間後、馬車に乗って帝国へ向けて出発した。しかし何を思ったのか、シュウと日花里が翔真に付いてくると言い出したのだ。

 翔真以外のクラスメイトは全員が学術機関への入学が決まっており、翔真の出発と同時に彼らも学術機関が存在する都市へと向かった。勿論二人も例外でなかったのだが、委員長から翔真の帝国行きが伝えられると、急に彼と共に帝国へ行くと主張し始めた。初めはシュウで、それに付き添う形で日花里もであった。

 日花里に関しては恋人であるシュウと一緒じゃなければ不安だろうから納得できなくはないのだが、シュウに関しては動機が『友人である翔真を一人で他国に向かわせるのは不安だ。俺も行く!』というものであるから、当事者である翔真はたまったものではない。


(帝国で魔導人形の開発……もしその戦力が魔王軍にぶつけられたら、多くの被害を受けてしまう。そうなれば魔王軍の勝利が遠のいてしまうな)


 翔真が単身での帝国研修を、何の文句も言わず受け入れたのは、ゴドルフ王の書斎で発見した情報が理由だ。魔王軍側のスパイとして活動している彼にとって、この情報について一刻も早く確かめ、もし真実であれば何らかの対処を行わなければならなかった。

 だからこそ、単身での研修は都合が良かった。時間にも人にも縛られず、比較的自由に潜入できたはずであったから。

 だというのに――



「ん、こっから三十分くらい休憩を取るみたいだ。ずっと馬車に座ってるだけじゃ飽きるし、気晴らしに遊びに行こうぜ」


 馬車が一度止まり、先程シュウが言及した川の付近で休憩を取るらしい。シュウから遊びに誘われるが、翔真は断る。


「僕は遠慮しておくよ。ちょっと寝たい気分だから」

「おう。じゃ日花里は?」

「……行く」

「了解っと。そういうわけで、俺達は少し外に出てくるわ」

「楽しんできてなー」


 馬車から降りる際、シュウが日花里の手を握り支えていた。まさに出来た彼氏。日花里も満更でなく、無表情ながらも普段より少し軽い足取りで川へ歩いていった。勿論二人は恋人繋ぎだ。


「やれ、バカップルへの気遣いも大変だな」


 ……別に、彼氏彼女や恋愛についての憧憬が無いわけではない。互いを思いやり、互いに歩む人生というものは随分と刺激的なものだろう。

 しかし翔真が自身の恋愛について考えてみたところ、彼は誰かと付き合った後のことが想像できなかった。誰かと歩む刺激的な人生というものが、思いつかなかったのだ。

 誰かとの恋愛が自分の欲求を満たしてくれないのだと、彼は直感的に理解した。それから彼は誰かを好きになること、誰かに好かれることについて無意識に頭の中から排除している。自分が誰かを好いたところで、己も相手も、誰も幸福にはならないのだと知っていたから。だからこそ、異世界召喚後のスパイ活動に興奮しているわけなのだが。




「――そういや、あの馬車って何なんだろ」


 翔真がボーッと眺めているのは、彼が今まで乗ってきた馬車とはまた別の、更に豪華な馬車。飾りが施されており、出発の時にも一際目立っていた。誰が乗っているのだろうかと疑問に思っていたが、上手く聞き出すタイミングを失ってしまい、ここまで知らずにいる。

 単純に考えるならば、勇者以上の重鎮や高位貴族。いやもっとそれ以上……それこそ――



「さて、貴方の両眼を隠しているのは誰でしょう⁉」



 途端、何者かに背後から近づかれ、両眼を手で隠される。人が近づいていることは【気配感知】で理解ってはいたのだが、その内には敵意が感じられず、敢えて放置して出方を伺っていた。

 しかしまさか目隠しをされるとは思わず、若干の困惑を交えながら冷静を装って思考する。


「……全く聞いたことのない声ですね」

「それもそのはず、私と貴方が話したことは一度もありませんからね」

「クイズの難易度が鬼級なんですけど」


 小さな笑い声を合図に目を隠していた手を離され、翔真はそのまま振り向いた。


「……えっと、どなた?」


 当然だが、彼の記憶からパッと出てこない人物であった。

 美しいけれども華美過ぎない清楚なドレスに身を包み、優雅な笑みを浮かべる女性。年齢は恐らくだが翔真と同じくらいで、化粧をしていないのに素晴らしく整った顔立ちをしている。美人であるウメと同じくらいに顔立ちが綺麗だが、ウメは『美しい』という部類に入り、目の前の彼女は『可愛らしい』という部類に入りそうである。

 互いにじっと顔を見合わせると、段々と翔真の頭の中からとある場面が思い浮かばれた。


「話したことはないけど、見たことはあるような……」

「ふふっ、意地悪もこれくらいにしておきましょうか」


 席に四つん這いの恰好で居た彼女であったが、立ち上がり、席と席の間で美しい立ち居振る舞いを魅せる。


「改めまして、自己紹介を。私はルナ=ヴァン=サレンバーグ。サレンバーグ王国の第三王女を務めさせていただいております。どうか以後お見知りおきを」


「……あっ! あの時! 僕が召喚された時に王様の隣に立っていた!」


 瞬間、翔真の脳裏に召喚時の光景が走る。彼は驚愕した。

 クラスが異世界に召喚された時、主にシモンとゴドルフ王の二人が話していたおかげでその二人についての記憶しか残っていなかったが……ゴドルフ王の隣で召喚を見守っていた女性が居たことを思い出した。紹介もなく、あの時は突然の召喚を状況の理解に頭が困惑していたため、彼女についての記憶が残っていなかったのだ。

 この時、翔真は初めて知った。……眼の前の女性が、王女の一人であることを。


 慌てて姿勢を正し畏まるが、ルナはそれを制止する。


「あっ、そんな他人行儀にしないでくださいな。貴方は世界を救う勇者ですのよ? 立場上は私と同等、いえそれ以上にありましょう」

「しかし……王族の方に無礼な行動を見せたと知られれば、同胞の全員に糾弾されてしまいます」

「いえ、私は先程のような気軽なやり取りを所望します。これでも態度を変えないのであれば、『お願い』ではなく第三王女として勇者の貴方に命じさせていただきますからね」

「……はぁ。分かりましたよ。こんな感じでいいですか?」


 刹那に視線を右にずらすが、彼は諦めたかのように嘆息し、態度を悪い方向に改めた。その様子を見て、ルナは満足げに微笑む。


「で、その王女様がなんだってこんなところに居るんですか」

「あら、ご存知でない? 実は私、帝国学院に短期留学をする予定なのです。貴方もご入学なさるとお聞きしたのですが……」

「僕も短期留学? ――あぁ、そういうことですか」


 サレンバーグ王国の第三王女であるルナは、王族の一人として幅広い教養を身に付ける必要がある。それは国内での座学だけでなく、より実践的なものや、他国で見聞を広めることも含まれる。今回の短期留学はその一環だ。

 そしてルナの短期留学のタイミングで、ちょうど一人の勇者が問題を起こした。ゴドルフ王はこのことに目を付け、愛娘であるルナの護衛としての任も兼ねて、帝国での研修を命じたのだ。

 ルナが補足するには、翔真の命じられた研修とは名ばかりのものであり、実質的にはルナが帝国で過ごす学院生活とそう変わらない。彼女と同じ制服を着て、同じ学院に通い、あらゆることを学んでいく予定だ。


「安全上、帝国に到着するまで私の存在は勇者様方に明かすことは叶いませんでした。そしてこれが、到着後に貴方へ渡す予定だった父からの手紙です」


 ルナはその豊満な胸元から手紙を抜き取り、翔真に差し出す。躊躇いながらもそれを受け取れば、確かな温かみが感じられる。しかしその温度を頭の中から除き、文書の内容に目を通した。

 大まかな内容としては翔真の推測が当たっており、念の為に勇者である翔真がルナの護衛を命じられている。加えて、王個人としてはとりわけ翔真に懲罰を与えるつもりでは無かったのだが、規則と世間体を保つために形式上でも罰を与える必要があったこと。そしてそれについての小さな謝罪の弁が書かれていた。


(……まったく、とんだ策士な王だな。あの男は)


 仮にも勇者の一人を娘の護衛に使うなど、強かという言葉以外に当てはまらない。

 だが帝国の内情を探るには、学生という仮面を被るのも良いかもしれない。……そう思い、彼は今後の作戦を脳内で立て直した。


 手紙をルナに返し、改めて尋ねる。


「それで王女様は何故この馬車に来たんですか。恐らくですけど、後ろを走っていたあの豪華な馬車が王女様のでしょう?」

「無論、退屈だったからです!」

「一国の王女がそんな振る舞いを行って許されるんですか? 今頃騎士団の人たち捜してるんじゃ」

「だって……あんなに大きな馬車なのに、乗っているのは私一人。あまりに暇すぎます。加えて、民の税をこのような形で使用していることに対しての申し訳無さで押しつぶされそうで……」


 性格が良いのか悪いのか、よく分からない回答であった。しかし彼女の場合は多分に、性格は良いが多少お転婆な部分を含んでいると考えるべきだろう。

 そしてなんとなくだが、翔真はルナに対して一定の好感を抱いた。自国の民を想える者というのは、いつの時代でもどの世界でも、必ず民に好かれるような人格者であるからだ。

 彼女の優しさ、そして立場……利用できる部分は多い。

 ここである程度の関係は築いておくべきだろう。


「はぁ……じゃあ休憩の度に、この馬車に来てください。貴方の暇を満たせるとは限りませんが、話し相手くらいにはなれますよ」


 翔真の答えを耳にすると、ルナは花が咲いたような笑みを浮かべた。


「なんとお優しい! それでこそ私の勇者です!」

「貴方の勇者になったつもりはありませんが……まぁとにかく次回のためにも、今は速やかに馬車へ戻ってください。もしあの馬車に居ないのが見つかれば、次はありませんからね」

「了解です。それでは、またお会いしましょうね……相沢翔真様」


 その言葉を最後に、ルナは馬車を下りて戻っていった。意外に機敏な動きで、騎士が川で水を汲んでいることもあり誰にも見られることはなかった。

 想定外の出会いであったが、帝国に着けば更に濃密な生活を送れることだろう。その期待に翔真は胸を踊らせる。




(……あれ? 自分から名乗ってなかった気がするんだが)



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