❅5-4 和平の『裏』

「……何がそこまで貴殿を追い詰めている……?」


 氷月は素朴に思っていたことを無意識のうちに言葉にしていたらしい。氷月の言葉に勢いよく顔を上げた苑葉の顔色の青白さが何かを物語っていた。その「何か」について氷月は察しがついていたが、確信が持てていなかった。それが今、変わる。


「……『花都』より『氷都』との和平を絶てと言われた」

「断ることは?」

「不可能だ。緑黎の命が懸かっていた。だから下手に行動などできなかった。……こんな大事になるとは思わなかった……すまなかった、氷月殿」

「いえ。……そうか。彼女が昔、あの国の人質であったことと関係していたのか……。なるほど、漸く事を理解しました」

「……この話も、人払いをしているとはいえあの男のことだ、どこからか見ているのだろうな」


 それは確かに、と天井から今にも滴りそうな結露を見つめて心の中で舌を打った。『花都』の王はそれほどまでに信用が無く、用心しなければならない危険人物なのだ。華やかな国の名に反し、どこまでも暗い沼のような闇を持つ男のことを氷月は頭に思い描いた。

 おそらくあの男は『花都』『氷都』間の和平は継続し、仮に『葉都』が『氷都』に助力を求め『花都』を裏切ったとした場合、『氷都』『葉都』両国との和平を一気に断ち、戦争へと発展させるシナリオを描いていたのだろう。戦争など『氷都』に勝るはずがないことは先の戦争で目に見えているはずなのに、何故『葉都』との和平解消にこだわるのか?


(一体、あの王は何がしたいんだ……?)


 氷月はその点だけが納得がいかなかった。


「氷月殿、和平条約の件なのだが……」

「和平は解消しましょう」

「————は?」


 氷月からの思いもよらない提案に、苑葉は拍子抜けた声を出した。


「このままではあの国の……いいや、あの男の思うつぼだ。先の戦争で敗北したことをもう忘れたとは思えない。何か裏があってこの話を義兄上に持ち掛けたのでしょう」

「だ、だが、それでは『葉都』はどうなる? 裏切ったとなれば水仙王は何をするか分からない」

「形だけ、条約を解消するのです。触れを出し、『氷都』と『葉都』は決別したと世界に伝えるのです。ただし、これはあくまで我々が独断で行う平和的解決。形式上『葉都』は我が国の支配下に置くこととします。それに義兄上はただ従ってもらえれば構わない」

「それではあまり以前と変わらないような……」

「そこが狙いです。内輪では結束しつつ、外見は不仲を装うのです。もとより、我々はそこまで親しい交流を持っていない。その点を利用するのです」

「本当に、いいのだろうか……?」

「条約解消の証明として『葉都』の国境に我が国兵を送ります。国境を越える者が現れた時はその者を捕らえ、弊国への反逆と見なす。けじめはそれでつくでしょう? 仮に、この話が筒抜けていたとしても、『花都』は武力で『氷都』に勝る国ではない」


 自分よりも一回りは年が下の氷月が頼もしく見える。ああ、こういう男であるから、私は妹をこの男に渡したのだ。苑葉は肩の力が抜けていくのを感じた。


「……了承した。我が国の為に動いてくれること、誠に感謝する」

「妻の、願いですから」


 苑葉は力なく、しかし瞳にはしっかりと強さを残して氷月に頭を下げた。これでいい。

 氷月は無事に事の件が終着したことを認めると、漸く安堵の息を吐いたのだった。

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