❅2-6 凶報

 気まずい空気が流れる中、王室方面から雨月が血相を変えて二人に向かって走ってきた。



「兄う——陛下! ……と偃月?」



 王と臣下が話していたと勘違いした雨月は〝兄〟と言いそうになるのを咄嗟に止めた。

 しかしいたのは心を許す偃月で、どうしてお前が? と不思議そうな顔をして雨月が偃月を見る。氷月と共にいることが彼にとっては珍しい光景だった。


 偃月はへらりと笑うだけで雨月の質問を返した。

 それは、これ以上は聞いてくれるなという、偃月なりの簡単な拒絶だった。


「……陛下、ご報告したいことが。急ぎ王室へお戻りください」

「ここではできないのか」

「いいえ……。これから元老も含めた会合の席にてお伝えしようと思ったのですが……偃月、お前もいるならちょうどいい」

「?」

「『葉都ようと』から、和平条約破棄の報せがありました」

「何……?」


 耳を疑う報告だった。先代より和平条約を結んでいた『葉都』は『氷都』の南側に位置する豊かな小国だ。


 特に国王である苑葉えんようは優しさの象徴とも喩えられるほどに柔らかい印象の人物で、国民からの信用も厚い。さらに彼は氷月の妻・緑黎の十才離れた兄で、義理の兄にあたる。


 そんな平和を重んじる国代表と言っても過言ではない『葉都』が、あろうことか長年の同盟国である『氷都』をという。


 武力行使ではなく互いの利害が一致したことによる和平条約だったために、失いたくない貿易国の一つがなくなるというこの状況は実に頭の痛い話だった。


(……いや。義兄上あにうえのことだ。何か事情があって〝条約破棄〟の手を取ったのだろう)


 まずはその事情を知ることが先決だな、と氷月は深く息をつく。


 隣にいた偃月が心配そうに氷月を見つめていた。氷月が彼を安心させるために頭を少々乱暴に撫でれば、偃月はキャッキャッと嬉しそうに笑った。


「……ねえねえ」


 王さま? と偃月が上目遣いで氷月を呼ぶ。氷月は静かに偃月の方へ目線を向け、何を聞き返すでもなく言葉の続きを待った。


「『葉都』、敵になったの?」


 ずぐり、と氷月の心を純真無垢な言葉の刃が抉る。脳では理解していても、言葉にしてしまうとその重さは何倍にも膨れ上がった。


「……まだ分からない」

「でもお約束、棄てたんでしょ? 仲良くしようねってするための約束、破ったんでしょ?」


 子供のような純粋な目で問う偃月に、氷月は顔を顰めた。


「……その通りだ」


 そんな偃月の問いに答えたのは雨月だった。瞬間、偃月が不敵な笑みを浮かべた。氷月は、ただ静かに偃月を見つめている。


 彼の奥底に眠る『氷鷹』が、目覚めてしまったような感覚に身を震わせて。


「じゃあさぁ……『を敵に回したらどうなるか、その身に教えてあげなくちゃね——?」



 かくして和平条約を破棄した『葉都』は『氷都』と決別することと相なった。

 これが意味することとは、戦争の開幕である。

 同時に、五十余年ほど続いた両国の平和が、呆気なく絶たれた瞬間でもあった。

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