5-6 不器用な二人

 明朝自国へと帰国する苑葉との残りの時間を大切にしたいと緑黎は言った。家族水入らずの時間、折り入った話もあるだろう。

 心の落ち着いたわたしは、清々しい気分で彼らを見送った。



 回廊の奥から爽やかな風が吹く。

 これからの用事は特にはない。あとは仮部屋に戻るだけだった。

 この国に来てから、わたしは特に何もすることがないし頼まれていることもないので自室にいるほか選択肢がないのだ。けれど戻ろうにも、その場で何故か動かない氷月が、何かを言いたげにして隣に立っているこの状況は、正直気まずかった。


「…………由縁ゆえん

「っ申し訳ございません!」

「……名を呼んだだけなのだが……」

「あ……。も、申し訳ございません……」


 先ほど判明したばかりの自名を呼ばれて、気が気でなかった。慣れないことをされたことによる緊張からか、胸が騒がしい。恥ずかしくて死にそうだった。しかし謝る以外のすべを持たないわたしは、どう返事を返せばいいのか分からなかった。氷月に返す言葉を思案していると、ふっ、と笑う声が聞こえた。


「お前は本当に、頭を下げてばかりだな」


 氷月が、笑っていたのだ。その微笑みが、日の光を受けた氷のようにキラキラと煌めいていたから、わたしは思わず吐息を漏らした。こんなに人を美しいと思ったことはない。流石は『氷鷹』の王である。


「……由縁、と言うのだな。お前の名は」

「はい」

「……だが、慣れるまでは以前の通り『花檻』と呼ぼう。その方が、気も楽なのだろう?」


 この人には何も隠せないのだと言われているような気分だった。今更、何年も呼ばれていなかったこの名を、いきなり呼ばれるのは正直言って怖い。『花檻』として生きてきた時間は、『由縁』として生きてきた数年をゆうに超えている。

 そして何よりも、この名は母の名でもある。


「……はい。大事に、したいです。だから、わたしのことは今まで通り花檻とお呼びください」

「そうか。では、公表するのはお前の気が向いてからにしよう」


 氷月はあえて深入りしてこなかった。王であり、わたしを人質に取っているというのに、その心遣いが不思議と嬉しく思う。わたしは素直に「ありがとうございます」と氷月に感謝の想いを伝えた。


 話は終わったのだろうか? 氷月は再び黙ってしまった。わたしから何かを話すこともないので、もう戻ってもいいのかなとそわそわしていると、氷月が「花檻」と再びわたしを呼んだ。


「はいっ」

「私はお前に色々と謝りたいと思っている」

「……はい?」

「急遽決まった『氷都』への来訪。その重圧は私には想像ができないほど荷が重かったことだろう。そして一国の王である前にお前を貰い受ける一人の人間として、今日までお前を放ってしまった責が私にはあると思っている」

「いや、あの。何をおっしゃられているのか……? というか話の意図が見えないのですが……?」

「女とは、愛されるために生まれるのだと思っている。私が緑黎を愛しているように。緑黎がお前を、気に掛けているように」

「……はぁ……」

「……そこで私は、仲良くなるためにはどうすればいいのかを妻に相談した。それであれば、何かを贈ってみてはどうかと妻は言った。つまり……言いたいことは……。花檻、何か欲しいものは無いか?」


 ……不器用不器用とは思っていたけれど、まさかこれほどまでとは思いもしなかった。氷月は表情を硬くしたまま、真剣な眼差しをわたしに向けてわたしの答えを待っていた。

 感情を表に放出し放題な偃月のようにはいかずとも、きっと今までも優しい心とは裏腹に感情が乏しいことで苦労してきたのだろう。彼が真面目であるがゆえの短所だと感じたのは、ここだけの話だ。

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