1-5 王への謁見

 わたしは雨月の後ろに引っ付くようにして歩く。廊下の一定間隔距離には小さな箱のような暖炉が続いて設置されていた。ゆらゆらと箱の中で揺らめく火の灯りが綺麗だった。

 偃月のおまじないのお陰か、はたまたこの暖炉のお陰か。

 先ほどまで必要だった毛布がなくても大丈夫だった。毛布は雨月についていく際に、すでに偃月へ返していた。


(……大丈夫。怖くない)


 今日会ったばかりの彼だったけれど、彼の瞳にあの国で散々向けられていた敵意や悪意などの感情は感じなかった。いつの間にか彼を自分の心の領域に入れていたことに、わたしはおかしくなってしまったのかもしれないと苦笑した。


「……あの、花檻姫。あ、危ない」

「っ、すみません……」


 不意に前を歩いていたはずの雨月が私の方を向いて立ち止まっていたのが目に入った。わたしは突然のことに驚いて止まることができず、雨月に軽くぶつかってしまった。「大丈夫ですか?」と彼が手を取ったお陰で、よろめいたわたしは倒れずに済んだ。ふと彼の手を見る。その手は、どこか偃月に似ていた。


「今更ですが自己紹介を。……僕はこの『氷都』の主、氷月王の弟の雨月と申します。主な職務は、国交における外交問題の緩和と、軍略の提示」


 参謀役、のようなものです。そう微笑んだ彼の顔は、やはり偃月に似ているように思えて、少しだけ緊張がほぐれた気がした。


 、なのだろうか。

 わたしにも『きょうだい』という存在はいたらしいが、一度も会ったことがない。肉親とも疎遠であったから、先ほどの光景が『家族』の形なのだとしたら、それはとても温かいものなのだなと思った。


「……僕が参謀だと聞いても、顔色を変えないのですね」

「え……?」

「僕は、あなたの『花都くに』に勝つために、軍略を考えた人間ですよ?」


 雨月の言っていることが、分からないわけじゃない。

 参謀役と言うからには『花都』を貶めるための策を練り、そして敗北へと導いたのだろう。けれど、彼の表情が歪んで自責の念に駆られているように見えるのは、それだけが要因ではないと思った。


「……わたしがここに参った理由に、雨月様が関与しているとは、思えません」


 だから気にしないで欲しいとわたしがぎこちなく笑えば、雨月は静かに頭を下げた。


「……こちらが勝利を収めた暁には国の全てを『氷都』が統治することを条件に、『花都』との戦争を収束させ、そして条約を締結しようと交渉を始めました。しかし返ってきた答えは、あなたをこの国に送り我が王の愛妾あいしょうとするもの。なんて自分勝手な交渉術なのだろうと思いました。話の筋がまったく通っていない条約締結だった。それでも王はその答えを飲み、あなたを『氷都』へ迎えるよう言いました。……つまり、我が国との和平交渉にあなたは『花都』に利用されたのです。あなたは、完全なる被害者だ」



 ……ああ、この人も温かい人なのだ。



 わたしがなんとも思っていなくても、この現状を招いたのは自分の落ち度だと心を痛めている。


「顔を、上げてください」

「……」

「わたしは、先の戦争についてあまり知りません。だから、その……。知らないことについて謝られても、困ります」

「……はい」

「だからわたしには、あなたが悪いのかどうかも、分からない」


 そうわたしの本心を伝えると、雨月は目を見開いて俯けていた顔を勢いよく上げた。今にも泣き出してしまいそうなくらい子供のように歪んだ表情が酷く痛々しい。

 何か言いたげにしていたけれど、雨月はその言葉を呑み込んで「そうですか」と悲しげに微笑んだのだった。



 再び歩を進み始めて少ししたところで、目の前に大きな扉が現れる。『氷都』の国紋章が刻まれた大きな扉。説明されなくても分かる。

 この先に『氷都』の王がいる。

「陛下、お連れ致しました」と雨月が扉を三回叩けば、中から低音の男声が「入れ」と入室を促した。わたしは無意識に喉をこくりと鳴らす。


 大丈夫。ここに来るまでに何度も想像した。


 失礼のないように王にこうべを垂れること。今まで父にしてきたことをすればいい。そうすればこちらに危害が及ぶことはない。

 それがわたしが知っている、最大の礼儀だった。

 開かれた扉の先に立つ王に両手を目の前に組み、静かにひざまずき名乗る。



「————お初にお目にかかれて大変嬉しく思います。……『花都』より参りました、花檻と申します」

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