1-6 『氷都』の王

 声は、震えていなかっただろうか。


 失礼な言葉遣いでは、なかっただろうか。


 今まで人と話す機会などなかったわたしにとって、この状況は果たして正解かどうかも分からない。


 緊張で視界が揺らぎ始めた。脳に十分な酸素が行き渡っていない証拠だ。ふらつく足元に力を入れてなんとかその場に立っている状態だった。ここまで来て、倒れるだなんて無礼を働くわけにはいかない。


 少しして、布のこすれる音が耳をぎった。王が動いたのだろう。わたしの肩は反射的に跳ねるようにして上がった。

 頭を下げているため、影と足元しか見ることができないが、足音から段々と王がこちらに近づいてきていることは明白だった。そうして王の足が見えた頃、わたしの心臓は止まるかもしれないと思うほど冷え切った。

 さらに頭を深く下げる。父はこうすると、黙ってどこかへ行ってくれたから。……いや……この人はわたしが来るのを待っていたのだ。どこかへ行くなどありえない。


「……顔を上げろ」


 何も感じない、色の無い声はわたしの体を縛る。なかなか顔を上げないわたしのことを訝しんだのか、王は小さな溜め息をついた。小さな音だったはずのそれは、水面に落下した雫が生み出した波紋のようにわたしの脳内に大きく反響していく。


「ようこそ『花都』の花檻姫。私の名は氷月ひづき。この『氷都』の王だ。……もう一度言う、顔を上げろ」


 冷たく刺さる王の声に、わたしは吐息にも似た声量で「はい」と答え、やっとのことで顔を上げれば、わたしの視界に飛び込んできたのは吸い込まれるような美しさを持った水晶の双眸だった。



(……氷鷹ひだかの……王)



 わたしはその瞬間『花都』を出立する際に聞いていた、『氷都』の王についての噂を思い出した。



 氷鷹——その眼光は鷹が獲物を捕らえるかの如くに鋭く、澄んだ真水のように美しい瞳を持つ者を総じて例えるという。

 現に氷月は『氷都』の民の証である偃月と同じ髪と、氷鷹の目を兼ね備えた容姿端麗な青年だった。背格好は香紆と同じか少し高いくらいだろうか。整った顔がさらに彼の鋭い氷鷹の目を一等際立たせる。


 なにか、言わなくちゃ。

 でもなにを?

 心を静かに生きてきたわたしは、何を言わなくちゃいけないのか分からない。

 苦しい、目の前が暗い。

 何も見えない。

 こわい……。


(——息って、どうするんだっけ?)


 そう思い始めたら最後だった。

 わたしはその場から動けず膝から崩れ落ちて、そのまま水の中に溺れていくような感覚に身を任せ沈んでいった。

 氷月が何かを言っていたような気がした。けれど、段々と意識が薄れていって微睡みへの道標が見えた時、これでやっと楽になれると思ったわたしは、抗わずその道に進み従うことを決めたのだった。

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