後編 朽ちる自心
「——そういえば」
水仙のしゃがれた声が再び響く。その声に苑葉は下げていた顔を上げた。
「……何か?」
「『氷都』の若造が妾を探しているという噂を聞いてな? 先刻、我が娘の花檻を献上したのだ」
「妾を……?」
そのような話は、初めて聞く。
苑葉は目を見開いて水仙を見た。
見てしまった。
それこそが水仙の思うツボだったということに気がついたのは、水仙に頭髪を引き千切られそうな勢いで強く掴まれ床に頭を思い切り押しつけられた瞬間だった。
「ぅぐっ‼」
頭を床に押しつけられたことで軽く脳震盪を起こす。くらくらとする視界に映るのは、下卑た嘲笑を浮かべる、水仙だった。
「そう。妾を、な。何々。こちらとしては後がなかったがゆえに、とても悩み抜いた末の決断だったのだぞ? この国の誇りである花檻姫を、なかなか子供を授からぬと聞くお主の妹君……ああ、名は確か緑黎であったかな? その娘の代わりに送ってやったのだ。いくら正妻殿と言えど、結婚してから長いであろう。そう何年も世継ぎができぬというのは身内から不審がられることが増えるというもの。だからな? 活きのいい我が三女を送ったのよ」
なんてことを。それではまるで、体のいい人質だ。
動けない苑葉は水仙を睨みつける。水仙の瞳はぼぅっと空に浮かぶ月のように光っていた。それは人間ではない空気を纏う、化け物のように見えた。
「ああ、何も子が成せぬ理由が緑黎の所為だけでないことは分かっておるぞ。……いいや、そうだ。あの若造が全て悪いのだ。きっと夜毎、乱暴に扱っているのだろう。そうに違いあるまい? だから子が成せぬのだ。そうだ、そうだ」
(狂ってる……)
そんなことはないことは己がよく知っている。
氷月はよくできた青年だ。感情こそ乏しく読みづらくはあるが、何より緑黎を愛している。大きく揉めたとしても、二、三日もすれば夫婦に元通りになる彼らを苑葉は誰よりも長く見てきたのだ。
あるはずがない。ない、と信じたい。
それに夜伽の話など誰にするのだ。あれは夫婦間で話し合うことだろう。子が成せないのは、成しにくい体かもしれないと何故考えない。もしかしたら彼女の体に病が巣くっている可能性だって否定はできないのだ。
しかし苑葉は揺らぐ。義弟に対して、抱いていた感情が、毒に溶かされていくような感覚に苦しくなる。
「分かっておろうな苑葉」
ああ、どうしてこうも上手くいかない。
「これは我からの
すぐにでも縁を切ってさえいれば。
「今すぐに、『氷都』との和平を解消せよ」
緑黎の幸せは、守ってやれたかもしれないのに。
身動きの取れない苑葉は悔しさから涙を一筋零した。
ここで抵抗してしまえば、緑黎がどうなるか分からない。緑黎ならばすぐにでも断ち切ってしまえと言うだろうか。
勇ましい己の妹に想いを馳せ、それでも〝国王〟であることの自覚を持ち、何が最善かを考える。
「……承知、致しました……水仙国王陛下」
最善策など考えるだけ無駄であることを、知っている。
従う他ないのだ。
緑黎の呪いを解くために、苑葉は今日も自らを殺していく。
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