❅5-3 それぞれの想い

 氷月は偃月の様子が気になっていた。

 昨日のこともそうだが、医務室での彼の様子に氷月はどことなく不安を覚える。


。……が、この戻り方は、危険だ)


 彼の様子の変化には心当たりがあった。だからこそ、近くで監視する必要があると確信した。

 だが偃月の件よりも先に解決しなければならない事案がある。そのことを思い出すと、氷月は柄にもなく溜め息を深く吐き、そして目的の場所へと急いだ。



 氷月が医務室を後にして早々に向かった先は捕虜牢だった。今この場所に捕らわれているのは『葉都』の王、苑葉である。

 牢番が捕虜牢の前で番を全うしていたが、話し合いの邪魔だと思った氷月は下がるように牢番に命じた。この国で氷月の言うことは王の勅命と同義であるため、牢番はすぐにその場を下がった。

 氷月は誰もいなくなったことを確認し、振り返り苑葉を見る。彼は異常にやつれていた。昨日の今日でここまで憔悴するとは考えられない。氷月たちが会談に向かうまでに何かがあったことは明白だった。


「……気分はどうですか、苑葉義兄上あにうえ

「……見ての通りだよ。気遣いありがとう、氷月殿」

「それは何よりです」



 沈黙。



 訊きたいことは山ほどある。しかし、今がそれを切り出せる空気出ないことを氷月は肌でひしひしと感じていた。

 だから待つ。苑葉は何かを告げようとしている。その証拠に氷月が捕虜牢に赴いてからというもの、彼の瞳は波のように揺れて定まる気配がない。

 今日訊き出すことは難しいかもしれない。そんなことを考えてると苑葉が口を開く動きを見せた。


「……何故、緑黎という妻がありながら妾など取った?」


 ぞくりと背筋に這う冷たい声に、氷月は思わず身構える。普段会う機会が少ないとはいえ、会った時の彼はまるで国の在り方を象徴しているようないつも穏やかな王だった。妹を想い、義弟を思う、良き王だった。

 だから今目の前にいる彼は、一国を背負う王であることを放棄した、ただの一人だった。彼のその瞳から溢れる自責の色が、兄として訊かなければならないことがあるのだと物語っている。氷月は彼の覚悟の意志を受け取ると、静かに苑葉の問いに答え始める。


おおやけにはなっていませんが、これは私の意思ではありません。我が国の『元老』が全て決めたことであり、他に答えはありません」

「だったら断ることだってできただろう!」

「この国において『元老』は絶対です。いくら王位に坐す私でも『元老』の決定に背いたならそれは大罪となり首が容易く飛ぶ。歯向かわなければ悪いようにはならない」

「言いなりになるのか? 無慈悲で、残忍で、心など持たないあの男どもの許に、一生座っているというのか?」

「申し訳ありませんが、ここはそういう『国』です」


 氷月は表情一つ崩さない。


「……っ、氷月殿は以前申したな。生涯妻となる女は緑黎だけでいいと。そう私に誓ったはずだ。ならば何故妾など取った……妹を愛していないのか⁉」


 悲痛な心からの叫び声だった。確かに氷月は婚姻の儀に苑葉に誓った。生涯妻となるのは緑黎のみ。他に娶るつもりはないと。


 しかしこのタイミングでの妾の取引は『葉都』との国際問題に発展しかねないことは容易に想像ができた。断れなかったのは、自らの力不足だ。氷月は何も言えなかった。


「……愛しています。愛しているからこそ、妾の者に情を移すことはありません。しかしながら緑黎は、あの妾の子をとても気に入っています。……彼女を側に置いておくことは、緑黎の心を守ることと同義。それだけはどうか、お許しください義兄上」


 氷月は深く頭を下げる。それは彼の心からの言葉だった。いつもとは違う雰囲気を纏う氷月を不思議に思ったのか、今までの勢いを消した苑葉は我に返り静かに項垂れ、すまないと呟いた。

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