第二話

2-1 落ちる雫

 雫が落ちてきた。

 ここは地下だというのに、どうして水が頭上から落ちてくるのか。答えは簡単で、わたしの汗や涙などの体液、外からの湿気などを含んだ地下の土から、気温の上昇によって蒸発し水蒸気が発生。それが天井に溜まり結露を作り出しているからだ。


 また、ほらまた、まんまる雫が落ちてくる。


 雫が口の端まで届けば、舐めた味は無機質であまりいいものではなかった。

 これは、わたしがまだ『花都』の地下牢にいた頃の夢だった。妙に現実味を帯びて生々しい感覚が、たとえこれが夢だと理解していても気分が悪くなる。生きる気力を失いかける日々に舞い戻ったようだった。


 視線の端には長い間落ちていた雫が円を描いていた。同じ場所に何度も落ちるものだから、その円は時が経過すればするほど大きくなっていった。

 水の溜まった中心に天井から雫が落ちれば、〝ピチョン〟と音を鳴らして波紋が生まれる。

 わたしはその波を、まるで生きているみたい、とただぼぅっと動かない体を退屈に思いながら静かに見つめていた。



 ~❀~



 起きて、まず思ったのは部屋が明るいということ。

 あの地下牢特有の湿気の臭いも、足にあったはずのかせも、何も無いということ。

 そうして初めてわたしは今あの場所ではないところにいるのだと理解する。


 そうだった。ここは『氷都』だったわ、とまだ覚めきらない頭を振りながら思い出す。天井が広く白い。何やら薬品の臭いがするその部屋は、わたしの知らない世界だった。

 次に思い出したのは『氷鷹』の王のことだった。

 徐々に覚醒していく脳と、意識を失う前の王に対する無礼を思い出して、わたしの体から〝さぁ……〟と血の気が引いていく。


 あれほど気をつけていたはずなのに。

 ここがあの王の部屋ではないことは明白で、あの後の記憶が無いことから、わたしは気を失ってここに運ばれてきたのだろうと、今まで眠っていた空白の時間を想像した。


 今ここにはわたししかいない。この状況が不幸中の幸いだった。


 わたしはここが医務室であると理解すると、桶を探し出してそれを抱え込み、そこに無理やり胸につっかえているこの気持ち悪さを吐き出そうとした。

 吐いてしまえば楽になる。あの地下牢でも散々してきた気持ち悪さの対処法だった。

 さあ出して楽になろう、と胃の辺りに刺激を与えようとした時、わたしの意識は不意に現実に返った。


 ――ここは、地下牢あそこじゃない。


 もうすぐそこまでせり上がっているものをぐっと堪える。ダメだ。ここでは、できない。してはいけない。


 しかし体は正直で、今すぐにでもこの不快感を無くしてしまいたいと、堪えているものが顔を出して気分の悪さが倍増する。


 わたしは軽くパニック状態に陥った。


 絶対に王に嫌われた。これでは何のためにこの国に来たのか分からない。目に見えた失敗に背筋が凍る。

 もうこのまま気を失ってしまいたい。

 どうせなら永遠に起きることのないような眠りにつきたい。


 苦しさのない世界に行こうと手を伸ばしたその時、ガチャリと扉が開く音が医務室の中に響いた。わたしは体中の温度が冷え切る感覚に戸惑い恐怖した。


 これまで何度も死んでしまいたいと願っていたはずなのに、ここにきて命が惜しいだなんて虫のいい話だ。


 霞みゆく視界に映ったのは、驚いた顔をしただった。

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