第43話 誘い

***


「本当にすみませんでしたっ!!!!」



「だからもう謝らなくていいって、それにこれそろそろ変えようかと思っていたところだし」



「どうかわたしの初任給で……」



「き、気持ちだけ受け取っておくからそろそろ泣くのをやめて」



 閉店後。俺は今日何度目か分からない謝罪を雪島さんから受けていた。



 そろそろ背骨がぽっきり折れ曲がるんじゃないかってぐらい頭を下げられるのを見ていると、何だか逆にこっちが悪いことをしたのではないかと思ってしまうほどだった。



 けどこれでも、まだマシになった方である。



 俺が床に叩きつけられたスマホを拾い上げ、電源ボタンを長押ししたりSIMカードを入れ直しても全く反応しない様子を見た雪島さんはその場で土下座を試みようとして、それを阻止するのにかなりの時間を費やしたものだ。



 おかげでその後の業務は久しぶりに猛スピードで行う羽目になった。いつもなら店内に流れている音楽を呑気に聞き流しながら、途中でトイレに行ったりしても余裕で終わるんだけど、明日の特売商品の陳列準備を終えたのが閉店の二分前。すでに蛍の光が流れていた。



 もちろん我に返った雪島さんはほとんど役に立たず、その後は俺の後ろに縮こまりながら引っ付いて、俺が口頭で説明しながら作業を見てもらっていた。



 一応メモは取っていたようで、一瞬だけチラリと覗いたそのメモ帳には、解読不能なアラビア語みたいな何かが並んでいた。終始涙で目を滲ませ、手も震わせていたせいだろう。これはまた次回、同じことを一から説明し直す必要がありそうだ。



 何も事情を知らない人から見れば、俺が新人を泣かせるクソ野郎に映っていたことは間違いない。



 確かに元をたどっていけば俺に行き着くのかもしれないけど、俺から言わしてもらえれば、だったら最初からあんなことしないでくれって話である。



 雪島さんの感情の起伏が人よりも振れ幅が大きく、それが上手くコントロールできないことがあるのでは、という疑惑は俺の中に僅かにあったのだが、今回のでそれがほぼ確信へと変わった。



「じゃあ俺は店長にしばらく携帯で連絡取れないから、何かあれば家の方にかけてほしいって伝えてくるし、雪島さんは先に上がっていていいよ」



「あの、本当にいいんですかお金……」



「本当にいいから、その分早く仕事覚えて俺が業務中サボれるようにしてくれる方が嬉しいよ」



「わ、分かりました……! ではお先に失礼します……」



 今日はこれ以上俺と一緒にいても気まずいだけだろうから、先に帰すのは正解だったと思う。



 まあそれ以前に沙月から一方的に会う約束を取り付けられていたから、どの道前みたいに並んで帰宅するというのはできなかったんだけど。



 ……ってそうか。沙月が連絡するって言ってたっけ。



 俺は廃品と化したバキバキの黒いスマホを見つめ、一人溜め息を吐く。



 正直データが吹っ飛んでいたところで、そこまで困ることはない。



 女子じゃないから写真も全然撮らないし、電話帳に登録されている知人の数だってたかが知れている。



 中学の時から使っていて、最近は充電の減りもかなり酷くなってきていたから、そろそろ買い替えようと考えていたのは本当だった。ある意味雪島さんはそのきっかけを作ってくれた。そう前向きに考えよう。






「——じゃあもし何かあれば家の電話にかけてきて下さい」



 緊急事態なんてそう起こらないとは思うけど、念のためにと店長に報告をすませ、俺も店の外に出る。



 果たして沙月はいるのだろうかと俺は辺りを見渡し――すぐにそうする必要はなかったと思い知る。



「——遅かったわね、一緒に仕事してた女の子はとっくに帰っていったわよ?」



 俺の自転車に腰掛けて足をぶらぶらさせている沙月は、そこだけを切り取ってみると、ただの無邪気な女の子にしか見えない。



「後輩の尻拭いをするのが先輩だから」



 俺は沙月に無残な姿になったスマホをかざして見せた。



「壊したの? どうりで全然既読がつかないとは思っていたのだけれど……」



「まあ事故というか……いろいろあって」



 事の顛末をそのまま沙月に話すのは自重した。話のネタとして笑い話にするには、あと一年は寝かせておく必要がある。



「ふーん……そういえばさっきの子目を真っ赤に腫らしていたけど、あなたセクハラかパワハラどっちをしたの?」



「何で俺が何かしらのハラスメントをした前提なんだ」



「泣かせたことは否定しないのね」



「…………」



「本当に分かりやすいね速斗は」



「沙月が鋭すぎるんだ」



 俺はスマホが壊れることになった原因に、少し雪島さんも絡んだという話をそれっぽく沙月にした。



それに対して雪島さんが負い目を感じてあんな風になっていたと言うと、沙月はあっさりと納得してくれた。



「それで、どうするのこれから。さすがにスマホなしの生活なんて無理でしょ?」



「次の休みの日に買いに行くよ、ちょうどバイト代も入るし」



「そう、ならちょうどよかったわ」



「何が?」



沙月は意味ありげにふふっと笑いながら自転車から降りる。



雪島さんのことやスマホ事件で忘れていたけど、そもそも沙月は俺に用があってここにいるんだ。


 

そう考えると反射的に肩に力が入ってしまう。



沙月はそんな俺の両手を――スマホごと包み込むように握りしめ、作り笑いではない自然な表情ではにかみながら言った。



「土曜日デートしましょう。たまには恋人らしい週末を過ごすのも悪くないでしょ?」



――ね?



と、メガネが俺の鼻先に届くか届かないかの至近距離で上目遣いでウインクする沙月。



俺は自分の意思とも何も関係なしに、気がつけばただこくりと頷いていた。

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