第12話 昼休みの終わり
「どこか具合でも悪いの?」
「あっ、いや、ちょっとお腹が痛くて横になっていただけだ」
「先生いなくても勝手に利用していいの?」
扉の張り紙を見た沙月は首を傾げる。当然の反応だ。こんなの怪しい以外の何者でもない。
「本当は駄目なんだけど……だから内緒にしてくれたら助かるかな……。ていうか沙月はどうしてここに?」
中にはまだ平野もいる。とりあえず保健室から話題を逸らして、一刻も早くここから去らなければ。
「私は出さないといけない書類があったから職員室に行って、今はその帰り」
「そうだったんだ。もう予鈴も鳴ったし、早く戻らないと」
「ええ、ところで本当に体調は大丈夫なの? もう少し中で休んでいたら? 私も傍についているわよ」
「それは本当に大丈夫だから」
なぜこういう時に限って優しくなるんだ。そんな善意をぶつけられると、さっきまでいかがわしい時間を平野と過ごしていたことに罪悪感を感じてしまう。
何なら昨日のノリで接してくれた方が今はまだマシだ。
中にいる平野は、外にいる俺たちのことが見えているのだろうか。会話は聞こえているのだろうか。
沙月に心配そうな視線を向けられることに耐えきれなくなった俺は、先に教室に向かって歩き出すことにした。
「待ってよ速斗」
沙月が小走りで追ってきて、俺の隣に並んだ。
「同じ教室に帰るのだから、一緒に帰りましょうよ」
どうして沙月は自然にそんなことを言えるのだろう。
先に俺の元から離れていったのは沙月の方だというのに。
「沙月……ちょっと近くないか? 歩きにくいんだけど」
「普通に歩いているだけだけど、何か問題でもあるのかしら」
ただのクラスメイト同士にしては、距離が近すぎる。足を前に踏み出すたびに、互いの肩が触れ合う。
まるであの頃と変わらない距離感。沙月が心の中で何を思い、何を感じているのか俺にはさっぱり分からない。
昔から周りの同級生より大人びていて、本音と建て前を上手に使い分けるような子だった。
昨日の沙月、昼食時の沙月、そして今の沙月。どれも本物の沙月だけど、本当の沙月ではない。
当時はそういうミステリアスな部分に惹かれもした。
人生で初めてできた彼女。初心でバカな滝沢少年は、このままずっと沙月と一緒にいて、将来は結婚するんだろうなあって考えていたのだ。
「なあ沙月」
「何かしら?」
「どうしてこんな何もない所に引っ越してきたんだ? 確か親戚は皆関東住まいだって言ってたよな?」
階段を上りながら、俺はそんなことを沙月に訊ねていた。家庭の事情らしいけど、もし沙月の家で何かがあったとしてもこんな縁もゆかりもないような土地を選ぶ理由にはならないのではないかと思っていた。
「そんなの決まっているじゃない」
俺もそうだけど、誰だって他人にプライベートのことを詮索されるのはあまりいい気がしない。
だから俺としては割と覚悟を持ったうえでの質問だったんだけど、沙月はきょとんとした顔で答えを口にした。
「——あなたがいるからよ」
そういうところなんだ。
何で今さらそんな当たり前のことを訊くの? とでも言わんばかりの返答。そこに動揺や後ろめたさなどの表情の崩れは一切なかった。
結局俺は中学の時の俺のままで、沙月の真意を読み取ることなんてできないのだ。
今のだって本気なのかそうじゃないのか、そのどっちかなのかすら分からないのだから。
——それから教室に着くまで、俺たちの間には会話は生まれなかった。
平野もそろそろ保健室を出て、こちらに向かっているところだろうか。保険の先生が戻ってくるまでにちゃんと出られていればいいんだけど。
もし失敗していたら、その原因は確実に俺にある。またストレス発散で搾り取られるかもしれない。
そういえば結局平野がなんであんな危険を冒してまで学校の中でしようとしたのか、訊き忘れてしまった。
もしかしたら俺は沙月だからという理由ではなく、単純に女性心理を理解する能力が欠けているだけなのだろうか。
今まで深く関わった異性がその二人だけだから一概にそうとは判断できないけど、可能性としては十分にある。
それはつまり、俺が男としてダメなだけでは……?
席に着いた俺が一人悩んでいたらほどなくして本鈴のチャイムが鳴り、先生が教室に入ってくる。
——そこで、平野が体調不良で早退したと告げられた。
まさか見つかったため、仮病で乗り切ろうとしたのだろうか。
放課後になってスマホを開くも、平野からのメッセージは届いていない。
考えられる可能性は二つ。むちゃくちゃ怒っているか、本当に急に体調が悪くなったかだ。
とりあえず『大丈夫か?』とだけ送っておいた。
夜の八時ごろになって、返事が返ってくる。
『明日の朝九時に家に来て』
学校はどうするんだ? なんて質問は愚問である。
俺に拒否権はない。
それからは、どうやっておばあちゃんに言い訳するかだけを考えて布団を被った。
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