第6話 アルバイト
***
両親からは学費と別に、毎月生活費も送られてくることになっているがそれは全ておばあちゃんに渡している。
もう何年も前から年金生活のおばあちゃんに余計な負担をかけないようにと、自分のお小遣いは自分で稼ぐことにしたのだ。
アルバイトは学校の許可が必要にはなるけど、事情を理解してもらい無事に許可は下りた。
更衣室で着替えを終え荷物をロッカーの中に入れたところで、同じ時間帯の人が入ってくる。
「やあ滝沢くん」
「お疲れ様です三原さん」
去年の春ほぼ同じ時期に始めたので、年は違えど同期ではある。
「滝沢くんは学校今日からだっけ?」
「そうっすね、三原さんはいつから何ですか?」
「僕のところは一応今はオリエンテーション期間で、本格的に講義が始まるのは来週からだよ」
「やっぱり大学は休みが長くて羨ましいですよ」
田舎といいつつ、実はこの町にはなぜか国立の大学が一つある。……なぜかなんて言ったら失礼か。
偏差値もそれなりに高く、うちの高校も毎年多くの生徒が志望校にあげているらしい。
三原さんもそのうちの一人だった。家から通えてしかも国立だと、経済的負担も私立大学や下宿するのに比べて遥かに安く済む。
と言ってもうちは進学校でもない平凡な公立高校だ。例年合格者は数人だと聞いた。
その後も少し時間の余裕があったので三原さんと世間話を楽しみ、事務所のある二階から一階に降りて仕事を開始する。
「じゃあ僕が品出しをやるから、滝沢くんは最初値引きの方をお願いしてもいい?」
「分かりました」
俺のが働いているのは、小さなスーパーマーケットだ。ここに来て初めて耳にした名前の店だったけど、おばあちゃん言わくこの辺りじゃ十店舗ほど展開されているみたいだ。
俺は値引きシールをプリントする機械を持ってデリカコーナーへ向かう。
時刻は十七時を回ったところ。ここは閉店時間が二十一時だから、今は三十パーセント引きのシールをひたすらバーコードの上に貼っていくことになる。
夜の時間帯は大体今ぐらいから十九時頃までがピークタイムになる。仕事を終えた会社員や部活終わりの学生がぞろぞろとやって来る。
そして俺が値引きシールを貼り始めると、一体今までどこに潜んでいたのか、値引きハンター達が物陰から姿を現してくる。
特に貼る順番は決めていなく、大体入り口側の揚げ物や総菜系、次におにぎりや弁当の順番で貼っていく。
実はこれは意外にも時間がかかる作業で、目当ての商品を待っている人たちは店内を何周もぐるぐるして時間を潰したり、中には『これもお願い』と言って差し出してくるがめついお客さんもいる。
この仕事を始めたばかりの頃は、そういった人たちが単純に気持ち悪くて軽蔑の感情しか抱かなかったが、今となってはそれもなくなった。
いや、慣れたと言うべきか。世の中にはそういう人もいるって社会のことを一つ勉強できたと前向きに考えることにしたのだ。
それから二十分ほどで一通り貼り終えた俺は、機械を片づけて滝沢さんの手伝いをするべく一旦二階に上がろうとしたのだが――
ピーンポーンパーンポーン。
校内アナウンスのような音が店内に流れる。これはレジからのヘルプ要請だ。
この店はレジは三台あるけど、基本的に二台しか開けていない。あまりにも長蛇の列ができてしまったか、それとも何か問題ごとでも起きたか。
クレーム対応は社員が引き受けてくれるけど、レジ対応は近くにいる誰かが向かわなければいけない。
今アルバイトはレジの二人と俺と三原さんしかいない。必然的に俺が向かうことになる。
「――ごめん滝沢くん、レジお願い」
「はい……!」
腕を猛スピードで動かして商品をスキャンさせている先輩の後ろで、俺は三つ目のレジを開けた。
「お次のお客様こちらへどうぞ」
今日は何となく多いと思っていたけど、ふと見てみると並んでいる人以外にも店内の人口密度はかなり高くなっている。
これはしばらくここから動けそうにないな……。
俺は基本的には品出し担当だけど、レジのヘルプ自体はほぼ毎回のように行っているためある程度の作業は覚えている。
レジはとにかくスピードが命。あとは袋は必要か、ポイントカードは持っているかなど毎回聞かなければいけないのはちょっと面倒くさい。
さらに最近では支払い方法も多様化していることもあり、ここに立つたびにレジパネルの新しいボタンが増えているような気がする。
一度集中してしまえば、機械的に淡々とした流れ作業になり、そうなると時間がびっくりするぐらい早く経過していく。
「――いらっしゃいませ、お待たせしました」
「本当に待ちくたびれたわ。一年以上待ったかしら」
今日何度目かの文言に加え軽いお辞儀をする。
まあこういう文句を言ってくる人は少なくはない。俺はまだそこまでの経験はないけど、かなり理不尽なクレームを浴びせられたと事務所で怒り狂う先輩を何度も見てきた。
そう思えばこんなのクレームのうちにも入らない。
「ポイントカードはお持ちでしょうか」
次々に増えていく列の数に余裕がないため、俺は商品を読み取りながら訊ねる。あまりこういう態度はダメなんだろうが、今は大目に見てほしい。
「さっき作ったところよ。はい、あなたに私の初めてを捧げるわ」
……何言ってんだこの人。
さっきもギャグっぽいこと言ってたけど突っ込んでほしいのだろうか。
そう思いながら俺はポイントカードを受け取り、その時初めてまともに女性客の顔を見た。
「…………お前……」
「客に向かってお前だなんて、失礼な店員がいるお店ね。後でクレームの電話を入れておくわ。中学時代数学のテストで20点取った滝沢速斗に――」
「待て待て待て」
「何よ」
俺は読み取ったポイントカードを返し、商品のスキャンを再開する。
「本当に沙月なのか……?」
「……そう、もうあなたにとって私は過去の女というわけね」
……分かるわけがない。
今日学校で見せた姿も、俺の記憶の中にいる姿も全部、黒縁メガネに細い黒髪をまとう文学少女そのものだった。
それが今こうして対面している女性客はどうだろうか。
マスクで顔の半分は隠れ、メガネはかけていない。そしておまけに髪は後ろで束ねたポニーテールになっている。
「――ところで」
財布の中の小銭を漁りながら訊ねられる。
「ここのお店って店員のテイクアウトはやっていないのかしら?」
「やってません」
「残念。今晩お風呂上がりに食べようと思ったのだけど」
間違いない。
真顔でこんなふざけた冗談を並べ立てるのは、俺が今まで知り合ってきた人の中で一人—―神部沙月しかいない。
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