第7話 アルバイト後の夜道
***
「すみません三原さん、今日ほとんど手伝えなくて」
「いいよいいよ、お客さんも多かったし」
二十一時を回り店も閉め、俺は更衣室で帰る支度をしているところだ。
結局レジに長時間とどまることになった俺は、その後すぐに値引きシールを半額に貼り直す作業を行いそれが終わった頃にはすでに閉店まで一時間を切っていた。
品出しの中でも特に俺の中ではしんどい、ビールなどの飲料系の補充は全て三原さんに任せることになってしまった。
俺はごみ捨てやダンボールの処理を裏で行い、賞味期限が切れる商品を回収して今日の仕事は終わった。
「今日は一段と疲れたな……」
三原さんとレジの先輩たちに挨拶し、下へ降り自転車を停めている場所に向かう。
朝早起きして久々の学校に、まさかの転校生。昼は平野と身体を重ね、夕方から夜にかけてアルバイト。
そのアルバイトでも今日は心身ともに疲弊した。
あの後買った物をマイバッグに詰め込んだ沙月は、なぜか少しして再びレジをする俺の前に現れた――ということが三回繰り返された。
しかもこの忙しい時にペットボトル一本という風に、一つの商品しか持ってこないのだ。
「あなたのとどっちが大きいのかしらね」
「これとどっちが濃い色をしているか今度比べてあげるわ」
バナナや乳酸菌飲料を持って来たかと思えば、卑猥な言葉だけを散々言い残して去っていく――
レジ担当が俺でなければ今頃出禁リストに加えられていただろう。
次のシフトは土曜日だから少し間が空く。一旦心と体を落ち着かせるのにはちょうどいい。
自転車のチェーンを外してライトを点け、そこに人影が映ったことに気づいた。
「……何でこんな所に」
荷物をかごに入れて、俺はその人影の元へ自転車を押した。
「はいこれ、忘れ物だよ」
俺と似たような白いママチャリと一緒に待っていたのは平野だった。
俺は平野から受け取った紙袋の中身を確認し、マジか……、と思わず呟いてしまう。
中に入っていたのは制服のネクタイと、ブレザーの中に着るグレーのセーターだった。
「さすがに学校で渡すのはちょっとあれだからね。ないと困るでしょ?」
「確かにそうだけど……連絡してくれれば家まで取りに行ったのに」
平野の家からこのスーパーまで、一体どれだけの距離があるか。平野の自転車のかごの中にあるハンドタオルと飲みかけのペットボトルが目に入り、少し罪悪感に近いものを覚えた。
知り合いにはあまり出会いたくないという理由で、家から少し離れた駅と反対のスーパーを選んだ。
直線距離でも四キロ、普通に漕いだら二十分以上はかかる。実際に付き合っているわけでもないのに、こんな平日の夜になぜそこまでの行動力を発揮できるのだろう。
ネクタイもセーターも今の時期なかったら困ることに間違いはないが、そもそもどちらも二つ以上持っているのだ。
女子はリボンだけど、それはきっと平野も同じはずで――
「うーん……何でだろうね。今ここで滝沢に借りを作っておくのが、後々わたしの役に立つかなって思っただけ」
「何だそれ。まあでも、わざわざ持って来てくれたことには感謝するよ。ありがとう」
ちゃんとした答えにはなっていないけど、平野がそうだと言うのならそうなのだろう。それはそうと。
「こんな時間に外に出てても大丈夫なのか?」
「うん今日は……誰もいないし。わたしもここで働こうかな」
「今募集はしていないぞ」
「さっき入り口のところに思いっきり【急募】【未経験者歓迎】っていう文字が見えたんだけど」
「うちは身長制限がある」
「蹴り飛ばすぞ」
両手で自転車を押しながら、頑張って俺に向かって足蹴りを試みる平野であったが、残念ながら俺の元まで届くことはなかった。
もう少し足が長ければな……。こんなこと口にはできないけど。
けど平野の言うとおり、今人手不足なのは事実である。大学四年生の先輩たちが就活に入ったため、最近はギリギリの人数で回すことが多い。
俺も何度か社員から友達でいいから連れて来てくれと頼まれている。ただ平野はあんなこと言ったけど、本気で入る気はないのは最初から分かっている。
正しくはバイトしたくてもできない……か。
――その後も少し軽口を叩き合い、駅の踏切を渡って俺たちの家や学校側に出たところで、互いに自転車に乗って別々の道で帰ることにする。
さすがにここまでくると、塾帰りの誰かに見られる可能性も高まる。今の時間帯俺たちが二人でいるというのは、あまりにも不自然だから。
「結構暗いけど一人で大丈夫なのか?」
「平気だって、来るときもそうだったんだから。それに……」
「どうかした?」
平野はおもむろに俺の方に顔を近づけ何度かぼそぼそと言葉を紡いだ。
「本当なのかそれ?」
何でも、平野がスーパーの裏口付近に到着したのは閉店の五分ほど前だったらしいのだが、その時に店の近くをうろうろしている不審な人物を目撃したらしい。
暗くてほとんど判別はできなかったけど、背が高くて帽子とマスクをしていることだけは見て取れたと言う。
まるで徒歩でシャトルランでもしているかのように、店の隣の道路を何度も行き来していて少し怖くなった平野は、店の入り口に場所を移して俺が出てくる少し前にまた戻ってきたというわけだ。
その時には謎の不審者はもういなくなっていたようだ。
「何で最初に言ってくれなかったんだ?」
「だってまだ近くにいたかもしれないじゃん。見られていたことに気づいたそいつが口封じに襲ってきたらどうするの」
「口封じて……。まあ要はあそこから一人で帰るのが怖かったんだな」
「……違う、不審者の注意はあのスーパーに向いていた。わたしは滝沢が襲われないように常に神経を研ぎ澄ませていたんだよ」
店にいたのは俺だけじゃないんだが……これ以上は話が大きくなりそうなので今日はここで切り上げよう。
それに店の近くなら防犯カメラに映っているかもしれない。店長にでも不審者のことを伝えたら確認できるかも。
「――じゃあ一応気を付けて帰れよ」
「そっちもね」
予定通り平野と別れ、俺も帰路につく。
平野から不審者の特徴を聞いたとき、背が高いとマスクというワードに一瞬全身に悪寒が走ったが、さすがにそこまではないと頭を振って脳内に浮かびかけたある人物を振り払う。
明日からの学校はどうなるんだろう。
平野はいちクラスメイトとして接してはいるけど、問題なのは沙月だ。
今日あそこで会うまで、てっきり俺のことなんて記憶の彼方だと思っていたのが、全くそんなことはなかった。
しかしいくら悩んでところで、沙月が転校してきたという事実は変わらない。
とりあえず今日は家に帰って、おばあちゃんの晩ごはんを食べてお風呂に入って、ぐっすり寝よう。
明日のことは、明日の俺が何とか乗り越えてくれると信じて。
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