第8話 昼休み、一緒に弁当を

***


 次の日の学校。



 教室に入ると半分ほどの生徒がすでに登校していて、その中に沙月の姿もあった。英単語帳を開いて眺めているのだろうか。勉強熱心なのは変わっていない。



 髪は結ばず黒縁メガネをかけた、俺のよく知る沙月だ。そして本来の姿でもある。どちらかというと、昨日のあれが変装なのだろう。まるで芸能人みたいだな。



 沙月は窓側から二列目、一番前の席だ。俺が入ってすぐに一瞬だけこっちを見た沙月だったが、すぐに何事もなかったかのように単語帳に視線を戻した。



 昨日のことを思えばかなり冷めた反応だ。それともここではお互い初対面という設定を貫くという、沙月の意思表示なのか。



 沙月がそうしたいなら俺は別に構わないけど、それならそうと昨日の時点で言ってくれればいいのに。



 もし俺がいきなり声をかけたりしていたら、どうしていたんだろう。



 そんなことを考えながら席に着く。後ろの蒼樹、それから平野はまだ来ていない。二人ともギリギリになるまで登校してこない系の生徒である。



 それにしても新学期二日目とはいえ、やけに教室内は静まり返っていた。昨日の方がまだ騒がしさはあったというのに、なぜかみんな自分の座席でノートや参考書を……。



 …………しまった。



 そこでようやく俺は思い出す。



 今日は休み明けのテストがあったということを。確か三学期の終わりにも言っていたし、昨日も黒井先生がそんな話をしていた。



 春休みをバイトと平野の家とゲームだけで終え、明日やればいい作戦で先延ばしにしていたツケがようやく回ってきたのだ。



「おーっす速斗……ってどうした? 何か顔色悪いぞ」



 そうして俺は、地獄の午前時間を迎えることとなる。








***



「テストどうだった速斗? 思ってたより難しくなくてよかったな」



 というのが、学年トップレベルの感想だった。


 

 それと同じテストを成績中の下で、全く勉強していない人が受けたら一体どうなるのか。



「……まあまあかな」



 見栄を張るので精一杯だった。テストは英国数の三科目で、午前中で終わってくれただけでも幸いだった。これが丸一日とかだったら、多分試験の途中で気絶していただろう。



 昼休みになり、俺はカバンの中からおばあちゃん特製のお弁当を取り出した。入学する前に、俺は別に購買のパンでいいって言ったんだけど、育ち盛りがパンなんかですましていたら栄養失調になると言われ、一年の時からずっと作ってもらっている。



 昼食は教室から出なければ、席を移動して食べてもいいことになっている。



 今見た感じだと半分ぐらいは自分の席で、残りは少人数のグループで固まって食べるといったところか。



 俺は蒼樹と一緒に――と思い後ろを振り向くと、蒼樹は神妙な面持ちで机とにらめっこしていた。弁当忘れたのか?



「なあ速斗、ここに神部さんを誘ってきてもいいかな」



「神部さん……それ俺もいないと駄目?」



「当り前だろうが。いきなり二人きりは下心丸見えじゃねえか」



 昨日蒼樹との会話が蘇る。転校生が可愛ければアタックすると。その時は俺も手伝うと。つまり沙月は蒼樹基準で、可愛いに分類されたということになる。



 沙月は一人で弁当箱を広げていた。昨日と違い、今日は誰にも話しかけられていないような気がする。



 ……まあなぜそうなっているのかは、大体想像つくけど。どうせ素っ気ない態度を取り続けたとかそういうのだろう。



 こういうところは本当にあの頃そのままだ。俺から見ても、今の沙月には話しかけてこないでオーラが、これでもかというほど放出されていた。



「じゃあ俺声かけてくるわ」



「えっ、ちょっ……」



 俺と沙月の関係を知る由もない蒼樹は気合を入れて立ち上がり、沙月のいる教室の前方へとズカズカと大股歩きで進んでいく。そんな歩き方していると目立つぞ。



 何となく事情を察したであろうクラスメイト達が、横目で蒼樹の行く末を見守る。



 蒼樹が沙月の横に立ち、口を開く。だが放送部が音楽を鳴らしているため、その内容までは俺の耳まで届いてこない。



 蒼樹はこっちを見て指さし、その後二言三言何かを言い、教室の中が少しどよめいたのは沙月が弁当箱と水筒を持って立ち上がった時だった。



 本当に来るのか……。蒼樹が沙月の椅子を持ち上げて、こちらに運んでくる。さすがに三人で一つの机は狭いと思い、俺の机を蒼樹のと引っ付けて待つ。



 今からとんでもないことが起ころうとしているのは、俺の考え過ぎだろうか。



「ここに座ってくれ」



「どうもありがとう」



 戻ってきた蒼樹は自分の机の左側に沙月の椅子を置き、沙月はそのまま腰掛けた。



「お友達と一緒なのに本当によかったのかしら」



「全然! 速斗もそうだろ?」



「あ……うん」



「じゃあお言葉に甘えさせてもらうとするわ。えーっと……」



「ああすまん、さすがに名前なんてまだ覚えていねえよな。オレは田城蒼樹ってんだ。そしてこっちが滝沢速斗」



「初めまして滝沢くん、よろしく」



「は、初めまして神部さん」



 どうやら沙月はそういうスタイルでいくらしい。あくまでも俺との関係は明かさない。でもそれが普通か。俺もうっかり下の名前で呼ばないよう注意しないと。



 軽い挨拶を終え、俺たちはそれぞれ持ってきた弁当で食事を始めることにする。



 ここの主役は蒼樹と沙月だ。二人の邪魔にならないよう俺はできるだけ影を潜めておかねばならない。



 これが沙月じゃなくて全く別の人だったらよかったのに――という思いは、正直ないと言えば嘘になる。



「神部さんバナナ一本まるごとって、けっこう食う方なのか?」



「胃袋は人並みよ。これは昨日行ったスーパーで何となく買っただけで――」



 複雑な気持ちが一かけらもない……わけではない。



 俺と沙月は確かに付き合っていた。あの頃の幸せな気持ちは今もちゃんと残っている。



 けどそもそも、どうして俺たちは別れることになったんだろう。



 漫画みたいな話だけど、実はそこら辺の記憶に曖昧な部分があるのだ。



 あるいは、あまりにのショックで別れた前後の記憶が抜け落ちてしまっている可能性もある。



 もしそうだとするなら、俺は振られたということになるし、俺はそれほど沙月のことを想っていたということになる。

 


 そんなことを考えながら、俺は二人の会話にちょくちょく相づちを挟み、箸を進めていく。



「――ちょいちょい」



 後ろから声がした。



 蒼樹と沙月の手と口が止まり、その視線は俺の背後へと向けられていた。俺にはその姿を視認できなかったが、声だけで誰なのかはすぐに分かった。



「神部さん女子一人じゃ息苦しいでしょ? わたしも混ざってもいい?」



 誰の返事も待たず、平野舞は俺の机の上に食べかけの弁当箱を置き、すぐに椅子を持って俺の左側――沙月の真正面に座って無事に地獄絵図が完成した。

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