第9話 偽カノと元カノ
「まともに話すのは初めてだよね神部さん! わたしは平野舞。分からないこととかあったら何でも聞いてね」
「ええ……よろしく」
沙月も困惑している。沙月だけじゃない、俺も蒼樹も突然現れた平野にまだ頭が追い付いていなかった。
だが今のアイドルが見せるような営業スマイルで、大体のことは理解できた。
平野は去年クラスの中でも中心的な存在だった。あいつの家の中での本性を知っている俺からすれば、あざとさ百パーセントだけどクラスメイトはそんなこと知りやしない。
今も孤立しかけている沙月を気にかけている……フリをしているのだろう。
何のためにそんなことをするのかは分からないけど、女子はそういうポイント稼ぎが必要なのだと前に言ってたっけな……。
それとも俺と蒼樹という、外の人間だけで集まるのに何かむず痒さでも感じたのだろうか。
今はその真意は不明だが、聞く機会はいくらでもある。今はこの時間をどう乗り切るかだ。
蒼樹は俺と平野、俺と沙月の関係を知らない。
平野は俺と沙月の関係を知らない。
沙月は俺と平野の関係を知らない。
どこかでボロを出さないか心配だ……。なるべく黙っておこう。
「神部さんって都内出身って昨日言ってたよね? 実はこの滝沢もなんだよ。どこら辺に住んでいたの?」
「——ごほっごほっ」
「どうした速斗?」
「あっ、いや……鮭の骨がちょっと刺さって」
平野が事情を知らないのはもちろん承知の上だが、まるで狙いすましたかのような沙月に対する問いだった。
ちなみに平野には、俺がどこで生まれ育ったのか以前話をしている。このまま話が進むといろいろと面倒くさくなるのは明らかだった。
通じないと分かっていながらも、俺は顔を強張らせ沙月に空気読んでくれアピールをする。沙月からすれば何の空気を読むんだって話だけど。
こんなことなら付き合っている時に、二人だけの秘密のメッセージみたいなのを作っておけばよかった。
沙月は平野の質問に対して少し間を置いた後、俺の方に顔を向けた。
「滝沢くんは二十三区から来たの?」
「えっ、そうだけど……」
「私は八王子だからちょっと距離があるわね」
そう言うと、バナナの皮をむき始めた平野。平野と蒼樹は八王子ってどこ? 知らん、みたいなやりとりをしていた。
本当に俺のテレパシーが届いたのか、沙月がこれ以上にない自然な流れでの回答をしてくれたおかげで乗り切ることができた。
沙月は嘘をついたわけではない。本当に八王子で生まれて、小学校三年生の時に俺と同じ小学校に転校してきたのだ。
俺はホッと胸を撫で下ろしたが、平野の質問攻めはまだ始まったばかりだった。
蒼樹が不服そうな顔で平野にガンを飛ばしているけど、平野はそれに気づいていないのか、それとも気づいていながら無視しているのか、構わず沙月に対してぐいぐい距離を縮めようと図っているように俺には見えた。
「部活とか入る気はないの?」
「大学はどこ目指そうとかもう決まってる?」
「趣味はなに? バナナ好きなの?」
「今度一緒にどこかに出かけたりしない?」
「あっ、連絡先交換しようよ」
俺も人のことは言えないが、沙月は昔から交友関係が広い方ではないと思う。
特に親しくない人相手には話していてもほとんど表情も変えず、相手が嫌気をさして離れていくというのがお決まりのパターンだ。
だからか、平野のような陽キャに分類されるカースト上位の同級生が沙月と仲良くなることはできるのか、俺としてはなかなか気になる組み合わせだった。
けどおかげで今、俺と蒼樹はすっかり蚊帳の外に弾き出されている。
俺の真正面で不機嫌そうに、さっきから米粒をちょびちょび口に運び続けている。蒼樹も平野相手には、あまり強く言えないことを俺は知っていた。
そんな蒼樹の陰りがさしていた表情に光が蘇ったのは、平野のある質問がきっかけだった。
「——神部さんって向こうで彼氏とかいなかったの?」
これには沙月も虚を突かれた様子である。さっきまでは平野の質問に対して言い終えるやすぐに、ぶっきらぼうな答えを返していたのが、今こうして間ができた。
「……彼氏は、いないわけではないけど……いるわけでもないわ」
「いるわけでも、いないわけでもない?」
蒼樹が首を傾げる。蒼樹にしてみればかなり重要なことだ。
「要するに秘密ってこと! 部外者はいちいち口をはさんでこない!」
「ぶ、部外者……」
さすがにこの扱いには同情せざるを得ない……。俺もなるべく平静を保つよう意識はしているけど、その後の沙月の男性関係について知りたいという思いは多少なりともあった。
結果は上手くはぐらかした感じだったけど、あえて意味深な返しをしたことに何か意味はあるのだろうか……。
と、俺が一人考えていると、今度は沙月の方から平野に対して質問返しが行われたのである。
「そういう平野さんはどうなの? 容姿もかなりいいしモテたりしないわけ?」
「いやー、わたしは全然だよ。背が小さいせいか妹みたいにしか見られてないんだよ」
嘘つけ。この一年でお前が何度デートに誘われて、それら全てを断ってきたということを俺は知っているぞ。
むしろ聞いてもいないのに、平野の方から喋ってくるのだ。ベッドの上で達した後の平野は機嫌がいいから、個人的なこともうっかり漏らしたりすることが多い。
「じゃあ食べ終わったことだし私はそろそろ失礼するわ。田城君、今日は誘ってくれてありがとう。平野さんと滝沢君もまた――」
「あっ、オレ椅子戻すの手伝うよ!」
最後の一言で蒼樹は救われたのか、ウキウキで沙月の椅子を頭上に掲げて場を離れた直後、平野にグイッとブレザーの裾を引っ張られた。
「ねえ滝沢」
耳元に口を寄せ、まるで息を吹きかけるようなフワッとした声音で囁きかける。
「神部さんがおいしそうに食べているのを見ていたら、わたしもほしくなってきた。まだ時間あるからちょっと付き合ってよ」
誰にも見られないよう上手に椅子で壁を作り、平野の手は俺のベルトの下に伸びてきて、包み込むように撫でられる。
「お前本気で……」
「……先に出てるから」
蒼樹が戻ってきたタイミングでそれだけを言い残し、弁当箱を自分のカバンに片づけた平野は、そのまま教室の外へ消えていった。
直後、ポケットの中でスマホが震えた。
待ち受け画面でポップアップされたメッセージには、『保健室の隣のトイレで』とだけ記されていた。
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