第2章

第22話 プロローグ


***


「滝沢君、本好きなの?」



「えっ」



 貸し出しの手続きを終えて差し出した何冊かの文庫本を受け取った滝沢速斗は、なぜか挙動不審になりながら逃げるように図書室を後にした。



 せっかく話す機会を得たというのに、まるで幽霊でも見つけたような態度を取られたことには、さすがにショックを隠せない。



「私、何か変なこと言ったかな……」



「さあ……」


 

 隣で英単語帳を開いていた同じ図書委員の女生徒も首を傾げる。



 中学三年生になった神部沙月が図書委員を選んだのには理由があった。



 まず一つが、静かな空間で勉強ができること。



 地元の公立中学校に通っている沙月だが、高校は偏差値が高く国公立大学への現役合格者を多数輩出している私立の学校を受験することを半ば強制的に決められていた。



 沙月には年上の従妹が五人いて、その皆が東大やら京大に受かって両親——特に母親は親戚で集まったときにかなりのマウントをとられたらしい。



 沙月自身はそれに対してこれといった感情を抱くことはなく、むしろ志望校とか一切考えていなかったため、むしろゴール地点を設置してくれたことに感謝していたぐらいだ。



 典型的な親の敷いたレールの上を進む子供。運動はあまり得意じゃないから文科系の部活をいくつか覗いてみたものの、コレジャナイ感がして結局帰宅部に。



 それに加えて物静かな性格も相まって、友達の数も両手の指で収まるレベル。



 部活に入っていない分、勉強できる時間はたくさんあったため成績自体は学年でも常にトップ争いをしていた。けれども、それでも油断をすれば母に言われた高校には――といった具合だ。



 放課後直後に訪れる一つの波が終わり、図書室の中も閑散とする。基本的に皆黙って本に向かい合っているため、目を閉じればほとんど人の気配もしなくなる。



 休み時間に勉強なんてすれば、変な目で見られる。家の中は誘惑が多くてあまり集中できない。



 そういう意味で、この図書室は沙月にとってちょうどいい空間だった。



 小学校とは違って騒ぐ人もおらず、利用する人数もかなり少ない。それもほとんど同じ人しか来ないため、何度か受付をすれば顔は簡単に覚えることができた。



 同じ図書委員の子は、三年生になって初めて同じクラスになった。名前は道下さんと言う。

 


 口数が少なく実際世間話もあまりしない。自分と似たタイプなのだろうと、沙月は勝手に思っている。変にグイグイ話しかけてくるような人よりかは、よっぽど都合がいいのだが。




 道下さんはさっきから英語のノートに例文を書き写していた。その集中度合いは、沙月の存在を忘れているほどだった。



 沙月もカバンの中から数学の問題集とノートを取り出す。



 そして、カウンターの下に忍び込ませていた一枚の本の貸し出しカードに目をやる。

 


 封筒と同じぐらいのサイズのその貸し出しカードには、借りた本のタイトルと日付が書かれている。



「最近は推理小説にハマっているのね……海外の作品が多いわ」



「神部さん何か言った?」



「い、いえ、何でもないわ」

 


 つい心の声が漏れ出てしまっていたらしい。



 道下さんには適当に誤魔化した沙月は、急いで本のタイトルをノートに書き写すと、貸し出しカードを本来の場所に返した。



 図書委員という立場を利用した越権行為、もしくはストーカーに近いことをしている自覚はある。



 沙月が図書委員になったもう一つの理由。



 それが、三年一組の滝沢速斗と少しでも繋がりを増やすためでもあった。



 この後は近所の図書館に行こう。



 図書委員の仕事は放課後一時間まで。その後は先生が引き継いでくれる。



 少し急いで帰れば、閉館までに行けるはずだ。



 メモした作品が全部あればいいのだが、なかったら父におねだりしよう。漫画や服には全くお金を出してくれないけど、本は頼んだらすぐに買ってくれるのである。





『——滝沢君がこの前借りた本、実は私も好きで持っているのよ』



『——えっ、本当に? 俺周りに小説の話できる人いなくて……』



『だったら私と夜通し語り合いましょう。大丈夫、家には誰もいないから――』




 よし、これでいこう。



 完璧な作戦だった。その先のことを考えるだけで身体中が疼いて仕方がない。



 もしかしてこの勢いで大人の階段を上ってしまうんじゃないか。





 やがて時間になり、沙月たち図書委員の仕事は終わる。



 廊下には誰もいない。



 どこからか聞こえてくる吹奏楽部の演奏のリズムに乗りながら、スキップで移動していう。



 苦節一ヶ月。ようやく共通の話題という武器を手に入れることができる。



 鳥になった気分だ。



 手を広げながら階段を猛スピードで駆け下りていた沙月は、途中で足を滑らせてそのまま頭から転げ落ちる。



 肩や腰を何度かぶつけて痛みを感じたとこまでは覚えていた。



 けどその次はなかった。



 完全に意識が、途切れてしまったのだ。

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