第19話 いつかの記憶②
***
東京に来たからにはどうしても野球を現地で観戦したいという父に付き添い、平野一家がホテルへチェックインしたのは午後の十時になるかという頃だった。
野球は舞もよくテレビで見ていたけど、実際に球場に足を運んだのはこれが初めてだった。
とにかく両チームのファンの熱気がすさまじかった。ただの外野フライでも総立ちして、もちろんヤジも聞く人によっては恐怖を覚えるレベル。
そしてテレビとは違い、ピッチャーやバッターが豆粒のように小さく見え、これならテレビの方が見やすいと思った。
部屋に入るなりベッドの上に大の字になった舞は、かなり疲弊していた。
主に目と脳の疲れが大きい。人の数に色とりどりの看板や建物。目から脳に伝わる情報があまりにも多かったため、軽い頭痛を覚えていた。
こんなことをここで暮らしている人に話したら、これだから田舎者は――とか言ってバカにされるに違いない。
——今日一日驚いてばかりだったな……。
去ったと思ったらすぐにやってくる電車の本数の多さ、歩いていて視界から途切れることのないコンビニの数。首がちぎれるほど見上げても最上階がどこにあるのか分からない、マンションやビル。
全てにおいて地元とは異なり規格外であった。
舞の周りにも、将来は上京すると言っている人は何人かいる。今日ようやくその人たちの気持ちが分かった気がした。
——わたしの場合、まずは人の多さに慣れないとダメなんだけど。
全てが非日常に感じてしまうほどの東京観光一日目であったが、何よりも今日のハイライトはあの運命の出会いだろう——と舞は勝手に考えていた。
もう二度と会えないのは分かっている。
本当にあの滝沢さんとの出会いが運命ならば、明後日の夕方に帰るまで、もう一度会えたりするのだけれど。
「せめて連絡先が分かればなあ……」
ひび割れた自分のスマホと睨めっこしながら舞はため息を吐く。
――と、そこで思い出した。
あの時舞は、滝沢さんのスマホを使って母に電話をかけた。
だったら母の着信履歴には滝沢さんの電話番号が残っているのではないか。
舞自身のスマホは、家に帰るまで修理に出せない。これがかなりの痛手だった。
あの売れていないバンドのようなチャラチャラした格好の若者を思い出すだけで、腹が立ってくる。けどよく考えてみれば、あそこでスマホが使い物にならなくなったことで滝沢さんと出会えた。
結局のところプラマイゼロってことになる。
母は今お風呂に入っている。充電ケーブルに繋がれた母のスマホの画面に触れてみた。
「ねえお父さん、お母さんのスマホのパスワードって知ってる?」
「知るわけないだろ」
テレビのニュース番組を見ている父はぶっきらぼうに答えた。贔屓の球団が負けたせいか、やや機嫌が悪そうに思える。いつものことだけど。
いくら家族と言っても知らなくて当然か。それ以前に、家族と言えどスマホの中を勝手に覗こうとする舞に問題があるのだが。
だったらもう母に直接尋ねるしかなかった。理由を聞かれたら、改めてお礼を言いたいとでも返せばいい。
問題なのは、そうすると東京滞在中に会うことは叶わないということ。このまま付き合いたいとか、そこまでがめついことは考えていない。
ただもう一度会いたかったのだ。午前中はパニックと緊張でまともに言葉も交わせなかったから、せめてそれをやり直すだけでもという思いがあった。
——せめてフルネームが分かればSNSで繋がれるかもしれないのになあ。
なぜ自分はあの時ちゃんと名前を聞いていなかったのか。そう思えば自分自身に腹が立ってきた。
ベッドの上で足をじたばたさせるも、それで何かがよくなるわけでもない。
悶々とした感情だけが募る中、テレビには今日平野家が宿泊しているホテルの近くで起きた交通事故のニュースが流れていた。
「最近耳にした名字だと思ったら……縁起悪いなあ」
せっかくの現地観戦で逆転負けを喫し、ヤケ酒をしていた父のぼやく声が耳に入ってきた。
何だろうと思い、舞も上体を起こしてテレビに意識を傾ける。
『——死亡したのは運転していた滝沢博樹さんと助手席に座っていたその妻の夕実さん。後部座席には二人の息子が乗っており、いずれも意識不明のまま病院に運ばれ――』
一瞬その名前に身体をビクンと震わせてしまったが、舞の抱いた感想は父と同じだった。
――確かに何だか縁起悪いなあ。
今日一日でこれまでの一生分と同じくらいの人を目にしてきた。滝沢という名字もそれほど珍しいというわけでもない。
どうやらトラックと衝突したらしいが、それ以上詳しい情報はこの番組では報道されなかった。そしてそのあとプロ野球のハイライトが始まったので、父がすぐにテレビを消した。
その後はお風呂から上がった母と入れ替わる形で、舞が一日の汗と疲れを流す。
いつもとは違う中身の濃い一日を過ごしたせいか、リラックスしたことで部屋に戻るとすぐに睡魔に襲われ、そのまま深い眠りに落ちた。
さっき見た交通事故のニュースも、忘却の彼方へ消え去っていた。
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