第35話 宣言
——彼女が彼氏の言うことを信じないわけないじゃない。
沙月は自然な、背景に桜でも舞ってそうな、はにかんだ表情でそう言いのけた。
間近で見ても作り笑いにはとうてい思えなかった。
本当に心の底からそういう考えを持っている——あるいは、天才的な演技の才能があるかのどちらか。
沙月は感情を抑えるのが得意なのは知っているけど、その逆は今までそういった機会がなかったから分からない。
けど沙月は、口に出したら恥ずかしいようなセリフでも平気で言ってのける。
だから多分、特に深い意味やちょっとふざけたわけではなく、ただ単にそのまま思っていることをぶつけたのだろう。
「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
「いや……、急に来られても困るんだけど」
「ちゃんと連絡いれたじゃない」
「あんな時間に起きてるわけないだろ」
朝の五時だぞ。おばあさんか。
「あら、誰かと待ち合わせでもしていたの? 」
「してないけど……」
「なら問題ないわね、さあ行きましょう。あまりここで話し込んでいると遅刻しちゃうわ」
俺を一瞥した沙月は、肩にかかったリュックを背負い直して歩き出した。
そして俺は、艶やかな黒髪が風になびくその背中を追う。
「……真後ろにいられると怖いのだけど」
「横に並んで歩くなんて、いつ誰がどこで見ているか分からないから」
「……今さら何を言っているの。小学生みたいなこと言って」
沙月は立ち止まり、わざとらしいため息を吐いた。あぁ、これが演技というやつか。
なんて、感心している場合じゃない。自分でもあほらしくて無理がある言い訳だと言うことは分かっていた。
高校生にもなって男女が並んで歩きながら登校していたからといって、わざわざそれをいじったりするような人はいない。
俺自身登校時に限らず、下校の時もそういった場面はこれまでに何度も目にしている。
更に言うならば、ほんの一週間前までは、俺も平野と校門の近くで待ち合わせする——というのを約一年間続けてきた。
今はそれよりも俺は五分ほど早く、そして平野は五分ほど遅く登校している。
特に示し合わせたりはしていない。先日俺の方からいつもより早く家を出ると連絡をしたら、平野はその時間に教室に入ってくるようになったのだ。
学校内では徹底的に俺との関係を隠そうとしていた平野。
対して沙月は、何かやらかさないか心配でしかたなかった。
こうやって朝わざわざ俺の家まで迎えに来て、一緒に登校することにどういう魂胆があるのかは分からない。
多分鉢合わせることはないとは思うけど、どうにか平野に見られたりすることだけは避けておきたかった。
この爆弾が爆発しないうちに俺も何とかしないと……。
まず直近のイベントというと——
「ねえ速斗、あの話は考えている?」
「あの話?」
ストーカーみたいだから本当に勘弁して、と、渋々横に並んでいた俺は、隣を歩いていた沙月に腕を小突かれる。
しかし俺は思いのほか長い間考えにふけっていたらしく、沙月の声にふと前を見ると、 目の前の視界はほとんど校舎で埋まっていた。
「——修学旅行の班決め」
「あー」
門を通り抜けるのと同時に、雷に撃たれた気分になる。
高校二年生——いや、高校生活で最も大きな行事と言っても過言ではない修学旅行。
三泊四日で行く北海道旅行の行程には、いくつかのグループ行動が予定されている。
それが今日決める日なのだ。
もちろんくじ引きなどではなく、自分達で話し合い男女ごちゃまぜの五名程度のグループを作る。
少し前までは平野と一緒の班になろうと無邪気に話していたのが懐かしく思えた。
「私転校してきたばかりだから友達いないのよ。このままだとぼっちで観光することになるわ」
「一人旅も悪くないと思うけど」
「皆が友達と肩を寄せあっている写真の中で、私一人だけど真ん中でピースって虚しいと思わない?」
靴を履き替え、階段を上る途中も沙月のアピールは続いていた。
そもそも一人なんて先生たちが許すはずがないから、どの道どこかの班の中に無理やりねじ込まれる。
まあ沙月だってそれぐらいのことは理解しているうえでのことだろう。
そうこうしているうちに教室の前に着く。
そして中に入ろうとしたその時だった。
「よお速斗、それから神部さん」
背後から声をかけてきたのは、俺の後ろの席にして唯一の友人である田城蒼樹だった。
「おはよう田城君」
「二人が一緒なのは珍しいな。下で一緒になったのか?」
「ま、まあそんな感じ——」
「いいえ、違うわ」
俺の口を直接塞ぐように手で制止した沙月。
その不敵な笑みに、まさか——という思い描く限り最悪の未来が俺には見えた気がした。
沙月が一歩教室に足を踏み入れ、蒼樹がその後に続く。
教室の中はすでにザワザワしていて、いちいち誰かが入ってきたところでその時間が止まったりすることはない。
中に入った沙月は振り向きざまに、まるで蒼樹一人ではなくクラスメイト全員に伝えるかのごとく、今日一番の声量で言った。
「——今日は速斗と一緒に来たのよ」
「おい、さつ——」
「私達付き合っているのよ」
時間が止まった。
友達同士で喋っていても、本を読んでいても、机に突っ伏していても、なぜかこちらからの声は届いているみたいだった。
このクラスには一体何人の聖徳太子がいるのか。
しっかりと聞き耳を立てていることに、一種の恐怖さえ覚える。
沙月のたった一言で静寂に包まれたこの教室で、一番の注目の的となった俺たち。
そのうちの一人である俺の目に今映っているのは、沙月でも蒼樹でもなく、薄暗い陰を瞳に宿した平野舞の姿だった。
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