第42話 自業自得


「大丈夫ですか? 顔色悪そうですけど」



幽霊でも見たかのような顔を浮かべているであろう俺に、沙月は何食わぬ顔……いや、ニコニコスマイルで気を遣う言葉を投げかけてくる。



ただその瞳の奥は、一切笑っていなかった。



「……いえ、大丈夫です」



周りに他のお客さんもいる手前、大っぴらに馴れ馴れしい態度を取ってクレームを入れられたらたまらない。



俺は店員としての顔で、お客さんとして訪れた沙月に対応するため特売品のコーナーへと案内を始める。



言うまでもなく沙月の顔を見た雪島さんも驚きを隠せず、口をぽかんと開けていた。



その反応は明らかに沙月を知っている人のソレだった。








「広告に載っているお菓子はこちらに――」



「下手くそな芝居はよしてちょうだい」



と言いつつも、沙月はクッキーを二箱とってカゴの中に入れていく。



「……一応俺店員なんだけど」



「そんなこと分かっているわ、それよりどういうことなの?」



「……何が?」



「私には言ってくれなかったじゃない」



声量を抑えるためか、沙月が俺の方に寄ってくる。傍から見れば店員と客が肩を触れ合わせているようにしか思えないだろう。



そして沙月は、こういうギリギリの――何と言うかバレたら終わりみたいな駆け引きを楽しむ節がある。



「何の話なのかさっぱりなんだけど……」



早く会話を切り上げたいのに、なかなか本題に入ってくれない。



なのに沙月は俺を無視して、今度はイチゴ味の方に手を伸ばしている。



ここから離れて持ち場に戻ったところで追いかけてきそうな気がするし、かと言って裏に出たら後からいろいろ言われそうだし……。



結局のところ、沙月の用事……というか気が済むまで付き合うのが最適解のような気がする。



私服姿の沙月は、当たり前かもしれないけど制服を着ている時よりかなり大人びて見えた。



紺色のTシャツから伸びる細くて白い腕が嫌でも目につく。



うちのスーパーの制服が長袖のポロシャツで良かった。素肌どうしが擦れたりしたら今以上に意識してしまうところだ。



ていうかいつまでお菓子を吟味しているんだ。安いのだから、そんなに悩むぐらいなら全部買えばいいのに。



「こういうの好きなんでしょ?」



「え?」



心の声が届いたのか、ようやく沙月が口を開いた。



「焦らしプレイが好きってさっき一緒にいた子と話していたじゃない?」



「いや、そういうのじゃ――」





――唇を塞がれる。




――二本の指で。




「大声出すと他のお客さんに迷惑でしょ?」



……ごもっともだ。声は出せないため俺はうんうんと頷いて見せる。



というより、全身が硬直した中なんとか首だけを動かしたと言った方が正しい。指先から電撃を流されたみたいだ。



俺の口から指を離した沙月は、そのままカゴを手に持ったまま通路を颯爽と歩き去っていた。



その去り際、俺の耳元に顔を近づけ――





「――閉店後、お店の近くで待っているから」





さすがにこれ以上はあなたの迷惑になるからね、と微笑んだ沙月がレジに隠れて見えなくなるまで俺は立ち尽くしていた。



視界の横で、二人組のマダムが口に手をあてがいながらヒソヒソと何か話している。



俺のことだろうか。けどそんなことを気にする暇も余裕もなかった。



焦らしプレイが好き――っていう話の件は、さっき雪島さんとの中で出てきたものだ。



沙月はいつから近くにいて、俺たちの話を聞いていたのかは分からない。



けど多分、雪島さんの気持ちが俺に向けられているってことも耳に入ったと考えておいた方がいいかもしれない。



買い物自体はたまたまこの時間帯に来たんだろうけど、なぜこうもジャストタイミングで……。



最近沙月と会う度に問題事が逆ピラミッド方式に積み重なって増えている気がしてならない。



「本当にこの店辞めることになるかもしれないな……」



マダムたちの訝しげな鋭い視線を背中に受けつつ、俺は雪島さんの様子を見るため飲料水の売り場へと戻った。









***



「補充ならもう全部終わりましたよ?」



「えっ、そうなの?」



お酒の棚も、飲料水の棚も荷台と雪島さんの姿はなかった。



おかしいなと思って裏口に出ると、雪島さんが空になった段ボールを広げているところだった。



まだ量的にはそれなりにあったはずだし、何せ雪島さんはまだ入りたての初心者だ。



物覚えと手際のよさは知っていたけど、まさか本当に終わらせていたことには素直に驚いた。



「まあゲームみたいなものですよ」



「ゲーム?」



機械のように淡々と平らになった段ボールを積み上げていく雪島さんがボソッと言った。



「楽しい時を過ごしている間は、時間が過ぎるのがむちゃくちゃ早く感じるって意味ですよ」



「ものの十分ぐらいだったと思うけど……」



「この狭い店内で、先輩はお客さんを売り場に案内するのに十分もかけるんですね」



「いや、それは……」



「いくら愛人さんが来たからって新人一人を現場に残してお店の中で逢い引きはどうかと思いますけど!!!!」



「沙月は愛人なんかじゃ……」



「じゃあ本命さんですか? それともキープしているだけですか!! 」



ビリリリリリリリッ――と、けっこう厚めの段ボールがいとも簡単に、女の子の小さな手で引き裂かれていく。



「雪島さん、一度落ち着い」



ビリリリリリリリリッッ――



「話を聞い」



ビリリリリリリリリッッ――




……駄目だ。



雪島さんの段ボール作業が終わるまで、俺はモブキャラの如く直立不動でその様子を見守っていた。



それはまるで、体育館で校歌が流れたときに歌いも口パクもせず、心を無にして終わるのを待つあの感覚に似ていた。





――先にこれ捨ててきますね。





外にある段ボール回収庫に、かつて段ボールと呼ばれていた残骸を持って行った雪島さんが帰ってくるのを待っている間、俺は気になってスマホをポケットから取り出す。



ちなみに雪島さんに「手伝うよ」とは言ったけど「これぐらい一人で大丈夫です」と速攻で返されてしまった。



そして俺の予感というか直感は正しかったようで、案の定沙月から新着のメッセージが届いていた。



閉店まで待っているみたいなこと言っていたけど、本当にあと一時間も待っているつもりなのか――



俺が沙月からのメッセージを確認しようとし――



「先輩ー! 雨降ってきまし……た……よ…………って先輩!!!!」



ドタドタドタ――ものすごい勢いで足音が近づいてきたかと思ったのも束の間、ひょいっと俺の手からスマホが抜き取られる。



「また私がいないと思って女の人とやり取りですか! さっき会ったばかりなのになんなんですか!!!!」



「これはあの、条件反射的なあれで」



「こんなもの! もうこうです!」



大きく天井に振り上げられた雪島さんの右腕は、そのまま地面に向かって更なる加速と共に振り下ろされ――



「あっ」



「あっ……」



バキィッという無慈悲な音が響き渡り、後に残ったのはバキバキになったスマホのディスプレイ。



どれだけ待っても、再びそこに光が灯ることはなかった。

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