2-3 天然たらし

(……訊いても良いのかな)


 後輩の女の子に告白されたこともそうだが、美影にはもう一つ気になっていたことがある。

 それは、体育館裏で佇んでいた時の汐音の視線だ。

 特定の場所をじっと見つめているように感じて、美影の勘違いでなければ――そこは音楽室だったような気がする。

 放課後の行動から察するに、汐音はどこの部活にも所属していないのだろう。

 でも、もしかすると元吹奏楽部とか、合唱部に所属していた可能性もあるかも知れない。


「美影ちゃん?」

「あっ、す、すいま……ひゃあ」


 汐音に肩をトントンと叩かれ、美影はビクリと反応する。

 いつも通り、汐音の距離感がバグっているのだ。

 長いまつ毛まではっきりと見えてしまうくらい、汐音の顔が近くにある。愛らしい猫目に、透き通った肌。これは数々の女の子が落ちてしまうのも無理もないと思うし、逆に動じない紡の方がどうかしていると思う。


「あの、凄く言いづらいんですけど」


 あっちこっちに視線を動かしながら、美影はやっとの思いで言葉を紡ぐ。

 しかし、


「……せ、先輩に見惚れていました」


 美影の口から飛び出したのは誤魔化しの言葉だった。


(私の馬鹿ああぁ……っ)


 当然のように、美影は音もなく悲鳴を上げる。

 せっかく汐音が改まって聞いてくれたのに、結局逃げてしまったのだ。ただ、「音楽室で何かあったんですか?」と聞けば良いはずなのに、そのハードルは想像以上に高いものだった。

 だって、汐音とはまだ知り合ったばかりなのだ。

 心の奥底に踏み込んでしまうような気がして、なかなか一歩が踏み出せない。


「ほう?」


 しかも汐音の反応はノリノリだ。

 顎に手を添えて、興味津々にこちらを見つめている。完全にシリアスモードは崩れてしまったようだ。


「いやぁ、ボクったら女の子にモテモテだなぁ」

「……今日も、告白されたんですよね」

「あれ、知ってたんだ。もしかして見てた?」

「いや、見てはない……ですけど」


 思わず俯いてしまう。その女の子に会った、とまでは流石に言えなかった。

 汐音は小さく「そっか」と呟き、言葉を続ける。


「ボクは紡くん一筋なんだよ。だから、そこに決着が付くまでは断るしかなくてね」


 弱々しく笑ってから、汐音は天を仰ぐ。気のせいか、やはり視線は音楽室に向かっているように見えた。


「そういうことだから。ごめんね、美影ちゃん」

「えっ」


 パチンと手を合わせながら、軽く頭を下げる汐音。

 一瞬、美影にはどういう意味かわからなかった。しかし、じわじわとその意味が胸に伝わってきて、美影はポカンと口を開く。


「美影ちゃん? そ、そんなにショックだったかな」

「…………そうじゃなくて。私、鈴原先輩に見惚れていたと言っただけで、告白した訳じゃないんですけど……」


 正直な言葉を呟くと、今度は汐音が呆気にとられたような顔になる。

 逆に、本気で告白だと思われていた方が驚きだ。


「あの、鈴原先輩」

「な、何かな?」

「先輩は……天然たらしだと思うんですよ。…………もうちょっと、自分が魅力的な人間であることを理解した上で行動した方が良いと思います」


 思い切って本音を打ち明ける。

 すると、汐音はカチコチに固まってしまった。

 こんなにも動揺を露わにした汐音を見るのは初めてだ。もしかしたら、今まで距離が近いとは言われても「天然たらし」とは言われたことがなかったのかも知れない。


「鈴原先輩……? あの、すみません。言いすぎまし……ぅひゃぃっ」


 汐音が急に動き出し、美影の両肩を掴んでくる。

 まさか、早速美影の言葉を無視した行動をしてくるとは思わなかった。最早、美影の対人スキルは限界を超えている。このまま目を回して倒れ込んでしまいそうだ。


「……美影ちゃん」

「は、はい」

「ボク、こんなにも恥ずかしい思いをするのは初めてだよ。後輩も、同級生も、皆……ボクにちょっと遠慮があるって言うか、何だかんだ距離感があったからさ。紡くん以外でズバっと言ってくれたのは、美影ちゃんが初めてなんだ」


 ゆらゆらと揺らめく瞳を向けながら、汐音がぎこちない微笑みを浮かべる。

 余裕があるようで、だけどまったくないような、そんな不思議な表情に見えた。


「美影ちゃん。ボクはもっと君のことが知りたいって思うんだ」

「……はいぃ」


 思わず声が震える。

 積極的すぎる汐音に動揺している、という気持ちももちろんあるのだろう。でも、それだけではないのだ。


 ――嬉しい。ただただ、嬉しくて仕方がなかった。


 今まで人と接することから逃げ回っていた美影にとって、自分のことを知りたいと言ってくれる汐音の存在は眩しくてたまらない。その眩しい光は決して逸らしたいものではなくて、見つめていたと思えるものだった。


 これはもしかしたら、友達になってください、と言うチャンスなのではないだろうか。


 いつもぼっちだった美影にとって、ここまで深く人と接することなんてなかった。少し前までは一人でいるのが当たり前だったのに、汐音の隣にいるのはまったく苦ではないと思える自分がここにはいる。

 相手は先輩だし、今はまだ緊張だってしてしまう。でもそれ以上に――心が温かくなって、安心するのだ。


 こんな気持ちが存在するなんて、今の今まで知らなかった。

 だからあと一歩、勇気を出せば……。


「ねぇ、美影ちゃん」

「ぅあ……は、はい。……何でしょう」


 と思ったら、汐音に先を越されてしまった。

 もごもごと口を動かしてから、美影は観念して頷いてみせる。



「良かったら、ボクとデートしない?」



 ――え?


 美影は瞳をぱちくりさせる。

 今、汐音は何と言ったのだろう? なんて、すっとぼけたい気持ちに駆られる。でも、はっきりと美影の耳に届いてしまった。

 ウインクをしながら、彼女は囁くようにして言ったのだ。


 デートしない? と。

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