4-7 特別な笑顔
心がふわふわとしてしまうのは、嬉しい気持ちが溢れて止まらないからか。それとも、単にのぼせてしまったからか。
答えはきっと、どっちもなのだろう。
三人と打ち解けられたのは良かったものの、場所が温泉というのが問題だった。美影なんて、お風呂はさっと入ってさっと出てしまうタイプの人間だ。あれほどの長湯は慣れていなくて、今になってやってしまったと後悔する。
とにかく、早く部屋に戻って休まなければ。
そう思って部屋に向かっていると、
「……西連寺くん?」
何故か、女子部屋の前には桜士郎の姿があった。旅館の浴衣でさえ「サムライのコスプレかな?」と思ってしまうほど、様になっている。
桜士郎もちょうど温泉から戻ってきた、という雰囲気でもなさそうだ。
まるで美影達を待っていたかのように壁にもたれかかっていて、美影達は顔を見合わせて首を傾げる。
「桜士郎くん、あたし達に何か用?」
陽花里に問われると、桜士郎は何故か困ったように視線を彷徨わせた。
「いえ、ちょっと……その。森山さんに」
「……私?」
珍しくしどろもどろな桜士郎に名前を呼ばれ、美影は思わず首を傾げる。今まで、桜士郎とはあまり接点がなかったのだ。
いったい何の要件なのか、見当もつかない。
「森山さん。こちらに」
「え、あ、はい」
手招きをされ、美影は誘導されるがままに桜士郎に近寄る。
すると、あろうことか――桜士郎は耳打ちをしてきた。近い近い何だ何だどうしたどうした……と、一瞬にして動揺の塊になる美影。
まさか、美影の知らないうちに桜士郎とのフラグが立っていたのか。
いやしかし、美影は桜士郎のことを「紡の友人キャラ」としか思っていない。あとはキャラが濃い、くらいなものだ。桜士郎だって、美影に対しては薄い印象しかないはずなのに、いったいどうして。
という思考は、
「紡が、あなたに話したいことがあるそうです」
桜士郎の言葉によって、一気に消え失せてしまうのであった。
***
紡が待っていたのは旅館のラウンジだった。
確かに、紡と二人きりで会話をしたことがない訳ではない。
でも、状況が状況のため、どうしたって緊張してしまう。うっすらと流れるジャスの音色に、温かな照明やキャンドルの灯火。汐音と二人で訪れたイタリアンとはまた違った、雰囲気の良い空間だった。そのソファーに座りながら、紡は美影に向かって片手を上げる。
「わざわざ呼び出して悪かったな。……俺はコーヒーにしたけど、森山さんも何か飲むか?」
「あ、じゃあ……紅茶にしようかな」
「わかった。持って来るから待っててくれ」
「えっ」
どうやらラウンジにはコーヒーや紅茶のセルフサービスがあるらしく、紡はそそくさと取りに行ってしまう。そこまでしてくれなくても良いのにと思いながら、美影はソファーに腰かけてそわそわと視線を彷徨わせる。
「はい、お待たせ。砂糖とフレッシュ、いるかわからなかったからとりあえず持ってきたけど、良かったか?」
「う、うん。ありがとう。大丈夫だよ」
相変わらず、紡は気遣いの塊のような人だ。
遠慮なく砂糖とミルクをたっぷり入れて、一口飲む。ほっとするような甘さが口いっぱいに広がり、美影は少しだけ心が落ち着くのを感じた。
「それで、さ」
しかし、本題に入ろうとした途端に、緊張が舞い戻ってくる。
でも、それはほんの一瞬のことだった。
「作島さんのこと、本当にありがとうな」
――あぁ、やっぱりそのことだよねぇ。
苦笑したいのを必死に隠しながら、美影は「いやいやそんな」と返事をする。
紡と美影を結ぶのは、結乃の件が一番大きなものなのだ。
話がしたい=結乃のことなんて、最初からわかり切っていたことだった。逆に、いったい何を期待していたのだと突っ込みを入れたいくらいだ。
「俺じゃ、作島さんの心の奥深くまでは入り込めなかったから。……作島さんは、時折切ない顔をする子だなって、ずっと思ってたんだ。森山さんのおかげで晴れて、本当に良かったよ」
だからありがとうと、紡は頭を下げる。
紡にとって結乃がどんな存在なのか、今まで美影にはわからなった。でも、この様子だと少なからず妹のような存在ではあるのかも知れない。
美影はそっと、心の中で「結乃ちゃん、良かったね」と囁いた。
「それから、しお姉……鈴原先輩のことも。森山さんのおかげで音楽に向き合えるようになったって、最近楽しそうだから」
「そ、それは……。私のせいで先輩をオタクにしちゃって……。本当に良かったのかなって」
恥ずかしさを誤魔化すように、美影は自虐的に微笑む。
まったくもって、褒められることには慣れていないのだ。ついつい、話を逸らそうとしてしまう。
「俺も陽花里の影響でアニメとか興味あるし、むしろ話題ができてありがたいと思ってるよ。しお姉……あ、鈴原先輩が」
「別に、しお姉で良いと思うけど」
思わず口を挟むと、紡は照れ隠しをするように咳払いをする。
「んんっ、そ、そうか。しお姉とは同じマンションのお隣さん、っていうのは知ってるんだったよな?」
「うん。鈴原先輩から聞いてるけど」
「だよな。しお姉はことあるごとに俺の部屋に入ってくるんだが、最近は森山さんの話ばっかりしてるんだよ」
「……へっ?」
ついつい、素っ頓狂な声を上げてしまった。
汐音が美影の話ばかりしている。しかも、紡に。
……と考えれば考えるほどに、妙な恥ずかしさが美影を襲う。確かに、汐音とはデートをきっかけに仲良くなれた。アニメやアニソンを教えて、汐音が夢中になって、美影もまた嬉しくなる。そんな日々が続いていたから、汐音とは胸を張って仲が良いと言える自信があった。
でも、まさかそれを紡に伝えているとは思わなかったのだ。
(そっか。瀬崎くんは陽花里さんだけじゃなくて、ちゃんと鈴原先輩や結乃ちゃんのことも気にかけてるんだ)
照れくさい気持ちとともに、心のどこかでほっとする。
と、思っていたのだが。
「それからさ、陽花里のこともありがとうな。ついさっき、『友達が三人もできました』っていうメッセージが届いたんだよ。あいつ、教室ではいつも寂しそうにしててさ。だから何か、俺も嬉しいんだよ」
言いながら、紡は微笑みを浮かべる。
――なんて温かい顔で笑うんだろう、と思った。
結乃や汐音の話をしている時だって、紡は嬉しそうな表情をしていた気がする。でも、美影は思ってしまったのだ。
明らかに違う、と。
陽花里の話をしている時が一番嬉しそうなのだと。
はっきりと、断言できてしまっていた。
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