4-8 鈍感系主人公
「森山さんは本当に凄いよな。多分、陽花里達とちゃんと関わったのはこの春からだろ? なのにもう、三人の心を救っちまった」
「いやいや、そんな。ただの偶然だと思うから」
「謙遜しなくても良いと思うぞ。きっと森山さんは、人の心に寄り添うことができる人なんだろうな」
「いやいやいや」
反射的に手をブンブンと振りながら、美影は苦笑を浮かべる。
人の心に寄り添うことができる人なんて、まさしく紡のことではないか。「悩んでいる時点で前に進んでいる」という言葉は確かに陽花里の心に届いたし、関係のない美影もその言葉のおかげでここまで突っ走ってしまった。
だからもっと胸を張れば良い――と、思うのに。
「実はさ、俺も…………あぁいや、何でもない。忘れてくれ」
何故か紡は、急に煮え切らない態度を取る。
もしかしたら、紡にも何か悩みごとがあるのかも知れない。話の流れ的にそんな気がした。だから美影は、何の迷いもなく言い放つ。
「陽花里さんのこと?」
訊ねた途端に、美影の苦笑は加速する。
だって――そこまでわかりやすく動揺するとは思っていなかったのだ。「えっ?」と聞き返すのを何とか堪えているような半開きの口に、泳ぎまくる視線。こんな状況の紡の姿を見るのは初めてのことだった。
「あー……。もう、誤魔化せないよな」
「まぁ、ね」
やがて、紡は美影の真似をするように苦笑を浮かべる。
美影が頷くと、紡は覚悟を決めたように口を開いた――。
陽花里は幼馴染だけど、ただの幼馴染という感情ではなくて、ずっと前から恋愛感情として好きだということ。
だけど彼女は声優だ。幼い頃から夢にまっすぐで、声優という夢を叶えてからも「ああなりたい」「こうなりたい」を叶えるために努力を重ねている。
そんな彼女に、自分の想いを告げて良いのだろうか。
彼女の声優人生に関わってくるかも知れないと思うと告白できず、悩んでしまっている。
というのが、今の紡の状態らしい。
「…………そっか」
話を聞き終えた美影の口からは、思った以上に冷静な声が零れ落ちる。
――最初から、紡と陽花里は両想いだった。
本当は、心のどこかでわかっていたことなのかも知れない。
だって、二人は幼馴染なのだ。過ごした時間も、絆も、空気感さえも、何もかもが美影達とは違う。「幼馴染は負けフラグ」なんて言葉は、二人にはまったくもって通用しない言葉なのだ。
「森山さん?」
「……いやぁ、青春してるなぁって思ってさ」
「な……っ」
自分は、そんなにもニヤニヤといやらしい顔をしていたのだろうか。紡の頬は一瞬で朱色に染まり、逃げるように目を伏せる。
多分きっと、今はショックを受けなければいけない場面なのだろう。
自分の恋が終わってしまった。告白もせずに、さらさらと流れ落ちてしまった。普通だったら、涙を流して逃げ出すところだ。
でも、美影の身体は動かない。
だって、美影はとっくに気付いてしまっているのだ。紡の言葉で心が動いて、汐音や結乃、陽花里と打ち解けられた。しかも今、皆と温泉旅行にまで出かけている。
何とかして学校に通っていたあの頃とは、もう何もかもが違うのだ。
モブでもない、ぼっちでもない自分の姿がここにはいる。
だから、美影は笑うのだ。
「あのね、瀬崎くん。声優さんっていうのは出会いがたくさんあるって思うんだよ。最近では結婚する声優カップルも多いし。だから、さ」
小さく息を吸い、紡を見据える。
少しだけ躊躇ってしまうのは、きっと汐音と結乃に申し訳ない気持ちがあるからだろう。でも、美影は意を決して言い放つ。
「後悔だけはしない道を選んだ方が良いって、私は思う。……っていうのが、ただのオタクとしての私の意見だよ」
言ってから、美影はわざとらしくあはは、と笑う。
本当に、不思議なこともあることだ。ひっそりと紡の言葉に動かされた人間が、今度は紡に対してアドバイスをしている、なんて。何だか小っ恥ずかしくなって、美影はついつい笑って誤魔化してしまう。
「そうか。……そう、だよな」
紡もまた、美影に釣られるようにへらりと笑う。
気のせいかも知れないが、安堵感に包まれているような優しい笑みに見えた。
「ありがとう、森山さん。心がスッキリしたっていうか……うん。変に悩むのはやめにするよ。だいたい、これは俺の片思いな訳で……ちょっと先のことまで悩みすぎだよな」
「…………」
「……も、森山さん?」
紡の笑顔に、戸惑いの色が混ざり込む。
密かに睨み付けたつもりだったが、どうやら紡にはバレバレだったようだ。「何か怒ってる?」とでも言いたいように首を傾げる紡に、美影はそっと息を吐く。
「私、そろそろ部屋に戻るね。陽花里さん達ともまだまだ仲を深めたいし」
「あ、あぁ、そうだな。ホント、ありがとうな。話、聞いてくれて」
「うん。…………あ、そうだ瀬崎くん」
席を立ちながら、美影はさり気なさを装いつつも言い放つ。
「瀬崎くんは意外とモテるってことも忘れないでね」
まるで捨てゼリフのように言ってから、美影はそのまま部屋へと戻っていく。すぐさま「えっ?」という紡の間抜けな声が聞こえてきたが、美影は止まらない。
――この鈍感系主人公が。
汐音と結乃の気持ちを乗せながら、美影はそう毒づくのであった。
***
楽しかった温泉旅行は、あっという間に過ぎていく。
部屋に戻って、眠りに就くまで皆とお喋りをしたり。朝、意外と寝相が悪かった汐音に蹴られて目が覚めたり。朝食のバイキングを皆でわいわい食べたり。チェックアウトしてからは、カフェが併設された足湯に行ったり。
行きはあんなにも心が弾んだのに、帰りはどこか寂しい空気が漂っている。
そっか、私はちゃんと楽しいと思えたんだ、なんて当たり前のことを美影は思った。一人でいるのが普通のことで、むしろ人との関わりを避けるようにして学校で過ごしてきたのだ。本来の美影だったら、誰かとわいわいがやがやと旅行するなんて考えられないことだったのに。
人というものは、ほんの些細なきっかけで変われてしまうものだ。
汐音の夢に寄り添えて良かった。
結乃の背中を押せて良かった。
ファンとしてではなく、友達として陽花里と打ち解けられて良かった。
最初は三人のことを『紡のヒロイン』と思っていて、自分も紡のヒロインになりたくて彼女達に近付いた――はずなのに。
「もう、満足だから」
旅行から帰ってきた、翌日。
いつものように登校して、昇降口の下駄箱の前に立つ。すると美影は、無意識のうちに独り言を呟いていた。「もう、満足だから」。その言葉は単なる本心なのか。それとも、自分自身に言い聞かせているのか。
自分のことだというのに曖昧で、美影は一人苦笑を浮かべる。
(私も……恋愛というものをしてみたかった?)
問いかけながら、美影はそんな馬鹿なと思う。
友達ができただけで、こんなにも胸がいっぱいになっているのだ。人には人のペースというものがあって、恋愛なんて自分にはまだ早い。今までだって、頑張って学校に通ったり、汐音や結乃、そして陽花里と向き合ったりして、少しずつ前に進んできたのだ。
結局のところ、「紡のヒロインになりたい」というのはただの言い訳で、一人ぼっちの状況から脱却してみたいと思っただけだった。
はずなのに。
「…………えっ」
下駄箱を開けるとともに、美影の鼓動は何かを期待するようにドクンと高鳴った。思わず声も漏れてしまい、美影は慌てて口を噤む。
だって、仕方がないではないか。
――下駄箱の中に、一通の手紙が入っていたのだから。
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