4-6 私達の本音

「私も、陽花里さんって呼んでも良いですか……っ?」


 美影はいつも、陽花里のことを「久城さん」と呼んでいる。

 ファンとしてなら「ひかりん」だが、クラスメイトとしての陽花里に対してそう呼ぶのも何かが違う気がした。


 だから、「陽花里さん」だ。

 本当は汐音のようにちゃん付けで呼ぶことができたら良いのだが、現実はそう上手くはいかない。何とも中途半端な提案をしてしまった、と美影は苦い笑みを浮かべた。

 の、だが。


「え……?」


 美影は思わず、動揺丸出しに瞳を瞬かせる。

 それは汐音も結乃も同じで、不安げな視線を陽花里に向けていた。


「ごめん、あたし……」


 やがて、陽花里は自分の表情を隠すように俯きながら、言葉を零す。

 でも、声の震えだけはまったく隠せていなかった。



「凄く、嬉しくて」



 ――夢なんじゃないか、と思った。


 瞳を真っ赤にさせながら、陽花里は美影に対して優しい笑顔を向けてくれている。

 今をときめく人気声優の久城陽花里が。

 クラスメイトなのに、とてつもなく遠い存在に感じていた久城陽花里が。

 まるで心の距離まで縮めてくれているように、こちらに近寄ってくる。


「あ、あわわ……くじょ……ひ、陽花里さんっ」

「やっぱりまだ、緊張しちゃう?」


 いや、そんな涙声でドヤ顔されましても。

 ……なんて冗談を言える余裕など、美影にはあるはずもなかった。陽花里は今、美影の両手を優しく包み込んでいる。握手会の経験すらなかった美影にとって、これが初めての陽花里との接触だ。

 急に鼓動が速くなり、心の中で「ひいぃぃ」と叫ぶ。


「な、なな、何ですかこの状況は……?」

「この状況って、どの状況?」

「この……っ、ぜ、全裸握手会のことですっ」

「…………変な表現しないでくれる?」


 混乱した挙句に妙なワードを零すと、陽花里の表情は一気に冷めたものへと変化した。かと思ったら、ニヤリと口角をつり上げる。

 まるで紡に見せるような、飾らない笑顔だった。


「ぷっ、変なの。森山さん……いや、美影ちゃんって、実は面白い人だったんだ?」

「え、あ、いや、今のは口が滑ったっていうか……」

「でも絶対、一瞬でも『全裸握手会』って言葉が思い浮かばないと口に出ないよ?」

「た、確かにそうですね……。私、変人なのかも知れません」


 恥ずかしさを誤魔化すように、美影は「あはは」と笑い飛ばす。

 相変わらず胸の高鳴りは止まらないし、「陽花里さん」とは呼べても敬語になってしまうのは直りそうにない。


 でも――明らかに空気感が変わったな、と美影は思っていた。

 ただのあいさつでもない。あのアニメ観ましたっていうファン的な話題でもない。自然体な会話ができたような気がして、美影は別の意味でドキドキしてしまう。

 まぁ、流石に『全裸握手会』はどうなんだ、と自分でも思ったが。



「……あたし、本当はずっと、皆と仲良くなりたいって思ってたの。ライバルって思ってるかも知れない。ファンだから近付けないって思っちゃうかも知れない。……でも、あたし……寂しいって気持ちがあったから」


 やがて、陽花里は三人の姿をじっと見つめながら呟いた。

 きっと、少し前の自分だったら「仲良くなるなんてそんな恐れ多いこと」と思ってしまうことだろう。クラスメイトというだけで充分恵まれていて、友達になりたいなんて思ってはいけない。そう、当たり前のように思っていた。


 でも、今――この瞬間。

 すべての気持ちがひっくり返る。


「ボク、ライバルのことはちゃんと知っておかなきゃって、陽花里ちゃんの出ているアニメとか……実はチェックしてたんだ。で、凄い人なんだっていつも感心してた。…………陽花里ちゃん自身にも興味があるのは、隠しようもない事実だよ」


 まずは汐音が口を開き、得意げにウインクを放つ。


「結乃は……正直まだ、緊張してしまいます。でも、少しずつ近付いていきたいなって思います。だから、よろしくお願いします、ひ……陽花里先輩っ」


 結乃は勢い余ってその場に立ち上がりながら、一生懸命に言葉を紡ぐ。

 不意に放たれた「陽花里先輩」の破壊力が強かったのか、陽花里の笑みにデレデレしたものが紛れ込む。


 そして、最後は美影の番だ。


「私も、陽花里さんと仲良くなれたら嬉しいって思います。結乃ちゃんと一緒で緊張はまだまだあるんですけど、でも……」


 小さく息を吸い、美影は陽花里を見据える。



「私、陽花里さんと友達になりたいです……っ!」



 この間まで、ファンだと伝えることすらできなかったのに。

 無意識のうちに、「友達になりたい」のだとはっきり告げていて。あぁ、おかしいなぁ。ちょっと前の自分とは大違いだなぁ。……なんて、まるで他人ごとのような自分の声が聞こえてくる。でも、これは決して夢ではないのだ。


 笑顔で頷く陽花里がいて、優しく見守ってくれる汐音と結乃がいる。

 その瞬間、美影は思った。



 ――もう、自分のことをモブなんて呼んじゃいけないな、と。

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