2-2 たらい回しの果てに

 なんとなく、嫌な予感はしていた。

 もうそろそろ出会えたって良いじゃないかという気持ちの中に、確かに紛れ込む「本当にいるのか」という不安。きっと、そんなことを考えている時点でフラグを立ててしまっていたのだろう。


 一年C組の教室に汐音の姿がない。

 というより、教室内には誰の姿もない。

 思わず、はああぁ、と大きなため息を吐いてしまう。もしかしたら、鈴原汐音は難易度が高い人物だったのかも知れない。今からでもターゲットを結乃に変えるべきだろうか。

 と、思っていると。


「うぅ、鈴原先輩……」


 一人の女子生徒が教室に入ってきた。

 ぼそりと呟くその声は弱々しく、どう見たって落ち込んでいる雰囲気だ。理由はわからないが、汐音の名前を呟いたということは例の一年生で間違いないだろう。


「……あのぅ」


 とりあえず、覚悟を決めて声をかける。

 すると想像以上に刺々しい瞳がこちらを向いた。


「何ですか。もしかして見てましたか私が体育館裏で鈴原先輩に振られたのを」


 すっごい早口だ。しかも声がどす黒い。

 桜士郎との会話の時点ですでに疲れ切っている美影にとって、彼女の態度はメンタルがゴリゴリと削られる気分だった。


「べ、勉強を教えてもらうって聞いてたんだけど……」

「そんなの嘘に決まってるじゃないですか。告白したいがための誘い文句ですよ。振られましたけどねっ」


 どうやらこの少女は、完全に不貞腐れてしまっているようだ。

 多分、汐音は同性にモテるタイプの人間なのだろう。容姿は可愛らしいが言動がイケメンのため、女の子が惚れてしまうのも無理もないと思う。


「あの、先輩」

「えっ」


 少女が唐突に「先輩」と呼ぶものだから、汐音が現れたのかと思った。しかし、美影が慌てて後ろを向いても誰もいない。


「いやあなたのことですよ。……私、そろそろ一人になりたいんですが」

「…………」


 素直に恥ずかしい勘違いしてしまい、美影はピタリと動きを止める。

 少女のジト目がじわじわと突き刺さり、美影はやがて素早く頭を下げた。


「す、すみません。失礼しました!」


 慌てて教室を出ながら、美影は思う。

 今日はなんて日だ、と。

 まさか汐音に会おうとしていただけなのに、こんなにもたらい回しになってしまうとは思わなかった。確かに汐音という人物は何となくわかった気がする。交友関係が広くて、色んな人に頼られて、同性に告白されることもある。


 それだけわかれば今日は充分なのかも知れない。

 でも、納得できない気持ちも確かにあって、美影の心はもやもやしていた。


 だからだろうか。


「……あっ」


 その人の姿が目に入った途端に、心の奥底から温かさを感じたのは。

 諦めて、とぼとぼと昇降口へ向かおうとした時――美影は確かに見つけたのだ。


 一人、体育館裏にたたずむ汐音の姿を。


 もしかしたら、先ほどの一年生に告白された場所なのかも知れない。

 夕陽に照らされた汐音はどこか物憂ものうげな表情をしていて、思わず見惚れそうになってしまった。


(って、そうじゃなくて!)


 せっかく汐音を見つけることができたのだ。このままぼーっとしていては、また汐音を見失ってしまうかも知れない。


「…………あ、あのー……」


 勇気を出して、美影は汐音に声をかける。

 すると、汐音はさも当然ように美影と目を合わせ、片手を上げた。


「あ、やっぱり美影ちゃんだ。誰かに見られてる気配は感じてたんだよね」

「……あ、はは……わかってたんですか」


 どうやら、汐音にはとっくに気付かれていたようだ。

 くしゃくしゃと大雑把に頭を撫でられ、汐音は得意げに微笑む。


「そりゃあわかるよ。美影ちゃんはオーラがムンムンだからね」

「えっ」


 汐音のなでなで攻撃によって乱れた髪を直しながら、美影は驚きの声を上げる。

 モブのはずなのにオーラがムンムンだなんて、汐音はいったい何を言っているのだろう。あまりにも自分とは真逆の言葉すぎて、美影はしばらく唖然としてしまう。


「昨日の朝、美影ちゃんと出会った時からずっと思っていたんだ」

「……な、何を、ですか」

「美影ちゃんはボクの同志なんじゃないかって」


 言いながら、汐音はじっと美影を見つめていた。

 明確に言うと――美影の胸元を、だろうか。


「…………?」


 美影は首を傾げる。

 いったい何が言いたいのだろう、と始めは思った。でもだんだんと気付き始める。汐音の熱い視線の先には、慎ましい美影の胸があるということに。


「うん。やっぱりボクが感じた貧乳オーラは間違ってなかったみたいだね」

「ひ……っ」


 ――貧乳オーラ……っ?


 あまりにも直接的すぎる言葉に、美影は衝撃を受ける。

 正直、声にすら出したくなかった。もちろんその事実に目を逸らしていた訳ではないし、むしろコンプレックスに感じている訳でもない。二次元のキャラクターでは貧乳キャラが好きだし、貧乳だって一つの属性だと思うのだ。だから何も問題はない……。


(って、何で私は言い訳を並べてるんだ……っ)


 まったくもって意味がわからない。

 汐音と向き合うためにここにいるはずなのに、何で自分の胸事情に頭を抱えているのだろう。


「美影ちゃん、大丈夫だよ。ボクも仲間だから。ほら!」


 明るく言い放ちながら、汐音は胸を逸らす。

 全体的にスレンダーで、美影からすると細くて羨ましいと思うくらいのスタイルの良さだ。でも、胸だけは美影に負けず劣らずささやかなものだった。


「何で目を逸らすのかな?」

「あ、あの……その……。あまりにも、鈴原先輩が眩しいので」

「貧乳オーラが?」

「そうではなくてっ! 鈴原先輩はもう充分魅力的だって思いますから。だからもっと胸を張ってください」

「張ってるよ?」

「せ、先輩……っ」


 胸を逸らしたポーズのまま迫ってくる汐音に、美影はついに涙目になってしまう。そんなにもコンプレックスに思っているのか、さっきから汐音のテンションがおかしい。何か理由があったりするのだろうか。


「ごめんごめん。ちょっと……ボクのライバルに胸が大きな子がいてね。少し取り乱してしまったよ」


 あはは、とわざとらしく苦笑を浮かべる汐音。

 もしかしたら、そのライバルというのは結乃だったりするのだろうか。陽花里はわりと平均的なイメージがあるし、当てはまるのは結乃になるような気がする。

 訊ねるべきか、どうしようか。……と悩んでいると、汐音が先に口を開いてしまった。


「それで、美影ちゃんはボクに何か用があってここに来たんだよね?」


 小首を傾げながら、汐音は黄金色の瞳をまっすぐ向けてくる。

 愛らしい表情に、先輩らしい落ち着いた声色。さっきまでの物憂げな表情とは大違いで、美影はついつい下を向いてしまった。

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