3-6 追いつかないコミュ力

 美影には美影の覚悟があるように、きっと結乃にも結乃の思いがある。

 いつものように、放課後の教室で待っていれば結乃には会えるのかも知れない。

 でも彼女は陽花里や紡に会いに来ている訳で、むしろ美影とは会いたくないと思っている可能性だってある。美影だって、クラスの皆がちらほらと残っている中で話を切り出すのは勇気のいる話だと思っているのだ。


 だから、美影は美影らしいやり方で結乃に近付こうと思った。

 名付けて、『手紙大作戦』だ。


(我ながら、回りくどいことしてるなぁ)


 思わず苦笑してしまうが、思い付いてしまったものは仕方がない。

 ということで、翌日。

 美影はいつもよりも早起きをして、昇降口に来ていた。

 思い切り挙動不審にきょろきょろとしながら、一年生の下駄箱へと向かう。

 結乃のクラスがわからないため、一人一人名前を確認していくしかない。誰かに見つかってしまったら、明らかに「変な先輩」のレッテルを貼られてしまうことだろう。


(あっ、あった)


 しかし、意外にも早く「作島結乃」の文字を見つけることができた。ほっと一安心しながらも、美影は素早い動作で手紙を結乃の下駄箱へと入れる。

 すると、


「森山さん」


 ――背後から、聞き慣れた声が降り注いだ。


 え? と訊ね返すよりも先に、ビクリと身体が硬直する。

 頭の中はすでに「やばいやばい」で埋まっていた。よりにもよって、あの人に見られてしまうとは。知らない人なら顔を伏せて逃げることもできたが、相手が相手だからそうすることもできない。


「瀬崎くん。お、おはよう」

「……おう、おはよう」


 意を決してあいさつをすると、ユニフォーム姿の紡がぎこちなく微笑む。何とも言えない沈黙が訪れて、美影の「やばいやばい」が加速してしまった。


「悪い」

「……え?」

「部活中だったんだけど、森山さんの姿が見えて……。つい、追いかけちまった」

「そ、そう……なんだ」


 やがて、紡が言い訳をするように頭を掻く。

 美影は返事をするのがやっとだった。だって今、確かに紡が言ったのだ。「森山さんの姿が見えて、追いかけてきた」、と。こんなの、ただのモブだった頃の美影からは考えられない出来事だ。

 心の中は「ひえぇぇ」と叫び声を上げているが、そんなことをしたら紡がドン引きだろう。必死に堪え、引きつった笑顔を浮かべる。


「昨日、作島さんから話は聞いたよ。……と言っても、詳しいことは話してくれなかったんだけどな。森山先輩を困らせてしまったって、落ち込んでた」


 言いながら、紡は俯く。

 情けないとでも思っているような態度に、美影は慌てて首を横に振った。


「いや、あの場面で作島さんを追いかけられた瀬崎くんは凄い……と、思う。私は色々と失敗しちゃったから」


 相も変わらず苦い笑みを浮かべながら、美影は目の前の下駄箱を見つめる。紡が現れた時は咄嗟に誤魔化そうとしたが、話題が結乃のことならば話は別だろう。

 小さく息を吸ってから、美影は紡を見つめた。


「……あの」

「ん?」


 紡の空色の瞳がこちらを向く。

 鋭いはずの瞳はどこまでも優しいものに感じられて、美影の鼓動は静かに高鳴った。だって、今の状況は元々美影が望んでいた状況なのだ。紡のヒロイン達と仲良くなって、美影もヒロインに昇格する。


 なんて馬鹿みたいなことを考えていたのだろう、と美影は思う。

 確かに紡と二人きりで会話をしているこの状況は嬉しくてたまらないが、それ以上に申し訳ない気持ちが襲ってきてしまうのだ。


 舞い上がってないで、今は結乃と向き合いたい。

 だから美影は、意を決して口を開いた。


「私、作島さんに謝りたくて。だから手紙を入れたんだけど……このことは、皆に内緒にしてくれるかな?」


 常識的に考えて、誰かの下駄箱に手紙を入れた……なんて、別の誰かに告白するのは恥ずかしくてたまらないことだ。しかも、会話すること自体レアな紡に伝えるなど、少し前の美影からは考えられないことだろう。


「森山さんって、可愛いんだな」

「…………え」


 ――今、紡は何と言ったのだろう?


 考えられない出来事の連続で、脳内がバグってしまったのだろうか?

 まったくもって意味がわからなくて、開いたままの口が動かない。


「あー、いや悪い。失礼ながら森山さんって物静かなイメージがあったからさ。でも、誰かのためにこんなにも必死になれる人なんだなって思って」

「そ、それは」


 あなたに言われたくないですよ、と突っ込みを入れたいところだった。

 なのに、やっぱり口が上手く動いてくれない。もごもごと口ごもりながら俯くという典型的なコミュ障っぷりが炸裂してしまい、思わず顔が熱くなった。


「あ、が、が、が……」


 更には意味不明な擬音を発してしまうレベル。

 もう駄目だぁ、おしまいだぁ、と心が悲鳴を上げ始める。こんな調子では紡にドン引きされてしまう。そう思いながら恐る恐る紡の様子を窺うと、


「大丈夫か?」


 本気で心配しているように、美影の瞳を覗き込んできた。


 ――こりゃあ、久城さんも鈴原先輩も作島さんも、好きになるのも当然だわ。


 思い切り視線を逸らしながら、美影は現実逃避するようにそう思う。


「ご、ごめん。色々とキャパオーバーって言うか。……作島さんのことについては頑張るから。そ、そういうことで!」


 そして、美影は本当に逃げ出した。

 やはり紡は正真正銘の主人公気質だ。

 美影という名のモブ人間にも優しくて、さり気なく相手のことを褒めることができる。それでいてスポーツ少年でもあるのだから、完璧すぎて訳がわからないくらいだ。


 自分との差があまりにもありすぎて、眩しい存在だと感じてしまう。どれだけがむしゃらに走ったって、結局は無駄なことなのではないか……なんて、本気で思ってしまう。

 だけど。


 彼のおかげで芽生えてしまった気持ちは、もう止められないから。

 美影は、彼女のために進み始めた。

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