3-7 止められない想い

 作島さんへ

 どうしてもあなたに伝えたいことがあります。

 放課後、屋上で待っています。

 二年A組 森山美影


 これが、結乃の下駄箱に忍び込ませた手紙の内容だった。

 紡には「謝罪の手紙」的なニュアンスで伝えたが、そうではない。やはり、ありがとうもごめんなさいも、直接口で伝えたいと思ったのだ。


 でも、正直――この作戦は失敗だと思った。

 明確に言うと、場所を「屋上」にしてしまったことだ。

 放課後の屋上は毎日空いている訳ではなく、ダンス部が利用していることが多い。そうなってしまうと屋上の扉を開ける勇気が出ず、ダンス部の人達に「見学ですか?」なんて言われたりもして、無理矢理屋上へと引きずり込まれそうになったりもした。


「いえっ、あの……私、人を待ってましてっ」


 まるで誤魔化すように事実を告げると、ダンス部の人達は首を傾げつつも納得してくれた。しかしまぁ、不思議に思っていることだろう。

 一週間も「人を待っている」と言いながら屋上に訪れているのだから。


「…………」


 自分のしていることは、無駄なことなのだろうか。

 結乃が「ごめんなさい……っ」と言って逃げ出した瞬間から、すべてが終わってしまったのだろうか。


「……そんなの」


 嫌だ、と心が叫ぶ。

 だけどやっぱり結乃はいない。

 結乃に手紙を渡して一週間が経った今日は、珍しくダンス部の姿がなかった。美影は慌てて職員室に向かい、屋上の鍵を受け取って、また屋上へと戻る。扉の前で結乃が待っている――なんてこともなく、美影は一人、結乃の姿を待ち続けた。

 だいたい、十分くらいが経っただろうか。


「ほら、行ってこい!」


 どこからともなく、声が聞こえてくる。

 その声は望んでいた女の子の声ではなく、男性の声だった。力強くも、優しい声。囁き声のはずなのに、美影はすぐに勘付いてしまった。


「……森山、先輩…………」


 躓くようにして扉から出てきた結乃は、視線の行き場をなくすように俯いてしまう。やがて誰かを探すように振り返ったものの、その人が顔を出すことはなかった。


(ありがとう、瀬崎くん)


 きっと、紡が背中を押してくれたのだろう。

 静かに感謝しながら、美影は呼吸を整える。

 今日も来てくれないのだろう、と当たり前のように思ってしまっていたのだ。美影も美影で、心の準備ができていなかった。

 ドクドクと鼓動は速まるし、反射的に「どうしよう」という気持ちに包まれる。整えるどころか乱れていく呼吸に、相変わらずだなと美影は笑った。


「作島さん、来てくれたんだ」


 緊張で震える声を隠さないまま、美影は結乃を見つめる。先輩として残念な姿ではあるけれど、これが美影の姿なのだ。どんなに恥ずかしくても、彼女と向き合うという選択肢から逃げることはできなかった。


「ずっと、来てくれていたんですか……?」

「うん。……って言ってもほとんどダンス部が使ってたから、扉の外にいた感じなんだけど」


 あはは、と乾いた笑みを浮かべる美影。

 すると結乃は、自分の腕をぎゅっと掴みながら俯いてしまった。


「…………ごめん、なさい……っ」


 微かな声を漏らしながら、結乃の瞳からポタポタと雫が落ちる。

 そのままずっと顔を上げずに「結乃のせいで」と呟き続ける結乃に、美影は慌てて駆け寄った。


「違う。違うんだよ作島さん! 作島さんを傷付けてしまったのは私のせいで、手紙を渡したのも、毎日作島さんを待ってたのも私の意思だから。私はずっと、謝りたかったんだよ」


 言いながら、美影はぎこちなく彼女の背中に手を回す。

 栗色のセーラー服に包まれた身体は、想像以上に小さかった。さくらんぼの髪留めでツインテールした胡桃色の髪も、小柄なのに大きめの胸も、透き通った白い肌も。一人の女の子としてたくさんの魅力に溢れている彼女には、もう一つの顔があって。


 もう、彼女にとっては触れられたくないことかも知れない。

 こうして謝るだけで、すべては解決するのかも知れない。


 でも――だけど。


「作島さん、ごめんなさい。……それから」


 自分の中にある想いは、止められそうになかった。


「ありがとう」


 その場にしゃがみ込み、結乃の瞳をしっかり見つめながら美影は言い放つ。

 結乃はビクリと身体を震えさせ、驚きを露わにするようにこちらをじっと見つめていた。瞳は真っ赤で、鼻まで赤くなってしまっている。

 きっと、彼女にはたくさん悩ませてしまったのだろう。だから、一瞬だけ言葉を続けて良いのか悩んでしまう。


 でも、美影は結乃を――「ゆの」と「りん」のことを、信じていた。

 あんな形で終わってしまったけど、『ゆのりんちゃんねる』はたくさんの思い出が詰まった楽しい場所だった、と。


 彼女達も思ってくれていると信じたいから。

 だから、美影は口を開く。


「私、『ゆのりんちゃんねる』にたくさん元気をもらっていたんだよ。中学生の頃、私……上手く学校に通えない時期があってさ。動画があるから頑張ろうって、いつも思ってた。大袈裟だって思うかも知れないけど、今の私がいるのは『ゆのりんちゃんねる』のおかげなんだよ」


 言って、美影は頬を掻く。

 不登校の話をするのは正直恥ずかしい。

 でも、これで良いと思った。だって、今の美影は結乃の先輩ではなく、単なる『ゆのりんちゃんねる』の視聴者なのだから。


「この間、作島さんを傷付けてしまった時、謝らなきゃって思ってた。でも、それだけじゃなかったんだよ。あの時感じていた気持ち全部、直接伝えられたらどれだけ幸せなんだろうって思って」


 言いながら、美影はそっと結乃の手を取る。

 小さくて、温かい手だった。驚いたように目を大きくさせながらも、結乃はその手に力を込める。


「だから、ありがとうね」


 ――やっと言えた。


 ごめんなさいも、ありがとうも、全部。

 まるで、胸の中に溜まったもやもやが解けていくようだった。手から伝わる温もりとともに、心の中まで温かくなっていく。

 これはただの自己満足……な訳がないことは、結乃の表情を見ればすぐにわかることだった。


「……ぐすっ」

「だ、大丈夫? 結乃ちゃん、ティッシュいる?」


 思い切り鼻をすする結乃に、美影は慌ててポケットティッシュを差し出す。

 すると何故か、結乃は楽しげに微笑み、「ありがとうございます」とティッシュを受け取った。


「どうしたの、結乃ちゃん?」

「もしかして、気付ていてないんですか」

「え、何が」

「先輩、結乃って呼んでくれてます」


 結乃の言葉に、美影ははっと目を見開く。

 きっと「ありがとう」を言うことができて、結乃も否定せずに受け止めてくれて、すっかり安心してしまったのだろう。ついつい後輩の作島結乃としてではなく『ゆのりんちゃんねる』の時のようにちゃん付けで呼んでしまい、美影は自分の顔が赤くなるのを感じる。


「酷いですよ、先輩。ちゃんとお姉ちゃんの名前も呼んであげてください」

「えっ、いや、でもりんちゃんは……」

「ここにいますよ」


 得意げに微笑みながら、結乃は制服のポケットからスマートフォンを取り出す。



 ――そこに映し出されていたのは、「お姉ちゃん」と書かれた通話画面だった。

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