3-4 揺れ動く感情

「はあ……」


 もう何度目のため息になるのだろう。

 あれから自宅へ帰った美影は、いつも通り夕食をとり、お風呂に入り、自室でぼーっとしていた。両親の前では普通に過ごしていたものの、部屋で一人になった途端に暗い気持ちが襲ってくる。


 どうしたら良いのだろう、なんて。

 すでにわかりきった悩みがぐるぐると回る。明日こそは結乃に謝らなければいけない。


(でも、どうやって? なんて言って謝ったら良いの?)


 自分に問いかけてもわからない。何度考えても答えなんて出てこない。

 だって、仕方がないではないか。両親は二人とも優しくて、大きな喧嘩は経験がない。友達だって、汐音がようやくできた友達なのだ。誰かに対して謝らなきゃいけないという状況自体、ほとんど初めての経験だった。


「…………気分転換、しようかな」


 時刻は午後九時――の五分前。

 ずっと部屋の隅で体育座りをしていた美影は、重い腰を上げてデスクチェアへと移動する。ノートPCを立ち上げ、自然な動作でイヤホンを装着した。


『皆さんこんばんは! 今週も始まりました「久城陽花里のラジオビレッジ」、パーソナリティーの久城陽花里です』


 九時になると、ラジオブースにいる陽花里の映像がPCに映し出される。

 陽花里は個人のラジオ番組を持っていて、映像付きのレギュラー番組として毎週放送されているのだ。美影にとってはクラスメイトでもあるはずなのに、こうしてラジオを聴いたり、アニメを観たりしていると、とてつもなく遠い存在に感じてしまう。


「ひかりん、可愛いなぁ……」


 ついついファンとしてのあだ名で呼びつつも、美影は本音を漏らす。

 映像の中にいる陽花里は花柄のワンピースに身を包んでいて、いつもサイドテールにしている髪は下ろしている。普段より大人っぽい可愛らしさがそこにはあって、美影はニヤニヤと頬を緩めてしまった。


『さて、そろそろいつものお悩み相談のコーナーにいきますか。ええっとぉ……ラジオネーム、赤巻紙のまき子さん! よし、言えたっ』


 フリートークが終わり、このラジオの名物コーナーであるお悩み相談が始まった。深刻なものから些細なものまで、リスナーから悩んでいることを募集して陽花里が解決するという、言ってしまえばありがちなコーナーだ。

 しかし陽花里による無理矢理な解決策が話題を呼び、お試しで始めたはずが目玉コーナーと化してしまったのだ。


『えーっと、ひかりんこんばんは。私は今、どうしてもひかりんに相談したい悩みがあります。それは……カラオケのことです』


 ニコニコとお便りを読んでいた陽花里の表情が、一気に渋いものへと変わっていく。


『もうすぐ友達の誕生日パーティーがあるのですが、その友達はカラオケが大好きで、パーティーの会場がカラオケになってしまいました。しかし私は音痴です。パーティーに参加すべきか逃げるべきか……どうしたら良いんでしょう。ひかりん、助けてください! ……ということでねぇ、うーん……』


 お便りを読み終えた陽花里の眉間には、完全にしわが寄ってしまっている。仮にも今をときめくアイドル声優がしちゃいけない表情だ。

 構成作家が「その顔は駄目だよ」と言わんばかりに腕でバッテンを作っていて、陽花里は透かさず愛想笑いを浮かべた。


『いやだってさぁ。その質問、よりにもよってあたしにする?』


 腕組みをしながら首を傾げ、ご立腹の様子の陽花里。

 やがて「はぁーあ」とわざとらしいため息を吐いてから、陽花里は質問に答え始める。


『まぁ、その……ね? あたしもまだそんなに歌うことは得意じゃない訳よ。でも、声優アーティストに憧れがないか……って言われたら、嘘になる。っていうか、うん。いつかはなりたいって気持ちがあるんだよね』


 言ってしまってから、陽花里は「今、ネットがざわついてるかな?」と楽しげに笑う。ふとスマートフォンに視線を移すと、SNSはすでに驚きの声で埋まっていた。


『結局はさ、自分がどうしたいかっていうのが一番大事だと思うんだよね。だからあたしは、歌うことから逃げるんじゃなくて、猛特訓してる。だから、赤まきまき……あっ、赤巻紙のまき子さんも、行くか行かないかだけじゃなくて、色んな選択肢があると思うよ』


 友達を祝うために行くけど、聴く専門にするとか。それとも、一曲だけでも練習してみて、歌ってみるとか。あとは、パーティーには参加しないけど別でお祝いするとか。

 ……と、ラジオネームを噛んだことを誤魔化すように早口で言ってから、「はい、これで解決っ」とお決まりのセリフを呟く。


「…………」


 今回のお悩み相談は、相談内容やラジオネームには振り回されたものの、真面目な回答だった。もっとケラケラと笑うつもりで聴いていた美影は、思わず唖然としてしまう。


「自分がどうしたいかっていうのが、一番大事……」


 今しがた陽花里が放った言葉を繰り返し、画面の向こうの陽花里を見つめる。

 相変わらずキラキラと眩しくて、クラスメイトであることが信じられないと思ってしまう。だけど美影は、そんな彼女にファンだと伝えることができた。同じ教室で授業を受けられるだけで満足……というだけではなくて、一歩だけ前に進めた気がする。


(私はいったい、どうしたいんだろう)


 謝りたい。

 ただそれだけの気持ちではないような気がして、心の中がもやもやする。陽花里にファンだと伝えたように、汐音の悩みに寄り添ったように、結乃に対しても何かしたいと思っていることがあるのではないか。


「でも、私は……」


 ――彼女を傷付けてしまった。


 そんな負の感情がすべてを覆い尽くして、闇に溶けてしまう。


「……は、はは……」


 やがて、美影の口からは乾いた笑いが零れ落ちた。

 結局、自分はどうしたって自分なのだ。

 紡の「悩んでいる時点で前に進もうとしている」という言葉で心が動いたから、今度は陽花里のラジオでの発言で動き出す……なんて、そんなに簡単な問題ではない。


 無理なものは無理なのだと、心が塞ぎ込んでしまう。

 これが現実だった。

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