1-4 しお姉
久城陽花里と作島結乃。
二人の少女の矢印は、美影の思い違いでない限り瀬崎紡に向かっているのだろう。ついでに美影の矢印も向いているかも知れないのだが、まぁそれはそれとして……。
「……先輩キャラまで現れたりしないよね……?」
翌日。
いつも通り学校へ向かいながら、美影はぼそりと呟く。
紡の周りには幼馴染がいて、後輩もいる。だったら「先輩キャラもいるのでは?」と思ってしまうのは、最早仕方のない話なのだ。
ただのラノベ脳なのかも知れない。それともアニメか、漫画か、ノベルゲームか。とにかく、色んなコンテンツの影響で美影の頭の中はぐるぐると渦を巻いていた。
美影は紡の同級生だし、どう足掻いても先輩になることはできない。まぁ、それを言ったら幼馴染や後輩になることもできないのだが。
とにかく先輩枠=美影、という訳にはいかないのだ。だったら誰か新キャラが現れるのではないか? という謎の恐怖が襲ってきてしまう。きっとこの悩みはオタク特有のものなんだろうな、と美影は思った。
「…………えっ」
――私は、フラグを立てる天才なのかも知れない。
学校の昇降口に辿り着くと、ちょうど紡も靴を履き替えているところだった。
普通だったら、ここで「勇気を出して声をかけるぞ!」という決意を抱く場面だろう。しかし、紡の姿を発見するや否や、ピタリと動きを止めてしまった。というよりも、小さな声まで漏れてしまったレベルだ。
「紡くん、おはよう。今日も可愛いね」
そこには、妙に近い距離で囁きながら紡の頭を撫でる、謎の女子生徒がいた。
菫色の癖毛ショートヘアーに、柔らかい印象のある
そしてスカーフの色は――緑だった。
つまりは、
(先輩キャラきたああああっ!)
ということである。
まさか本当に先輩キャラが登場してしまうとは思わなかった。しかも紡のことを「紡くん」と名前で呼び、「今日も可愛いね」なんて息をするように口説いて、紡の頭をポンポンしている。
むしろ紡がヒロインポジションでも良いのではないか、と思うくらいのイケメンっぷりだった。
「しお
――しお姉?
「可愛い弟が今日も可愛いんだから仕方がないだろう?」
――可愛い弟?
(……へっ?)
上靴を手に持ったまま、美影は未だに動けずにいた。
もしかしたら「あの人何で固まってんの」とひそひそ言われているのかも知れない。それくらい不自然なポーズで止まっている自覚はあった。
でも、仕方がないではないか。
混乱、の一言では表せないくらい、美影の頭はぐるぐると回転している。
ついさっきまで、美影は確実に「先輩キャラが現れた」と思っていた。いや、実際に『しお姉』の方が上級生なのだからそれは間違っていないのだろう。
しかし、彼女は確かに言ったのだ。
弟、と。
「朝練がない日は一緒に登校すれば良いじゃないか。ボク、寂しいよ」
――しかもボクっ娘だった……っ!
美影は思わず頭を抱える。
正直、ボクっ娘要素を加えるのはもう少し待って欲しかった。彼女は果たして先輩なのか姉なのか。いったいどっちなんだと悩んでいる……と言いたいところだが、「一緒に登校」発言で姉と確定したも同然だろう。
問題は、距離が近いというところだ。
普通の姉弟ではありえない距離感で、ぐいぐいと紡に迫る『しお姉』。例え属性が姉だとしても、彼女からはただならぬ凄みを感じた。
「あのさ、しお姉」
唯一安心するところと言えば、紡がまったくと言って良いほど動揺していないということだろうか。
やれやれ、と言わんばかりに頭を掻きながら、小さくため息を吐いている。いかにもブラコンの姉に困っている弟の図、という感じだ。
と、思ったら。
「さっきから森山さんを困らせてるから。早く自分の下駄箱に行ってくれないか?」
気のせいだろうか。
一瞬だけ紡がこちらを見て、申し訳なさそうに眉根を寄せたように見えた。というよりも、森山というのはいったい誰だろう。まるで自分の苗字にそっくり……というかそのままだ。
「え、あっ。ごめんね、邪魔だったね」
紡に釣られるように、『しお姉』も苦笑を浮かべて会釈をしてくる。どう考えても美影に向かって、だ。
「あ、いえ……その。だ、大丈夫ですので」
いい加減、現実逃避ばかりもしていられない。
ペコリペコリと高速で頭を下げてから、美影はようやく上靴を履く。声も若干裏返ってしまって、きっと酷く挙動不審に見えるのだろうと思った。
「ホント、悪かったな。……それじゃ」
滲み出る美影の陰キャっぷりに触れることなく、紡は片手を上げて颯爽と去っていく。
正直言って、『しお姉』との関係性についてははっきりと聞いておきたかった。しかし美影にそんな勇気があるはずもなく、遠慮気味に手を振り返すことしかできない。
幼馴染、後輩、姉。
きっと、この三人が紡を取り巻くヒロイン達なのだ。
今はそう納得しつつ、美影もようやく教室へ向かおうとした――その時。
「ぅえっ」
思わず変な声が漏れる。
いきなり手を握られたのだ。去っていったはずの紡ではなく、『しお姉』に。
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