1-5 距離が近い先輩

「森山ちゃん、だったよね? ボクは鈴原すずはら汐音しおん。一年前にこっちに転校してきたんだ。紡くんは同じマンションのお隣さんで、ボクが勝手に弟みたいに思ってるんだよ」


 自己紹介をしながら、しお姉――汐音はウインクを放ってみせる。

 まさか声をかけられるとは思わず、美影の胸はバクバクと波打った。汐音は先輩だが、『美少女』という言葉が似合うほどに整った顔をしている。愛嬌のある猫目で優しく微笑まれるものだから、一気に美影のハートは奪われてしまった。


「あー、ごめんね。急に話しかけたらビックリするよね。森山ちゃんは多分、紡くんのクラスメイトなんだよね?」


 訊ねられ、美影はコクコクと頷く。

 いやそこは口で返事をしなさいよ、という話だろう。しかし一度緊張してしまったらなかなか声が出なくなるのは仕方のない話なのだ。

 と、美影はそっと言い訳を頭に浮かべていた。


「だったら一応、ちゃんと言っておこうと思って。ボク、本当に紡くんのお姉ちゃんじゃないからね」

「は、はい。…………正直、その……勘違いしてました」


 必死に勇気を振り絞りながら返事をすると、汐音は「だよね」と言いながら微笑んでみせる。汐音の笑顔は、紡とはまた違った意味で心が温かくなった。


「ところで森山ちゃんの名前は?」

「あ、美影……です」

「美影ちゃんね、よろしく」


 言いながら、汐音はまた美影の手を握ってくる。

 何というか、いちいち距離が近い人だと思った。多分、紡だけが特別な訳ではなくて、誰に対してもそうなのだろう。だって、初対面の美影に対してもぐいぐい来ているのだから。

 こんなにも人に迫られるのは初めてで、自分の顔が赤くなっていないか心配になってしまう。


「美影ちゃん、大丈夫?」

「え、何が……うひぃ」


 真面目な顔をしながら、今度は美影の頬に手を触れる汐音。いくら何でも距離感がバグりすぎである。「私達、生き別れの姉妹か何かですかっ?」と勘違いをしてしまうほどだった。


「顔、真っ赤だからさ。熱でもあるのかと思ったけど、大丈夫そうだね」

「大丈夫……じゃ、ないです」

「えっ、保健室行く?」

「そうじゃ、なくて。…………鈴原先輩、いちいち距離が近いんです」


 俯きながら、美影はついに本音を漏らす。

 汐音はすぐには反応しなかった。不思議に思って顔を上げると、何故か嬉しそうにニヤリと笑う汐音の姿があって、美影は唖然とする。


「そっか。照れてくれてるんだ?」

「……あ、当たり前です。初対面なのに、こんなにもスキンシップが多い人……初めてです」

「それは君が可愛い女の子だからだよ」


 さも当然ように言い放つ汐音。

 美影の口は自然と開いていく。あまりにも言われ慣れていない言葉すぎて、美影はカチコチに固まってしまった。


(か、可愛いとか……初めて言われた……)


 素直に嬉しくて、心の真ん中が温かくなっていく。

 私ってこんなにもちょろい人間だったんだ、と思うくらいに美影は照れていた。今まで上級生と接する機会なんてなかったから、余裕のある汐音の言動にいちいち対応し切れない。


 名残惜しい気持ちもあるけれど、そろそろ休憩しよう。

 そう思って、美影はわざとらしくスマートフォンを鞄から取り出し、時間を確認する振りをする。

 そのまま、そろそろ時間なので、と去っていくつもりだった。


「からかってごめんね。紡くんは全然照れてくれないから、反応が嬉しくてね」


 でも――美影は違和感に気付いてしまう。

 汐音の笑顔が、苦いものが混じったような複雑なものに見えたのだ。


(異性であんなにも距離が近いのは瀬崎くんだけ、って感じ……なのかな)


 本当に、不思議なものだ。

 美人だけど中性的なイメージもあった汐音の姿が、一気に恋する乙女に見えてきたのだから。


「えっ、とぉ……」


 とはいえ、単刀直入に「瀬崎くんのことが好きなんですか?」とは聞けるはずもなく、美影は言葉を詰まらせてしまった。

 すると、汐音は何か言いたげに目を細めてくる。

 どうやら、美影の反応ですべてを察してしまったようだ。ちょいちょいと手招きをされ、階段下のデッドスペースに連れて行かれる。


 そして、


「ボク、紡くんのことが好きなんだ」


 と、何の躊躇いもなく耳打ちしてきた。

 いきなり耳元で囁かれ、自分のことではないにしろ「好き」と言われたのだ。ドキドキしない方が無理な話であり、美影はついつい瞬きが多めになってしまう。


「このことは内緒だよ」


 しかも口元に人差し指を当てて「内緒だよ」ときたものだ。流石にこれは反則である。姉でもなくただのお隣さんでもない、正真正銘のライバルのはずなのに。

 心が苦しくなるよりも、ただ食い入るように彼女の姿を見つめてしまう。


(鈴原先輩……?)


 単純に、汐音のことが気になるのだ。

 先輩らしい優しさがあったり、距離感がバグっていたり、恋する乙女になったり……。そして今は、


「呼び止めちゃってごめんね。……またね、美影ちゃん」


 何故か、眉根を寄せている。

 本人的には普通の笑顔をしているつもりなのだろうが、美影にはどうしたって弱々しいものに見えてしまった。

 その表情は紡が原因なのか、それとも別の何かなのか。出会ったばかりの美影には想像もできないし、踏み込むこともできない。


「あっ、はい。また……」


 手を振り返しながら、美影は思う。

 誰かのことが気になって、心がもやもやする。こんな経験は初めてで、戸惑う気持ちもたくさんあって……でも、決して嫌な感情ではなくて。


 自分の中の何かが変わり始めている。

 そのきっかけを与えてくれたのは、やっぱり紡なのだと思う美影だった。

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