2-4 知らないことを知りたい
いったい、何がどうしてこうなってしまったのだろう。
紡のヒロインになるのが目的のはずなのに、美影の初デートの相手が汐音(紡のヒロインの一人であり、先輩キャラ)になってしまった。
いや、もちろん美影だってわかっているのだ。
例えば女性声優同士が遊びに行く時にも「デート」という言葉を使う人が多いし、陽花里のSNSにもよく「○○ちゃんとデートしてきたよ!」と同期の女性声優とのツーショットを上げたりしている。
つまり、デートというのはただの言葉の綾なのだ。
普通に友達と遊びに行くようなものであり、決して初デートになる訳ではない。だから安心して挑めば良い……の、だが。
(いやいやいやいや緊張がやばいって)
日曜日の午前十時。
美影は、指定された待ち合わせ場所できょろきょろと挙動不審になっていた。
駅前にあるモニュメント、という待ち合わせの定番的な場所にいるため、人でごった返している。待ち合わせ時間になっても汐音の姿が見つけられず、美影は焦ってしまった。
「あっ、美影ちゃん!」
すると、聞き慣れた声が美影の耳に届く。
安堵しながら顔を上げると、デニムシャツに白いワイドパンツ姿の汐音が手を上げながら駆け付けてきた。制服姿とは印象がまるで違い、美影の緊張はますます高まってしまう。
「良かったよ見つけられて。メッセージ送っても既読が付かないから、どうしたのかと心配してたからさ」
「えっ、あ……。すみません、全然見てなくて……っ」
はっとしてスマートフォンを取り出すと、確かに汐音から二通メッセージが届いていた。だいたい、家族以外とやり取りすることがないからほとんどスマートフォンを見ないのだ。家族以外に友達登録したのも汐音が初めてで、おっかなびっくり待ち合わせのやり取りをしたのを覚えている。
「そんなことより、服、可愛いね」
「へっ? その、適当に……あっ、いや、それなりに悩んで着てきただけなのでっ」
「でも、髪型も新鮮だよ」
言いながら、汐音は優しく微笑んでくれる。美影は恥ずかしさでいっぱいになり、ついつい俯いてしまった。
美影の今日の服装はボーダーのTシャツワンピース。ラフな洋服ばかり持っている美影だが、唯一持っていたワンピースがこれだったのだ。髪型もいつもは下ろしているが、今日は何となくポニーテールにしてみた。ちなみに、ひっそりとアニメグッズのシュシュを使っているのは内緒である。
「それじゃ、行こっか」
「ぅ……は、はい。行きましょう」
本当だったら、「鈴原先輩もいつもと雰囲気が違って素敵です!」くらいは言いたかった。しかし、爽やかな笑顔で手を差し伸べられてしまったら何も言えなくなってしまう――のは、最早仕方のない話だと思うのだ。
言い訳を頭の中に浮かべながら、美影は恐る恐る汐音の手を握り締めるのであった。
今日のデート先は水族館だった。
恋人どころか友達もいない美影にとって、水族館は新鮮すぎる場所だ。
多分、小学生の頃に家族と行って以来だと思う。何となくデートの定番の場所という印象があるのは、多分アニメやライトノベルのデートシーンでよく見ているからだ。しかしその印象は間違っていなかったらしく、休日の水族館はカップルで賑わっていた。
「美影ちゃん。ボク、ペンギンのお散歩が見たいんだよ。この時間にあるみたいだから、まずはこの辺から見て回って……。あっ、あとはカワウソの餌やりタイムも見たくてね……」
水族館の中に入るや否や、汐音はパンフレットを手にあれやこれやと説明し始めた。声のトーンがいつもより高くて、どこか興奮気味の汐音。さっきまでの頼もしさはどこへやら、子供のようにはしゃぐ汐音の姿がそこにはあった。
「? どうしたの、美影ちゃん」
すると、思わず微笑ましい気持ちになってしまったのがバレてしまったようだ。不思議そうに首を傾げる汐音に、美影は自然と笑いかける。
「先輩があまりにも楽しそうだったので。水族館にはよく来るんですか?」
「ううん、今日が初めてだよ」
「ですよね。今日が初めて…………えっ?」
汐音の返答があまりにも予想外すぎて、まるでノリ突っ込みのような驚き方になってしまった。そんな美影を気に留めないまま、汐音は大水槽へと吸い込まれるように向かっていく。
ちょうどマイワシが大きな渦を巻いているところで、汐音の瞳はキラキラと輝いていた。
「ボクはね、自分が知らないことを知りたいんだよ。だから楽しいし、わくわくする。……格好良い先輩とはイメージが違って、幻滅したかな?」
じっと水槽を見つめ続けてから、汐音はようやく顔をこちらに向ける。
まるで「ごめんね」とでも言いたいように、眉は垂れ下がってしまっていた。
「……そんなこと、全然、ないです」
必死に見つめ返しながら、美影ははっきりと言い放つ。
自分が知らないことを知りたい。
きっと、この感情は少し前の自分なら理解できないことだったのだろう。
でも、今は違う。知らない世界に足を踏み入れること。それはとても勇気のいることだけど、決して意味のないことではない。
「そっか。それは良かった」
安心したように温かな笑みを零す汐音を見て、美影は改めて思うのであった。
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